第三話
次の週の「比較人類学入門」の講義室についた道木は、諦めにも似た感情を、ため息とともに吐き出した。
「本日の講義は前回のレポートの講評により進めます。レポートの共同作業者と近くに着席してください。」
前方のプロジェクターのスクリーンにはそう書いてある。
講義室には人がまばらに入っていたが、宮窪はまだ来ていないようである。
どうせ後方の席はすぐに埋まってしまうから待ち合わせには向いていないと、やっぱり道木は前方の席についた。
「道木さん、お疲れ様です。ここ、いいですか?」
なんだか既視感のある声掛けとともに彼女が現れたのは、講義が始まるすこし前のことだった。
前回もそうだが、目立つ髪色をした宮窪が、周囲に比べてオッサンじみた風貌の道木の近くに座るのは異様な光景だ。当然周囲の目も集まる。
道木は居心地の悪い思いをしながら、軽く会釈するにとどめた。気合の入っていない道木はこんなもんである。
そう、前回の出来事から、彼女との距離を測りそこねていた。
学部の講義で離れた席に座る彼女から、それまでになかった、興味の視線を感じることが増えた。そのへんの小石にも満たない存在が、人間として認識された程度ではあるが。
それに対して道木は興味ないように、いつも通り過ごしているふりをしていたが、内心の動揺はすさまじかった。前回の衝撃はそれほどであった。
そして、彼女を視線で追ってしまうことが増えたことも自覚していた。これはもう、自分の興味も彼女に伝わってしまっているだろう。そう思うと、顔から火が出るほどの思いだった。
その結果が、大学生にとって万能の「うっす」すらも言えない、無愛想なオッサンである。
そうして、授業が始まるまで会話もなく、所在なさげに佇む金髪とオッサン。異様な光景だ。当然周囲の目も集まる。
講義が始まると、電気が消され、遮光カーテンによりプロジェクターの光に集中できる空間が作られる。ようやく人心地ついた。
講義は前回提出されたレポートを集計して、目立った意見を集計する流れのようだ。
道木が出した、「祈りの主体は自分なので、自分の納得に貢献できるなら、AIの意義があるが、天国の祖先に対して祈ることを目的としている人には受け入れられないのではないか。」という趣旨をダラダラと書き殴ったレポートは、80人以上が受けるこの講義では、どこかの誰かの意見に統合され、無機質に分解されていた。
教授はそれぞれの意見に対し、比較人類学の視点を持った意見をいくつか上げ、それに対して現在の学問としての態度を説明している。
「では、今日の講義はここまでで、残りの時間はグループワークとします。前回の意見交換を、今度は比較人類学の視点を入れながら、レポートの内容についてもう一度考えてみてください。今回はレポートの提出は求めませんが、授業終了の合図があるまではグループワークを続け、講義室からは出ないようにしてください。」
講義終了15分前ほどで、教授がそう告げた。なぜ発表もないのに同じグループで座らせたのだろうと思っていたが、そういうことらしい。なんとも緩い指示で、明らかに講義室内の空気が弛緩した。なるほど、こういう部分で楽単という噂が飛び交っているのだろう。
前回はレポートを出さなければならないと比較的に真面目に取り組んでいた後方の席の彼らも、今回ばかりは談笑のような声が漏れており、声も大きくなっている。
そういうグループにはTAが目を光らせているようであり、会話に参加して統率を取るつもりのようだ。
さて、TAに目をつけられる前に真面目に会話するかと思っていたら、彼女の方から話しかけてきた。
「道木さん、前回からすこし気になって、調べてみたんですけど、祈りは自分のためにやることだって言われて、たしかにそのとおりだなって思ったんです。祈っているときでも、自分の気持ちを整理するためにやっているっていうか…」
宮窪は、まるで話したくてたまらなかったかのように、こちらをしっかり見て話している。
「それで、キリスト教とか、仏教とかの法事について調べてみたら、祈りは自分のため、っていうのは肯定的だったんですけど、それ以外にも、みんなで集まって、悲しみを共有したり、近況を話し合ったりする場っていう側面もあるみたいで…」
道木は黙って聞いているだけなのもどうかと思い、相槌を打つことにする。
「ああ、わかります。僕も法事のときくらいしか親戚に合う機会無いですし。」
「そうなんです。それで、故人に対して祈る時間を共有するってことは、自分が死んじゃったあとも、自分が大切にされるってことを実感できるってことが大きいと思うんです。そうしたら、ちょっと安心できるじゃないですか。」
「なるほど…だから今回の課題で言えば、故人をAIにするってことは、自分がAIにされるかもしれないってことですね。」
「そうです!私はちょっと、自分に似せたAIなんかより、本物だと思った方を向いて、祈ってほしいと思っちゃうんですよね。」
「そうですね、納得です。僕は…」
あれだけ緊張していたのに、喋りだしたら意外と楽しく話せていることが、なんだかおかしかった。
その後も、彼女と波長が合っているのか、真面目な会話が小気味よく続いていった。TAもニッコリである。
そんな中、突然彼女の顔が少し暗くなる。原因がわからずギョッとしていると、
「その…私はキリスト教の家庭で育ってきて、父親がイギリス人で、ハーフなんです。」
自分から言い出してくるのかという驚きと、その告白の中に滲んでいるはっきりとした怯えを感じた道木は、
これまでの会話が楽しく感じており、できれば楽しい雰囲気のまま続いてほしいと思った道木は、
できるだけ、間を開けずに、驚きの感情すらも出さないように、なんでもないような口調で、
「へぇ、それで?」
と言った。
彼女はしばらく目を丸くしてから、
「…それで、自分が祈っているものってなんだろうって、ずっと気になっていて、自分が祈っている意味ってなんなんだろうって、ずっと思っていたんです。それで道木さんの話を聞いて、自分のために祈っているって言われて、これまで祈っていたことが自分のためになってるよって言われてるって、ちょっとそう思っちゃって、だから…」
一旦間をおいて、それからこぼれだすような微笑みをたたえて、
「ありがとうございました。道木さん。」
それは、道木がされたことがない、新鮮な感謝だった。自分の顔が熱くなるのを感じ、平静を保とうとするが、できている自信がない。
それから、大したことがなかったかのように元の話に戻り、授業終了の合図まで喋り続ける二人だったが、二人の間には、どこかふわふわとした、普段の道木ならちょっと見てられない、妙な雰囲気が漂っていた。
ついに授業終了の合図が鳴り、道木は夢から覚めるような、それでいてまだ浮足立っているような心を落ち着けながら、講義に使った道具を片付け始めた。次のコマも入っており、若干遠い場所なので早めに動き出さなければならない。
そうしていると、彼女の方からまた声をかけてきた。
「道木さん、えっと、その、連絡先交換しませんか?あの、私、一人で受ける授業が多くて、2回浪人してて、友達もあんまりいなくて。道木さんなら、もしかしたら歳が近くて、話しやすいんじゃないかなって思って、今日も楽しくて…その…」
彼女は、たどたどしくも、なんだかすべて受け入れたくなってしまうような、はじめてのおつかいで勇気を出して店員に話しかけてるような、けれども茶目っ気を出したような身振りで、
「ど、どうかな?」
と言った。
そのどうかな?にすら、顔をしかめてしまいそうな自分が、道木は心底嫌いだった。




