第二話
道木の手には、彼を心底悩ませる、1枚の紙が握られていた。
小レポート:
周囲の人間と議論し、600字程度の小レポートとして提出せよ。
議題:
「亡くなった身近な人(祖父母など)の生前のデータをAIに学習させ、本人のように会話できるシステムが開発された。これを使って『お墓参り』や『法事』を行うことは、伝統的な宗教行為として受け入れられるだろうか?」
今は各々が取りたい授業を選んで受講する教養科目の時間で、「比較人類学入門」の講義の時間だ。90分の授業のうち60分は講師が喋り、最後の30分というところで突如この紙が配られ、グループワークが始まった。
受講者は学部関係なくバラバラに来ているはずなのに、友達同士で示し合わせて同じ講義を選んでいるのか、後方の席からはすでに話し声が聞こえ始めていた。
道木が座っている席は前方から3列目、左端の机である。後ろに座りたがる大学生からして実質最前列と言ってもよく、周囲の人間もまばらだ。いつもながらボッチである。
提出用の紙にはご丁寧に共同作業者の名前を書く欄がついており、出席確認にも使うため割としっかりチェックされるのだろう。情報を聞ける友人も先輩もいない道木は、SNSでの噂で楽単と踏んでこの講義を選択したのだが、とんだガセネタだった。
講義室の各所にはTA が配置されており授業のサポートをしている。彼らが一人で動かない道木を心配そうに見ていることに、道木は気づいていた。
仕方なく、面倒なことになる前に動こうと周囲を見渡したとき、やけに目立つ髪色の少女が所在なさげに佇んでいるのが目に入った。
カフェテリアの一件から2週間以上が経過しており、彼女は明確に他人だった。話すことも、目が合うことも一度もなく、そもそもすれ違う程度のイベントすら全く起こらなかった。
しかし、何故か最近彼女との距離が近く――この場合は物理的な距離のことで、要は彼女が講義室前方の住人になっていることに、道木は気づいていた。
理由を推察するのは野暮なものではあるが、彼女がカフェテリアで見せた宗教的所作と、彼女の現在の状況を結びつけて考えてしまう。
それこそ偏見だろうと道木は自戒するが、それほど外れてはいないだろうとも思っている。
なんにせよ、この状況においては都合の良い存在であるのは確かだった。
道木はコミュニケーションが心底嫌なのであって、できないわけではない。こういった必要に迫られた状況では、心底嫌ではあるが、ある程度社交性を発揮できる。
道木は腹を括り、2つ先の、微妙に距離があるその机に近づいていった。
「すみません、経営法学科の道木です。良ければ一緒にやりませんか?」
「あ、はい。はじめまして、法律学科の宮窪です。すみません、気を使っていただきましたか?」
「いえいえ、僕も一人だったので。とりあえず時間もないので、軽く話して各々レポートにとりかかる感じにしませんか?」
「はい、そうですね。助かります。」
初めて彼女とまともに話した道木だったが、自分が大幅に歳上なので、恐縮されてしまっているなぁと感じている。威圧感を与えないように、すでにあまり目を合わせないようにもしている。
だが事務的なやり取りに関しては支障はないので、構わず続けた。
「テーマは、AIで再現した故人に祈るのは伝統的な価値観で受け入れられるか、みたいな話ですね。僕は別に問題ないなぁと思いますが、宮窪さんはどうですか?」
「そうなんですね。私はちょっと嫌だなぁと思っちゃいました。」
「意見が違うのはいいことですね。だったら、その違いをちょっと話してみて、その比較をしてレポートにするのはどうですか?」
「いいと思います。道木さん、慣れてるんですね。すごいです。」
真っ直ぐな称賛に座りの悪い思いをし、いっそ人より長く生きているだけですよと自虐ネタに逃げようかとも思ったが、大人げないのでやめた。
じゃあまず僕から、と前置きしつつ話し始める。
「祈る行為っていうのは、結局は自分のためにやる行為だと思うんですよね。なので、祈る対象がわかりやすいほうがいいって人には、AIを使ってイメージを固めて、それに祈ったほうが、”祈った感”がでるんじゃないのかなって思うんです。伝統的にも、祈る対象を具体的にする動きはあったわけですからね。ほら、例えば仏像みたいに。」
まあまあ不正確な表現も含んでいるが、道木は思想を語りたいわけではないため、適度なところで止めるという意味で、適当だった。
彼女はその発言にすこしだけ目を丸くた。
「そんなこと、考えたこともなかったです。私は、その…人とは違う価値観かもしれないんですけど、やっぱり故人の方は天国にいて、本物が天国にいらっしゃるのに、似せただけのAIに祈るのは、なんか違うんじゃないかなって思っちゃいました。」
と言った。それは前提を除けば道木にも納得がいく理由であるし、ちゃんと筋が通っているので、良い意見だと感じられた。
彼女は続けて、
「伝統的にも、教会で祈ったり、お墓の前で祈ったり、そういう伝統的な祈り方っていうのには、やっぱり理由があるんじゃないかなって思うんです。」
それに対しては道木には持論というか、言いたいことがあるのだが、話を切らないように黙る。
「でも私は、そういう伝統的なことって、どこから来たのかぜんぜんわかってなくて、ちゃんと知りたいって思ったから、この講義を聞いてみようって思ったんです。」
予想もしてなかった言葉に道木は驚いた。ふと彼女の顔を見ると、彼女は困ったような笑顔で、
「自分が信じているものがどこから来たのかわからないって、気持ち悪いじゃないですか。だから、知っておきたいんです。」
宗教に真摯な、自分とは全く違う価値観の人間だと思っていた彼女が、まさか自分と似た思考をしていることに、道木は衝撃のあまりしばらく言葉が出てこなかった。
自分の偏見という顔面の、鼻っ面に野球ボールがぶつかって、鼻の奥のほうが熱を持って、喉から脳まで痛みが突き抜けるような、そんな衝撃だった。
なんとか話を切り上げ、レポート用紙を交換し名前を書いてもらい、それを受け取って、まだグループワーク中ですよと主張するように座席を一つだけあけてレポートを書いている間も、道木の頭の中は彼女の言葉が反響し続けていた。
共同作業者:宮窪茉莉。
彼女の名前がきれいな文字で書かれたレポートを提出できたのは、期限が切れるギリギリの時間だった。




