第一話
ゴールデンウィークも終わり、大学構内は休み終わりの憂鬱な空気と、初夏というにはあまりに暴力的な暑さに包まれていた。
初々しく、緊張感まであった新入生たちの活力は少しだけ鳴りを潜め、こなれ感を出したいのか、大人っぽい雰囲気を出したいのか、少しだけくすぐったいような、なんにせよその場にいなかったものには理解できない、けれども明らかな変化を見せていた。
そんな中、休み前から全く雰囲気の変わらない者もいる。
道木叶太もその数少ないうちの一人だった。
道木の場合は変化していない理由は明白である。周囲の者たちがサークルの新歓やら、バイトの面接やら、早速できた恋人とのデートやらを過ごしている中、彼は貴重なGWを、文字通りただの休暇として過ごしていた。
残念ながらこの過ごし方は、大学1年生というモラトリアムにおいて希少と言わざるを得ない。主体的に動かず、誰からも誘われず、平等に訪れるはずの機会までふいにする必要がある。
だが道木にはそうなる要素が存在した。彼は24歳である。周囲とは6歳差。小学校まるまる1回分の差がある。
待ってほしい、彼にも入学が遅れたやむを得ない事情があるのではないか?実は面白いバックグラウンドがあるのではないか?
たしかにそうだ。そして道木にもその事情とやらは存在する。しかしそれを知るには彼は喋らなさ過ぎた。
無口。不潔とまではいかないが地味な風貌。猫背。眠そうなのか不機嫌なのかわからない眼光。教室ではいつも目立たないところにいる。授業が終わるといつの間にかいなくなっている。
高校生から上がったばかりの彼らにとって、典型的な「休み時間中寝てる、付き合いの悪いクラスメイト」だった。少なくとも周囲がそう思うには十分である。大学生という、少しだけおとなになった子どもたちでも、6歳差という壁を含めると、声をかけるにはあまりにも遠かった。
大学というのはボッチにも多少優しい。道木は早くも大学の生活を気に入り始めていた。
なにせ一人で食事をすることを明示しても、学食の食券機は何も言わない。本来はしばらく居座って課題や作業をするためだろうが、バーカウンターのような長机に衝立がつけられた、一人でいることが許されるスペースが、カフェテリアにはあった。
道木は一人暮らしで、食事は大学の方ですることにしている。この日も、2限が空きコマという、一度帰ることも十分に可能な状況でも、彼は大学のカフェテリアで食事を取っていた。
「ここ、いいですか?」
突然、澄んだ女性の声が聞こえた。
わざわざ衝立のあるスペースなのに、隣に座ってもいいか聞いてくる奇特な人間がいた。
「ああ、どうぞ。」
道木にもそのくらいの応答はできる。
そう言ってまた食事に戻ろうとした道木だったが、思いがけず二度見してしまった。
学食のトレーを持って立っていた女性の鮮やかな金髪に。道木のこれまでの人生、その視界にとって、あまりに奇抜な配色だった。
彼女はさして気に留めるでもなく、こちらに興味を失ったように動いていた。
金髪を見て思い出したが、彼女は同じ学部で、違う学科の1年生だ。学部単位の授業で見たことがある。道木にもそのくらいの記憶力はある。
GWに入る前まで、その金髪と青みがかった瞳の物珍しさから、彼女の周囲には常に人が集まっていた。ハーフだかクォーターだか聞いたことがあるような気がする。そのくらいが道木の限界だった。
つまりは、こんなところで一人で食事をしているような人間ではないのである。
道木はそんなことを考えていたら、彼女の方に顔が向いたままだったことに気がついた。慌てて視界を外そうとしたが、ある動作が目につき、一度その視線を止めた。
彼女は食事を前に、低めの位置で手を合わせ、目を閉じ、祈っていた。
まるで誰かから身を隠すようにこっそりと、ぶつぶつと聞き取れない声量で、しかし口には出さなければいけないとでも言いたげに、何かを口先だけで呟いていた。
道木はそんな彼女から目を離し食事を再開した。彼にとって宗教とは、良いも悪いもなく、 分析したこともあるし、自分の言葉で意見を述べるくらいのことはできるのだが、端的に言って「誰かの信心」については全く興味がなかった。
彼の心には、日本では一般的ではない、しかし明らかに真摯とわかる宗教的な動作を見た、珍しい花を見つけたときに似ている、すこしの高揚だけが残った。
これが、彼と彼女の、ささやかとも言えない、最初の交流だった。




