遺書・4ページ目
ここまで長々と書いてきたのは、私、道木叶太が如何にして死んだのか、理由を記すためである。
私は何故生きているのか?
死ぬのが怖いからだ。
それ以外の理由を持たないのは何故か?
社会に与えられたものだからだ。
社会とは何か?
自分勝手な獣のようなものだ。
なぜそんな社会と付き合ってきたか?
死から目をそらすためだ。
死とはなにか?
恐怖を上回る、耐え難きなにかを受け入れることだ。
では、この道木叶太にとって、その耐え難きものとは何か?
答えはとても単純で、愚かで、君たちには理解しがたいものだろう。
それは死の恐怖だった。
いままでの私には失いたくないものなどなかった。
大切な人、
譲れない目標、
帰るべき場所、
全部を持たず、全部に縛られることはなかった。
私にとっての死の恐怖とは、ただの死に伴う苦痛だけだった。
私は初めてそれを手にした。
それは命をかけて守りたい人か、
身を犠牲にしてでも譲れない目標か、
いつどこにいても帰りたいと思える場所か、
まだ、そうではない。
でも私の理性は、すぐにそうなることを、すでに知っている。
大切なものを認識した途端に、これのためには死んでもいいと思うほどに、私の心のうちが叫ぶのだ。まだ死にたくないと。
それが本当の、死の恐怖だった。
この恐怖は、だんだんと私の中で膨れ上がり、私の心を押さえつける。
お前にはそれを、守り通せる力などない。
お前のそれは、みっともなく生にしがみついているだけだ。
お前がそれを、失うときの苦痛は際限なく大きくなる。
お前は常に、常にその苦痛に怯え、生きていくことになる。
今しか、死ねない。
未来の死の恐怖に、今の死の恐怖が、情けなく屈服してしまった。
それが私が死ぬ理由である。
おそらくこの失う恐怖というものは、誰しもが持っているもので、そんな普遍的な現象で自ら死を選んだ私は滑稽に映るだろう。
もっともらしく理屈を並べて、あたかも自分は真理を理解しているように論じて、勝手に出した結論で勝手に死ぬ私は、ただの狂人に映るだろう。
それでいい。理解も、共感も求めない。
この、遺書とは名ばかりの思想書は、私が、私のために遺したものである。
私が、私の死に納得するために書いたものである。
私は、自分の愚かな思想に殉じて死んだ。その物語の中でしか、私は死ねない。
そうでなければ、そうでないのなら、
私の生きた時間とはなんだったのか?
私の存在とはなんだったのか?
私の、これまでのなにもかもが、私にとってすら、無駄だったのか?
私は生き方も、死に方も選べずに終わるのか?
そんなことには、尚の事、納得できない。
私の物語を完結させるために、この遺書は必要だった。
これが、
苦しんで、苦しんで、
最後の一瞬まで死の恐怖に囚われて、
いずれ諦めて死ぬ、
道木叶太の遺書である。
これを読んだ皆様に、良き夢が訪れますよう。
ここまで長々と書いてきたのは、私、道木叶太が如何にして死んだのか、理由を記すためである。
私は何故生きているのか?
死ぬのが怖いからだ。
それ以外の理由を持たないのは何故か?
社会に与えられたものだからだ。
社会とは何か?
自分勝手な獣のようなものだ。
なぜそんな社会と付き合ってきたか?
死から目をそらすためだ。
死とはなにか?
恐怖を上回る、耐え難きなにかを受け入れることだ。
では、この道木叶太にとって、その耐え難きものとは何か?
答えはとても単純で、愚かで、君たちには理解しがたいものだろう。
それは死の恐怖だった。
いままでの私には失いたくないものなどなかった。
大切な人、
譲れない目標、
帰るべき場所、
全部を持たず、全部に縛られることはなかった。
私にとっての死の恐怖とは、ただの死に伴う苦痛だけだった。
私は初めてそれを手にした。
それは命をかけて守りたい人か、
身を犠牲にしてでも譲れない目標か、
いつどこにいても帰りたいと思える場所か、
まだ、そうではない。
でも私の理性は、すぐにそうなることを、すでに知っている。
大切なものを認識した途端に、これのためには死んでもいいと思うほどに、私の心のうちが叫ぶのだ。まだ死にたくないと。
それが本当の、死の恐怖だった。
この恐怖は、だんだんと私の中で膨れ上がり、私の心を押さえつける。
お前にはそれを、守り通せる力などない。
お前のそれは、みっともなく生にしがみついているだけだ。
お前がそれを、失うときの苦痛は際限なく大きくなる。
お前は常に、常にその苦痛に怯え、生きていくことになる。
今しか、死ねない。
未来の死の恐怖に、今の死の恐怖が、情けなく屈服してしまった。
それが私が死ぬ理由である。
おそらくこの失う恐怖というものは、誰しもが持っているもので、そんな普遍的な現象で自ら死を選んだ私は滑稽に映るだろう。
もっともらしく理屈を並べて、あたかも自分は真理を理解しているように論じて、勝手に出した結論で勝手に死ぬ私は、ただの狂人に映るだろう。
それでいい。理解も、共感も求めない。
この、遺書とは名ばかりの思想書は、私が、私のために遺したものである。
私が、私の死に納得するために書いたものである。
私は、自分の愚かな思想に殉じて死んだ。その物語の中でしか、私は死ねない。
そうでなければ、そうでないのなら、
私の生きた時間とはなんだったのか?
私の存在とはなんだったのか?
私の、これまでのなにもかもが、私にとってすら、無駄だったのか?
私は生き方も、死に方も選べずに終わるのか?
そんなことには、尚の事、納得できない。
私の物語を完結させるために、この遺書は必要だった。
これが、
苦しんで、苦しんで、
最後の一瞬まで死の恐怖に囚われて、
いずれ諦めて死ぬ、
道木叶太の遺書である。
これを読んだ皆様に、良き夢が訪れますよう。




