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死を恐れる思想家大学生は如何にして死んだのか  作者: 獺田


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第六話

映画を見終えた叶太かなた茉莉まりは、ショッピングモール内のカフェで話していた。


「最後には『お酒の妖精さん』が消えちゃいましたけど、一緒にお酒を飲める彼氏ができて、幸せになって、すごくよかったですね。」


「あぁ…うん、そうだね。」


映画『お酒の妖精さんと仲良しな私が、居酒屋で出会った彼と恋に落ちる』は、至って普通の社会人ラブコメストーリーだったが、『お酒の妖精さん』のキャラデザがやたらと凝っていたり、声優がやたらと豪華だったり、別れのシーンがやたらと気合が入っていたりと、叶太からしてみれば異色の作品だった。


「それに、『居酒屋あまや』の料理も美味しそうでしたし、ああいう落ち着いた雰囲気のお店で過ごすのも楽しそうですね。今度行きませんか?叶太くん。」


「あ、あぁ、うん、いいよ。その…茉莉は昨日あんなことがあったけど、居酒屋とか、怖くないの?」


叶太が、上機嫌の茉莉にタジタジなのは、これが原因である。

一応昨日の出来事のはずなのに、茉莉はなにも気にしている様子もなく、ひたすらに楽しそうにしていた。なので叶太も気にしないことにはしていたが、さすがに居酒屋に行こうとなると話は別である。


「ふふ、大丈夫ですよ。叶太くんが助けてくれるので。」


茉莉は、自分の要求を通そうとおねだりをするときに、こういうふうに茶目っ気を出しながら甘えるのが上手い。叶太もさすがに学んでいたが、一向に耐性ができる気配がなかった。


叶太は、あざとい仕草に若干のトラウマがある。しかし茉莉はそれを知ってか知らずか、自分は意図的にこれをやっています、とわかるように、そういう仕草を冗談としてやっているのが叶太にも伝わるようにやっている。

だから、叶太にも嫌悪感が生まれにくいのだと、客観的にそう分析しようとしたのだが、それとは別の話として、なぜだか叶太に効果バツグンだった。


そうして茉莉は、叶太の反応を楽しむように、ニコニコと会話を続けていた。



「ねぇ、叶太くん。気分転換はできましたか?」



茉莉は、ふいにそう切り出した。

その口調は、まるでそうであることを確信しているかのように、疑問ではなく確認だった。

上機嫌そうな表情の柔らかさはそのままに、その目だけは、先程までの浮かれた少女の目ではなく、理知的な光をたたえて、こちらを見ていた。


叶太はそこで、今朝の悪夢をすっかり忘れていることに気づいたのである。


そして、茉莉がわざと、「純粋に楽しんで、過度に浮かれている少女」を演じていたことにも。



「ふふ、バレちゃいましたか?」



叶太が何を言うでもなく、答え合わせのように茉莉がそういった。

茉莉は嬉しそうに、さすがですね叶太くん、とつぶやくように言った。


「私はもちろん楽しかったですけど、それと同じくらい、ううん、それ以上に、叶太くんのことを心配していました。」


茉莉の瞳は、ひたすらに叶太の目を離さんとばかりに射抜いている。


「あぁ…うん。いま気づいた。心配かけてたね。ごめん。」


「謝らないでください。私もさっき、昨日のことを心配してもらえてるんだとわかって、嬉しかったんです。ありがとうございます、叶太くん。それをちゃんと言いたくって、本心じゃないと思われたくなくって、バラしちゃいました。」


茉莉はハッとしたように付け加える。


「あ、もちろん楽しかったのは本当ですよ!それこそ、ずっと続けばいいと思うほどに。」


茉莉はそこで一度息を整え、コーヒーを一口飲んだ。

叶太も別に疑っておらず、それよりも茉莉が何を言い出すのか気になっていた。


「『お酒の妖精さん』は最後には消えちゃいましたけど、それまではずっと主人公の心の拠り所だったんですよね。他人からは見えないなんてのはどうでもよくて、自分の心の中に、そういう存在がいるっていうだけで、十分だったんです。」


その目は、叶太の心を見透かすような、けれども慈愛に満ちたような、そんな目だった。


「私の心のなかに神さまがいて、あなたの心のなかにはいないように。」


それに責めるような雰囲気は一切なく、ただ事実を言って、それを尊重するような口調であることに、叶太は冷水を浴びせられたように、驚きのあまり一瞬相槌すらも忘れてしまった。


茉莉はそれに一切気に留めた様子もなく、けれども目線は外さないまま、


「叶太くん、連れて行ってほしいところがあるんです。一緒に行ってもらえますか?」


茶目っ気もださずに、そう言った。




茉莉の案内で到着したのは、至って普通の、住宅街にある公園だった。

適当な駐車場に車を止めると、茉莉は慣れたように、公園の中に入っていった。

時刻はすでに夕方を過ぎ、冬にも差し掛かろうとするこの時期に暗闇を落としていた。住宅街の暗闇から、公園の街灯の円形に広がる光だけが、その空間を切り取っているようである。



「私の実家はこのあたりで、歩いて5分もないところです。小さいときは、よくここに来ていたんですよ。」


公園の中ほどまで入った彼女は、振り返りそう言った。

それから、ふんふんと鼻歌を歌いながら、奥にあるベンチまで移動していく。

叶太は黙ってついて行った。


「あの時計、見えますか?」


ベンチの前についたとき、彼女が指さしながら、そんな事を言った。

指の先にあるのは、これまた至って普通の時計だった。公園の真ん中あたりに緑青の柱が地面から伸び、2メートルほどの高さに、アナログな丸い時計の文字盤がついている。


彼女はベンチに座ると、横をぽんぽんと叩き、叶太にも座るよう促した。

叶太が座ると、茉莉は時計を見ながら話し出す。


「私はいつも、一人ぼっちでこの公園に来ては、あの時計に向かって祈っていたんです。」


「時計に?」


「はい、あんな普通の時計に。文字盤の下、町内放送のスピーカーが付いている部分、柱とクロスして十字架っぽく見えませんか?」


「あぁ、言われてみれば、確かに。」


言われないとわからないほど、装飾もない、ただ実用のためにつけたのがわかる、ただの構造だったが、十字架に見えなくもない。


「私の両親は、私が5歳くらいのときに離婚して、父子家庭なんです。それまでは母親と一緒に過ごすことが多くて、キリスト教の家庭での生活が染みついていました。それで、この金髪も目立つし、親同士のあつまりに父は出ないし、小学校から、クラスで浮いちゃってて、一人でここに座って、あの時計に祈っていました。」


彼女はすこしだけ悲しさを滲ませて、


「父親はあまり帰ってこなくて、誰とも話せなくて、このあたりに教会はないし、でも何かに祈りたくて、あの時計に向かって祈っていました。」


ふふ、と自嘲したような声が聞こえる。


「おかしいですよね?だって、キリスト教で祈るのは、十字架ではなく、神さまに対して祈るんです。十字架を持って祈ることはあっても、その先にいる神さまに対して祈るんです。でも、私は神さまじゃなくて、時計に向き合っていました。」


「そうか、キリスト教は一神教だから、物に向かって祈ることはないんだ。」


「そうです。たぶん、私は、お母さんから教えてもらったキリスト教の話をあんまり理解できていなくて、日本の、多神教的な価値観のほうが強くなったんだと思います。」


「モノに神さまが宿るっていうのは、確かに日本的な考え方かもね。」


「はい。だからあの時計は、私にとっての神さまなんです。」



そう言って彼女は、時計に向かって祈りを捧げた。それは、GW明けの食堂で見た、あのときの祈りと同じだった。



彼女は祈りを終え、叶太に向き合う。

ぽつりぽつりと、祈りの言葉のように、彼女は話し始めた。


「叶太くんに出会うまで、こんなことは考えませんでした。どうして祈っているのかとか、なんで祈るときにこの時計が思い浮かぶんだろうとか、私はキリスト教を本当に理解しているのかとか。」


「叶太くんとあの講義で、祈りは自分のためにやること、っていう話を聞いたとき、初めていろんなことが気になって、そういうことが気になっている自分に気がついて、それからいっぱい考えるようになったんです。」


「私の神さまが時計だと気づいたとき、私が本当はキリスト教徒じゃないって気づいたとき、実はショックでした。私が心の拠り所にしていたものってなんだったんだろうなって。」


「でも、それからもいっぱい考えて、ずっと結論が出なかったんですけど、昨日、叶太くんに助けられたときに、やっとわかりました。」



彼女は、叶太の手を取った。

そのつないだ手を見つめる目には、涙が滲んでいる。


「叶太くんが助けに来てくれたとき、本当に嬉しかった。私は、ずっとさみしかったんだって。ずっと誰かを待っていたんだって。一人が本当に辛くて、時計がいつも見守ってくれているって思い込まないと、だめだったんだなって、わかりました。」


彼女は、もう片方の手で、次々とこぼれだす涙を拭いながら、


「叶太くんとの会話の中で、私、思ったんです。宗教ってそういうものなんだろうなって。キリスト教だって、日本の価値観だって、きっとそう。誰かが、その文化を作ったみんなが、自分の弱さを嫌って、隠して、なにか理屈をつけて理解したくって、そういう気持ちが積み重なって、今の文化が出来上がっているんです。」



《《俺は》》彼女の手を両手で包み込むように握った。

なぜかそうしなければならないと強く思った。自分を客観視できていない。

でも、彼女は辛そうな顔を、安心したように緩めてくれた。



「いまの社会で、だれかが辛い思いをしてしまうのも、たぶん、みんなが自分の弱さとたたかうことに精一杯だから。辛いのは、そんな気持ちに、一人で立ち向かっているからだって。」



俺は、

俺はそんなふうに誰かに認めてもらえてことなんてなかった。

社会と自分を切り離して、自分を自分から切り離して、ずっと逃げてきた。

それを彼女は、一人で立ち向かっているからだって。



「そんなことを考えて、ようやく私は、私を受け入れることができました。私は異物なんかじゃなくって、この《《信仰》》は自然なものだったんだって。それで、嬉しくなって、誰かに話したくて仕方がなくって、叶太くんが弱っているところにつけ込んで、こんなところまで連れてきて、話しちゃいました。」



そんなこと気にしていない、聞けてよかった。俺も嬉しい。そう言いたかったが、嗚咽が漏れるだけだった。俺も泣いていた。

その代わりにぎゅっと彼女の手をさらに握ると、同じように茉莉も返してくれる。



「…叶太くんは、たぶん、こういうことを、ずっと考えてきたんだと思います。だから、私が悩んでいることにも、すっと自分の言葉を出せる。私よりも何倍も何倍も、深いところまで考えている。」


彼女は握りあった手を胸の前まで持ち上げた。


「私は、考えがまとまって、自分を許せるようになったとき、誰かに共有したくて仕方がなかった。誰かに聞いてほしかった。だから勝手に、叶太くんもそうなんだろうなって決めつけちゃいます。たぶん、深く考えれば考えるほど、話したくなる気持ちは強いんだろうなって、私はそう思ったから。」


彼女は、握りあった手に額をこつんとつけて、祈るような姿勢で、告げる。



「もしよかったら、叶太くんが話したいときに、あなたの物語を聴かせてほしい。私が、最初に聞いてあげたい。いつでも、待っているから。」




話し終えた俺達は、もう時間も遅いこともあり、解散することになった。

茉莉は実家に俺を泊めようとしてきたが、やんわりと断って、車に乗り込む。


運転しながらも、彼女のことをずっと考えていた。

認めるしかなった。彼女にどうしても惹かれていることに。

その気持ちがどうしようもなく膨れ上がっていることに。



道木叶太どうきかなたが自殺したのは、その2日後である。


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