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追放された悪役令嬢、宇宙に飛ばされたら最強でした ~中身は35歳社畜なのに、口が勝手にお嬢様になるんだが~  作者: 多々太
【第1部】追放と漂着

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番外編「追放した悪役令嬢の行方がわかりません」

 九頭竜蓮華が消えてから、数日が経過していた。


 転移術の暴走による行方不明。生存しているのか、それともすでに命を落としているのかすら判然としない。


 その曖昧さは、見えない腐食のように皇国の中枢へと広がり、誰もが確かな不安を抱えながらも、それを言葉にすることができずにいた。


 大広間は本来と変わらぬ威容を保っているはずだった。高い天井には精緻な装飾が施され、壁には歴代皇帝の肖像が整然と並び、磨き上げられた床は鈍い光を返している。


 しかし、その空間に満ちているものはもはや威厳ではなく、湿り気を帯びた重苦しい空気だった。衣擦れの音やわずかな咳払いさえも必要以上に響き渡る、異様な静けさが支配していた。


 その静けさに耐えきれなくなったかのように、貴族の一人が声を落として口を開く。


「本当に、どこへ飛ばされたのでしょうか。海の底か、それとも――」


 言葉は途中で途切れたが、その続きを誰もが理解していた。


 生きていてほしいという願いは確かに共有されていた。しかしそれは慈悲や情から生まれたものではない。


 闇属性を持つ者が強い恨みを抱いたまま死ねば、悪霊となって祟る。そんなくだらない言い伝えが、この場にいる全員の胸に重くのしかかっていたからだ。


「相当な恨みを抱いていたのではありませんか」


「断罪に関わった者から順に祟られる、という話もございます……」


 互いに視線を交わしながらも、そこにあるのは連帯ではなく露骨な自己保身だった。誰もが、自分だけは無事でありたいという願いを胸に押し込めていた。


 その淀んだ空気を断ち切るように、暁宮蒼真が口を開く。


「蓮華は生きている。憎まれっ子世にはばかる。悪しき令嬢は簡単には死なぬ。余がそう判断した」


 根拠は示されない。ただ一方的に結論だけが告げられる。それでも反論を口にできる者はおらず、場はその言葉によって強制的に封じられた。


 その沈黙の中で、文官が一歩前に進み出る。手にした書類はかすかに震えており、その声にも明らかな緊張が滲んでいた。


「再調査の結果をご報告いたします。これまで提示されていた証拠の多くは、誤認あるいは誇張であったことが確認されました」


 広間の空気がわずかに揺らぐ。


「夜間に観測された光は防疫術式の発動によるものであり、侍女への叱責は責任の肩代わりでした。実父との密会とされていたものは、極秘の外交調整であったとのことです」


 文官は一度息を整え、続けた。


「また、あの方の微笑についても再評価が行われております。過労と寝不足による極度の疲弊を隠すための、作り笑いであったと結論づけられました」


 その瞬間、玉座に座る現皇帝の指先が、ほんのわずかに強く握り込まれた。


 作り笑い。


 そうだ。あの微笑は、いつも同じ形をしていた。喜びの時も、怒りの時も、疲弊の極みにあった時も、表情だけは一切崩れなかった。それを皆は「恐ろしい冷笑」と呼んでいた。


 だが今になって思えば、あれは鎧だったのではないか。


 そしてその微笑のまま、彼女は何もかもを片付けていた。誰も気づかないうちに。誰も頼まれないうちに。


 脳裏に、ある光景が鮮明によみがえる。


---


 数ヶ月前。同じ大広間で、騎士団と術師団が激しく対立していた。


 互いに譲る気配は一切なく、怒号と罵声が飛び交い、机を叩く音が響き、調停に入った文官たちは完全に押し切られていた。


 その混乱を断ち切ったのは、静かでありながら確実に場を支配する一つの声だった。


「随分と騒がしいことですわね」


 九頭竜蓮華が、ゆっくりと前に進み出た。周囲を一瞥し、わざとらしくため息をついてみせた後、微笑を浮かべたまま言葉を続ける。


「吠えるだけで問題が解決するのであれば、子犬に王宮を任せましょうかしら」


 その一言で、広間は一瞬にして静まり返った。侮辱であることは明白だったが、言い返す余地を与えない圧があった。


「騎士団は守っている"つもり"、術師団は支えている"つもり"。どちらもその程度の認識でありながら、よくもまあそこまで自信満々に主張できますこと」


 穏やかな口調を崩さないまま、しかし逃げ場を与えない形で言葉を重ねていく。


「ではお聞きしますが、現状の資源で、どちらがどれだけ具体的に国益を伸ばせるとお考えですの? まさか、必要だから予算を寄越せ、それで済むとでも思っていらっしゃるのではないでしょうね」


 沈黙が広がる。誰も即答できない。


「感情論で国家の資金が動くほど、この国は安くはありませんのよ」


 柔らかな微笑を深めながら、最後の一押しを加える。


「それとも、ご自身の能力では実現できないとお認めになります?」


 その挑発により、両者は引き下がることも逃げることもできなくなった。


「やればできる」


「我々も同様だ」


 ようやく絞り出された言葉を、彼女は逃さず拾い上げる。


「結構ですわ。それでは、その前提で話を進めましょう」


 あらかじめ用意していた書類を広げ、淡々と構想を提示していく。


「騎士団には装備更新のための予算を優先配分いたします。ただし、その装備には術師団の支援術式を組み込むことを前提とします。単独運用よりも効率的に戦力の向上が見込めるかと」


 視線を移し、続ける。


「術師団には、その術式開発費を正式に予算として計上いたします。付属ではなく、不可欠な要素として明文化いたしますので、軽視されることもございません」


 それぞれの立場と欲求を正確に踏まえた配置だった。


「結果として、両者の戦力は同時に引き上げられ、面子も保たれます」


 わずかに首を傾げる。


「ご不満でも?」


 誰も答えない。答えられない。拒否すれば無能を認めることになり、受け入れれば面子は保たれる。選択肢は最初から一つしかなかった。


 やがて両者が小さく頷き、対立は嘘のように収束した。


「最初からその程度のことに気づいていれば、無駄な時間を費やさずに済みましたのに」


 蓮華はそう言って微笑を崩さず、何事もなかったかのように席へ戻った。


 誰も気づかなかった。あの場が完全に彼女の掌の上で転がされていたことに。


 そして彼女が、その間ずっと一度も表情を崩さなかったことに。


---


 回想が途切れ、現実へと引き戻される。


 別の文官が進み出た。声は落ち着いていたが、その顔色は隠しようもなく青ざめていた。


「申し上げます。各方面より同様の回答が相次いでおります。いずれも同じ言葉です」


 一拍の間があった。


「『九頭竜蓮華様でなければ、交渉の席には着かない』と」


 広間が静まり返った。


 それが一箇所や二箇所の話であれば、まだ対処のしようもあった。しかし現実はそうではない。文官は続ける。


「物流部門よりご報告申し上げます。各地の業者が『九頭竜様でなければ話し合いに応じない』と申しており、交渉が完全に止まっております。主要街道の流通が滞り始めており、月内に物資不足が生じる見込みです」


「隣国より三度目の抗議文が届いております。先方は『九頭竜様との合意が前提であり、他の者とは交渉しない』との立場を崩しておりません。正式な使者を送るとの通告も参っております」


「港湾の作業員たちが仕事を放棄しております。『九頭竜様から直接お話をいただかない限り動かない』と。指揮系統が機能しておらず、現場が命令を受け付けない状態です」


「主要商人の複数名が資金を引き上げ始めております。問い合わせたところ、『九頭竜様がいらっしゃらないのであれば、この国との取引は見合わせる』との返答でございました」


 報告が、次々と積み重なっていく。


 全員が、蓮華を指名していた。代替を認めない。他の者では話にならないと、言葉を選ばずに告げてきていた。


 これらはすべて、蓮華が一人で繋ぎ止めていた糸だった。その糸が、彼女ごと消えた。


 しかし蒼真は、それらを理解しようとはしない。


「その程度の調整は誰にでもできる。動かぬのであれば従わせればよいだけの話だ」


 そう言い放ち、最後に一切の疑いなく断じる。


「お前たちが無能であることの言い訳に過ぎん」


 その言葉を残して、蒼真は広間を後にした。


 重苦しい沈黙が戻る。


 その中心で、現皇帝は長く息を吐き出し、震える手で顔を覆うと、そのまま深く頭を抱え込んだ。


「……終わりだ」


 かすれた声が、広間に落ちる。


「あの愚か者には何も見えておらん。蓮華がどれほどの泥を被り、どれほどの人間の情を繋ぎ止めていたのか。それを『誰にでもできる』と断じた時点で、この国の未来はすでに死んでいたのだ」


 視線を巡らせれば、そこにいるのはかつて彼女を嘲笑し、その働きを当然のものとして享受していた者たちだった。今はただ青ざめて立ち尽くしているだけだ。


「謝罪したい、探したいと口にする者もいるが、今さら何の意味がある。生きていたとしても、二度と戻ることはないだろう」


 静かに結論を落とす。


「いずれにせよ、我々にはやれることをやるしかないのだ」


 その言葉を否定できる者は、この場に一人として存在しなかった。


---


 その夜。


 廊下の端で、小鳥遊恋華が一人、窓の外を眺めていた。


 誰の目にも映ることのない場所で、ただ静かに立っている。


 何かを小さく呟いた声だけが、廊下の暗がりに溶けた。


 窓の向こうには、星が見えた。


 恋華はしばらくそれを眺め、やがて静かに目を閉じた。

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