「船出いたしますわ(行き先未定だけど)」
術力制御の実装が終わったのは、泥水のようなコーヒーの味を気にしなくなった頃だった。
最初は飲み物として認識していたそれが、いつの間にか作業の一部に溶けていた。
慣れというのは恐ろしい。
ジャンクが機械側の設計を進める間、俺は術式の出力制御を固めた。P-0がその数値を逐一記録し、ジャンクが機械側の設計と突き合わせる。最初は別々に動いていたはずの工程が、いつの間にか一つの流れになっていた。
制御が安定した日のこと。
ジャンクは端末から顔を上げて、しばらく画面を見つめた後、静かに言った。
「……これ、すごいな」
大げさでもなく、取り繕いもなく、ただ結果をそのまま受け取った声だった。
「術力をここまで安定させられるなら、動力として十分成立する。燃料の問題はほぼ消えた」
ようやく実感が追いついてくる。何かを積み上げて、それが形になったという手応えだけが遅れて胸に灯った。P-0はそのやり取りを記録していたが、余計な補足は一つも挟まなかった。
それからは役割が自然に増えていった。
ジャンクは構造を組み、俺は術式でそれを現実へと定着させる。融ノ手は思っていた以上に素直で、金属の加工というより、思考をそのまま物質に写し取っているような感覚だった。
指示はいつも簡潔だった。
「ここを少しだけ詰めたい」「この角度を揃えてくれ」
それだけで、金属は意思を持ったかのように形を変える。ジャンクはそれを見ても、もう驚きはしなかった。
ただ当然の出来事として受け入れ、次の工程へと意識を飛ばす。
「蓮華は本当に、変なところで常識がないな」
「褒めてますの?」
「褒めてる」
それ以上は続かない。けれど、それで十分だった。
空いた時間は酒場で情報を集めた。
辺境の中継拠点では、採掘船と商人が入れ替わり立ち替わり動いている。鉱床の噂は常に更新され、価値は一日ごとに変動する。
オリハルコン、アダマンタイト、ミスリル。
P-0はそれらを淡々と整理し、確かな利益へと繋がる航路を弾き出していく。
船がほぼ形になった夜、方針をまとめていた時だった。
P-0が言う。
「今後の運用には、操縦者と技術者の確保が必要です」
視線が自然にジャンクへ向く。
「ジャンク」
「なに」
「わたくし、当面は鉱石掘りで資金を確保しますわ」
そのまま続ける。
「わたくしの術なら安定して掘れますもの。まずは稼ぐことを優先します」
ジャンクは黙って聞いている。
「目標は一つ」
「ここを出ることですわ」
視線をぶつける。
「そのために、この船を使いますわ。だから、わたくしと一緒に船に乗っていただけて?」
ジャンクはすぐには答えなかった。端末を閉じることもせず、しばらく船の外殻を眺める。
「これ、俺の船なんだけどな」
軽く笑う。
「建造者はジャンク様です」
P-0が淡々と補足する。
「……わたくしを船に、乗せていただけませんかしら」
珍しく口が弱気だ。
ジャンクがはこらえきれないとばかりに笑いだす。
「ふふ……ごめん。ちょっとからかっただけだ」
端末を置き、椅子を回してこちらに向き直る。
咳払いをひとつ。
「この廃鉄より蘇りし高潔なる騎士ジャンク号と、この身を我が主君、九頭竜蓮華姫に捧げます……なんてな」
肩をすくめる。
「ノリだ。深い意味はないよ」
「その誓い、聞き届けましたわ。我が騎士ジャンク。死ぬまで、いえ、死してなお、わたくしの傍らで剣を振るうことを許しますわ」
勝手に口が動く。
静まり返った作業場に、自分の凛とした声が残響となって消えていく。
ジャンクの冗談を上回るほどの「お約束」すぎる返しに、羞恥心が遅れてやってきた。
頼むから何も言わずに流してくれ、と祈るような心地で、短く息を整える。
「ここを出る……か」
ジャンクはしばらく難しい顔をしていたが、すぐに諦めた顔になった。
「まあいいか」
それだけ言って、端末を叩く。
軽い。
あっさりとした結論だった。
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翌日には、ナイラに声をかけた。
「操縦を引き受けていただけますか」
「条件は」
「利益の二割と危険手当」
「目的は」
「鉱石掘りで、金を稼ぐことですわ」
ナイラは短く頷いた。
「乗る」
それ以上はない。
席を立つとき、彼女の視線が、一瞬だけジャンクの作り上げた船の方へ向いた。触れるでもなく、確かめるでもなく。
格納庫に戻ると、ジャンクは船の前に立っていた。
ナイラは外装を一周して、継ぎ目や歪みを確かめていく。その動きは正確で、澱みがない。けれど、ある箇所でふと手が止まる。その度に、彼女の視線はほんのわずかにジャンクへずれた。
「いや、驚いた。……よく動くな、これ」
ナイラは短く言って、それ以上は続けない。
ジャンクは少しだけ視線を外し、何も返さない。だが、その口角はかすかに上がっていた。
「出航準備、完了しました」
P-0が告げる。
それぞれが所定の位置につく。
俺はその光景を眺めていた。
少し前まで、空間に一人で放り出されていた。何もない、何者でもないところから始まっていたはずだった。
今は違う。
船があり、作る者がいて、動かす者がいる。
「ナイラ、出航できますの?」
「いつでも」
低い振動とともに、鉄の巨体が持ち上がる。
格納庫の扉が開かれ、その先に黒い深淵――宇宙が広がった。
ナイラの手がわずかに動き、船が静かに前へ出る。
ジャンクはそれを見つめながら、一息、深く吐き出した。
その吐息の意味を、誰も言葉にはしない。
ただ、そのまま進む。
(ここからが本当の始まりだ)
廃鉄より蘇りし高潔なる騎士ジャンク号。
その航行は、静かに始まった。
ゆっくりと、けれど確かに――
「……なんか揺れてませんの?」
問題はある気がするが、まあ飛んでいる。そこは評価するべきだろう。
細かいことは、着陸してから考えればいい。
処女航海は、たぶん順調に始まった。
第一章、これにて幕引きですわ。
ここまでお付き合いいただいた皆様、感謝はして差し上げます。ええ、特別に。
もっとも、この程度で満足していただいては困りますけれど。わたくしの本領は、まだこんなものではありませんもの。
次からは、きちんと稼ぐつもりですわ。ええ、容赦なく。
退屈させるつもりはありませんので、どうぞ最後まで見届けなさい。
(第二章もよろしくお願いします)




