「お茶をいただけて?(泥水じゃねぇか)」
ジャンクに案内されたのは、ステーションの奥にある小さな部屋だった。
部屋、というか、倉庫を片付けて無理やり居住スペースにしたような場所。壁は錆びた金属板。床にはスクラップの山。隅っこに寝袋が一つと、工具箱がいくつか。天井の配管から水がぽたぽた垂れていて、バケツで受けている。
まあ、さっきの真空よりは百倍マシだ。
「悪いけど、椅子とかないんだ。その辺のコンテナに座ってくれ」
「お気遣いなく。場所を選ぶほど、わたくしは繊細ではありませんの」
(繊細じゃないのは口だけだ。中身はびびりまくってる)
金属のコンテナに座った。着物の裾を体が勝手に整えた。宇宙のゴミ溜めで正座するのかと思ったが、さすがにそこまではしなかった。
ジャンクが壁際の端末をいじり始めた。長い腕を伸ばして棚の奥から金属のカップを二つ取り出す。何かの粉を入れて、パイプから直接お湯を注ぐ。手慣れた動作だが、雑だ。計量とかしてない。目分量だ。
持ってきた。灰色の液体。
「コーヒー……の、つもり。味は保証しない」
受け取る。一口飲んだ。
まずい。
コーヒーの面影はあるが、泥水に近い。苦いというより土っぽい。後味に金属の味がする。でも温かい。温かいだけで涙が出そうだ。さっきまで真空だったからな。デスクで飲んでたエナドリが死ぬほど恋しいが、今は温かければ何でもいい。
「お味は……まあ、合格点を差し上げましょうか」
(全然合格じゃない。泥水だ)
ジャンクが微妙な顔をした。
「……そう言ってくれると助かるけど、顔が全然そう言ってない」
言葉は勝手に出るが、表情まではコントロールできないらしい。
ジャンクは自分のカップを一口飲んで、「まずいな」と言った。慣れた顔で。
俺はこいつが少し好きになった。
「さっきは……ありがとう」
ジャンクが少し言いにくそうに言った。
「気にしなくていいですわ。たまたまですの」
(全部口がやっただけだ)
「いや……助かった。あいつら最近しつこくて」
「どのようなご関係ですの?」
「同じ区画に住んでたやつらだ。俺が寝袋を干してたら、あいつらの洗濯物に影がかかったとかで怒られた。それからずっとあんな感じで」
「……それだけですの?」
「それだけだ」
(宇宙のゴミ溜めに来てまでそんなことで揉めるのか)
ジャンクは気まずそうに頭をかいた。ぼさぼさの金髪がさらに乱れた。
「まあ……ここはそういう場所だ。色々とギスギスしてる」
それ以上は言わなかった。俺も聞かなかった。
「それで、あんた……どっから来たんだ?」
ジャンクが工具箱に腰を下ろして聞いてきた。
どっから来た。
和風皇国の大広間から転移術で飛ばされて宇宙に来ました。中身は三十五歳のプログラマーです。前世では過労死したと思います。
言えるわけがない。
「わたくしは……追放されましたの」
あ、これは本当のことだ。口の補正と事実が一致した。
「追放? どこから?」
「帝国から」
ジャンクは眉をひそめた。
「帝国って……惑星国家のか? この辺りの宙域に帝国なんてあったっけ」
宙域。惑星国家。
やっぱりここは宇宙の世界なんだ。恋トキとは完全に別の場所。別のジャンル。
「嫌なら言わなくてもいいけど……、その……、追放された理由は?」
「……色々と、言いがかりをつけられましたの」
「そうか」
ジャンクはそれ以上聞かなかった。
俺もそれ以上言わなかった。
行き場のないやつら同士が集まると、聞きにくいことがある。
出身とか、過去とか、どうしてここにいるのかとか。
そういう話題は、触れないことになっている空気があった。
「ところで、ここには何人くらい住んでるんだ?」
素が出た。ジャンクが一瞬きょとんとした。
「えっ」
「……何名ほどいらっしゃるのかしら?」
「あ、うん。二百人くらいかな。元は技術者とか、軍を追い出されたやつとか、借金から逃げてきたやつとか。いろいろだ」
二百人。宇宙のゴミ溜めに二百人。それなりのコミュニティだ。食料はどうしてるんだ、電力は、水は。疑問が次々と湧くが、それより先にやることがある。
「あんたは? 名前、聞いてなかった」
「わたくしは蓮華と申しますわ。苗字は九頭竜ですの」
「九頭竜蓮華、か。すげぇ名前だな」
俺もそう思う。
「まあ……蓮華様? でいいのか?」
「蓮華、で構いませんわ」
構いませんわ、じゃないんだよ。俺は浩介って呼んでほしいんだけど、言えない。
「じゃあ蓮華。あんた、さっき宇宙空間に生身で浮いてたよな」
「ええ」
「それ、普通は無理だぞ」
「わたくしに、普通を求めますの?」
(俺も無理だと思ってたよ)
ジャンクは一瞬ぽかんとして、それから苦笑した。
「……まあ、そうだな。で、あの紫色の膜は何なんだ。防壁みたいな技術は見たことあるけど、あんなの初めてだ。生身で、機材なしで」
ジャンクの目が変わった。さっきまでの困惑した目じゃない。技術者の目だ。
「闇の……術式、とでも申しましょうか」
「術式。魔法ってやつか」
「ええ。わたくしはそう呼んでおりますわ」
「実物を見たのは初めてだ」
ジャンクが身を乗り出してきた。ひょろ長い体が前のめりになって、工具箱の上でバランスを崩しかける。
「あの膜、どうやって出してるんだ? 意識して使えるのか?」
「感覚で使っておりますの。難しく考えたことはありませんわ」
(本当に何もわかってないだけだ)
「じゃあ試しに少しだけ、その術式を出してみてくれないか。観察したい」
俺は少し考えた。意識的に使えるのかどうかは、まだ試していない。
試してみるか。
手のひらを前に出す。闇術、出ろ。
……出た。
手のひらから、紫色の光が滲み出した。最初はぼんやりとした霧のようなものだったが、意識を集中させるとどんどん濃くなる。光の密度が上がって、球体みたいな形に固まった。
ジャンクが息を呑んだ。
「……すげぇ」
俺もすごいと思う。というか、怖い。自分でやっておいて怖い。
球体をもう少し大きくしようとした。術力という変数に、もう少し値を入れてみよう。
バキッ。
という音がした。
顔を上げると、壁に亀裂が入っていた。金属の壁に、くっきりと。蜘蛛の巣状に。
俺は術を即座に止めた。
(やばい、やばいやばい。こんな出力じゃなかった)
ジャンクが壁を見て、俺を見て、壁を見た。
「……加減、できないのか?」
「……申し訳ありませんわ。まだ加減が掴めておりませんの」
(素直に謝れた。珍しい)
ジャンクは呆れた顔をしたが、すぐに亀裂に指を当てて観察し始めた。怖がるより先に観察している。やっぱり技術者だ。
「エネルギー密度がおかしい。こんな出力、エンジンでも出せない……」
ジャンクは端末に素早くメモを取りながら、少し躊躇してから口を開いた。
「……一つ、聞いていいか。失礼なのはわかってるんだが」
「なんですの」
「ステータス、教えてもらえないか。あんたの術の出力が異常すぎて、数値で確認しないと説明がつかない」
探るような目だった。
俺は少し考えた。ステータス。そんなものがあるとは知らなかった。
「……ステータスとは何ですの?」
ジャンクが少し意外そうな顔をした。
「能力値が数値で表示される。スキルとか体力とか。ステータスオープンって念じれば自分のが見られる。標準値が50で、鍛えた人間でも200か300がいいところだ。999なんてこの宇宙に三人しか確認されてない」
「この世界では、そのように人を測りますの」
(ゲームのステータスと同じじゃないか。後で試してみよう)
「あんたの術の出力からすると……相当な数値が出るんじゃないかと思って」
「確認できましたら、またお話しいたしますわ」
(教えるかどうかは、その時考える)
ジャンクは素直に頷いて、また端末に向かった。
「なあ蓮華。この術式、エネルギーとして使えないか」
「エネルギーとして?」
「この出力を機械に流せるなら、宇宙船の動力源になる。うまくいけば連邦の技術を根本から変えられるかもしれない」
目が輝いている。さっきより三割増しで輝いている。
(出力の大きい処理を別の場所に流用する、か。発想はわかる)
「面白い考えですわね。ただ、わたくし自身まだこの力を把握しきれておりませんの。今すぐというわけにはいきませんわ」
「そうか……。まあ、焦らせて悪かった」
「いずれ機会があれば、考えてみますわ」
(やってみたいとは思ってる。本当に)
ジャンクは素直に頷いて、また端末に向かった。
「寝袋、使ってくれ。俺はその辺で寝るから」
「……ありがとうございますわ」
(あ、ちゃんと言えた)
ジャンクが少し驚いた顔をした。
「……どういたしまして、お嬢様」
初めて「お嬢様」と呼ばれた。
なんか、居心地が悪い。俺は浩介なんだが。
寝袋に入った。体が勝手に姿勢を整えて、正しい寝姿勢になった。令嬢の寝方なんて知らないが、この体は知っているらしい。
目を閉じる。
ジャンク。
その名前が、まだ頭に引っかかっている。
会社で、誰かが。どこかで。
思い出せない。
疲労が思考を押し流していく。
……まあ、いいか。明日考えよう。
意識が沈んでいく直前、視界の端に何かがちらついた。
夢か、幻か。
ぼんやりとした光の文字が、一瞬だけ見えた気がした。
「悪役令嬢」という言葉だけが、はっきりと残った。
……なんだ、それ。
考えようとしたが、体が限界だった。
意識が落ちた。




