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追放された悪役令嬢、宇宙に飛ばされたら最強でした ~中身は35歳社畜なのに、口が勝手にお嬢様になるんだが~  作者: 多々太
【第1部】追放と漂着

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「星の海ですの(嘘だろ)」

 黒。


 音がない。空気もない。


 ただ広がる闇と、遠くに散らばる光の粒。


 ……え。


 息を吸おうとして、吸えないことに気づく。


 吸えない。空気がない。鼻にも口にも、何も入ってこない。


 死んだ?


 いや、死んでない。意識がある。目も開いている。体も動く。


 なのに、空気がない。


 パニックで手足が勝手にばたつく。暴れるたびに体がゆっくりと回転する。上下がわからない。どこを見ても黒い。


 落ち着け。落ち着け田中浩介。


 ……無理。落ち着けるわけがない。


 ただ、数秒経っても死なないことだけは確認できた。呼吸できないのに、苦しくない。窒息の感覚がない。矛盾してるが、事実だ。


 体を見下ろす。深紫の着物。さっきの大広間と同じ格好。そしてその着物の上に、薄い紫色の膜のようなものが全身を覆っている。淡く光っていて、肌に触れるとほんのり温かい。


 何だこれ。


 闇術か何かか。この体が勝手に発動してるのか。さっきから口も体も勝手に動くんだから、防御術も勝手に張るのかもしれない。


 ありがたいが、怖い。


 ていうか、ここどこだよ。


 周りを見回す。ようやく目が慣れてきた。


 星。


 星しかない。無数の星。上も下もない。果てしない黒と、光の粒。


 ……宇宙?


 いや嘘だろ。


 恋トキの世界って和風ファンタジーだぞ。皇国だぞ。刀と術式の世界だぞ。宇宙なんて出てこない。設定すらない。


 転移術がどうにかなって、辺境に飛ばされるはずが宇宙に来た。


 いくら何でも飛びすぎだろ。辺境って言ったじゃん。辺境の領地。畑。スローライフ。そっちに飛ばしてくれよ。


 文句を言っても宇宙は黒いままだ。


 ため息をつく。ため息は出た。呼吸はできないのにため息は出る。どういう仕組みだ。


 ……よし。とりあえず生きてる。死んでない。紫の膜が守ってくれてるらしい。


 次にやるべきは、ここから移動すること。宇宙空間にぷかぷか浮いてても仕方ない。どこかに足場を見つけないと。


 ぐるりと周囲を見回した。


 星、星、星。金属のゴミみたいなものが遠くに漂っている。さらに遠くに、ぼんやりとした光のかたまり。


 あ。


 あれ、人工物だ。


 巨大な構造物が宇宙に浮かんでいる。錆びた金属の塊がいくつも繋がったような、不格好な形。宇宙のゴミ溜めみたいに見える。だが窓らしきものから光が漏れている。電気が通っている。人がいるかもしれない。


 あそこに行きたい。


 だが、どうやって。


 宇宙空間だ。足場がない。蹴る地面がない。空気もないから泳ぐこともできない。


 体の紫の膜が、少し薄くなった気がする。時間がない、のかもしれない。


 ステーションの方に向かって手を伸ばした。意味があるとは思えない。でも他にやれることがない。


 あっちに行きたい。行かないと死ぬ。頼む、動いてくれ。


 ……動いた。


 手のひらから、何か見えない力が放たれた。引力みたいな感覚。ステーションの方向に、体が引っ張られる。


 ゆっくりと、だが確実に、加速していく。


(え、なに今の。俺なんかした?)


 してない。行きたいと思っただけだ。それだけで体が動いた。


 ……この体、何者だ。口は勝手に動く。防壁は勝手に張る。宇宙空間を移動する力まである。恋トキの九頭竜蓮華って、こんなキャラだったか?


 違う。少なくとも俺が担当した戦闘パラメータでは、こんな規格外のスペックじゃなかった。なぜこんなに強いのか、まるでわからない。


 考えてもわからない。とりあえずステーションに向かってる。それだけでいい。


 加速する視界の中、あの不格好な構造物がどんどん大きくなってくる。近づくにつれて、その巨大さに驚いた。数百メートルはある。いや、もっとか。錆びた外壁にはいくつも穴が開いていて、破損した区画がそのまま放置されている。それでも窓の光は消えていない。こんなボロボロの場所で、誰かが生きている。


 ぶつかる。


 そう思った瞬間、紫の膜が衝撃を吸収した。


 金属の壁に激突して、そのまま壁を突き破って内部に転がり込んだ。


 べちゃ、と顔から着地した。


「痛ってぇ……」


 素の声が出た。こういう時だけ口の補正が追いつかないらしい。


 すぐに体が勝手に起き上がる。優雅に。着物の裾を払い、髪を整え、何事もなかったかのように背筋を伸ばす。


(お前今、顔から突っ込んだだろ。何澄ましてんだよ)


 まあいい。周囲を見る。


 空気がある。薄いが、呼吸できる。重力もある。弱いが、床に足がついている。


 生きてる。


 錆びだらけの通路。ちかちかと点滅する蛍光灯。配管がむき出しの天井。油と金属の匂い。


 和風皇国の大広間とは、ずいぶん違う風景だ。


 不安で胸が押し潰されそうになる。


 ゲームの知識が通用しない。口は自由にならない。なぜ宇宙にいるのかもわからない。この体がなぜこんなに強いのかもわからない。何も、わからない。


 通路の奥から、足音が聞こえた。


 とっさに身構える。体が勝手に戦闘姿勢を取った。片手が前に出て、紫色の光が指先に集まる。


(待て待て待て。俺は戦う気ないんだけど)


 足音が近づいてくる。


 暗い通路の角を曲がって、一人の青年が現れた。


 第一印象は、「でかい」だった。


 百八十は余裕でありそうな上背。ただ全体的にひょろりとしていて、肩幅はあるのに肉がついていない。くすんだ金髪はぼさぼさで、後頭部だけゴムで雑に縛ってある。目は灰色で、少し垂れ目がちだ。顔立ちは悪くないのだが、作業着の首元についた黒い油汚れと、ゴーグルを額に引っかけたまま忘れてる感じが、全体の印象を三割くらい下げている。


 汚れた作業着のポケットからは工具が何本もはみ出していて、腰のベルトには見たこともない機械部品が無造作にぶら下がっていた。手には大きなレンチを持っている。


 青年は、深紫の着物を着て紫色の光を纏った女を見て、固まった。


 そりゃそうだ。宇宙のゴミ溜めみたいな場所に、和服の令嬢が壁をぶち破って現れたら誰でもびびる。


 俺の口が勝手に動いた。


「あら。こんな薄暗い場所に人がいらっしゃるとは。お名前をお聞かせ願えるかしら?」


 もうちょっと普通に聞けないのか、この口。


 青年はしばらく固まったまま、レンチを持った手を微妙な角度で止めて、ようやく口を開いた。


「……あ、俺、ジャンクって呼ばれてます」


 ジャンク。


 ……ん?


 なんだろう。


 聞いたことがある気がする。いや、気のせいか。こんな名前、どこかで。


 頭の引き出しをひっかき回す。ジャンク。ジャンク。どこで聞いた。


 思い出せない。


 そもそも外国人の知り合いなんて一人もいなかったぞ、俺。職場も、学校も、近所も、全員日本人だった。なのにこの名前、どこかで確かに聞いている。耳に残っている。どこで。


 ……わからない。


「ここは……なに、どこ?」


 素の口調が一瞬漏れた。すぐに補正が入る。


「……失礼。こちらはどのような場所でしょうか?」


 ジャンクは目を丸くした。


「あんた……宇宙で、その格好で……どっから来たんだ」


 いい質問だ。俺も聞きたい。


「わたくしにも、よくわかりませんの」


 これは嘘じゃなかった。


 ジャンクは困ったように頭をかいた。ぼさぼさの金髪がさらに乱れた。


「ここは廃棄ステーション。みんな『墓場グレイヴヤード』って呼んでる。連邦のゴミ捨て場みたいなとこだ」


 連邦。


 聞いたことのない言葉だ。恋トキには出てこない。


 やっぱり、ゲームの世界じゃない場所に来てしまったのか。


 不安がまた膨らむ。だが同時に、目の前の青年が敵意を持っていないことだけは分かった。びびってるだけだ。こっちだってびびってる。お互い様だ。


 ジャンクが「とりあえず中来なよ」と言いかけたとき、通路の奥から別の足音が聞こえた。


 複数だ。


 重い、乱暴な足音。ジャンクの顔が僅かに強張った。


 三人の男が現れた。体格のいい、いかにもガラの悪い連中だ。ジャンクを見るなり、にやりと笑った。


「いたいた。ジャンク、先週の件、まだ片付いてないよな」


 ジャンクがレンチを握り直した。


「……今日は関係ない人がいる」


「関係ない? そっちの姉ちゃんも巻き込んでやろうか」


 男たちの視線が俺に向いた。


 体が勝手に動いた。


 一歩前に出る。男たちと、ジャンクの間に割り込む形で。


「少々、よろしくて?」


 男たちが俺を見た。


「あ? なんだお前、邪魔すんな」


「まあ」


 口が笑った。


「この場所の空気は薄いと思っておりましたわ。皆様の知性も、同様のようですわね」


 一瞬、通路が静まり返った。


 男たちの顔色が変わった。笑いが消えた。何かを感じ取ったらしい。俺の気で萎縮したのかもしれない。


 誰も動かなかった。


 俺も動かなかった。体が勝手に完璧な姿勢を維持している。視線を逸らさない。扇もないのに、完璧な令嬢の立ち姿で三人を見下ろしている。


 しばらくして、男たちが踵を返した。


 足音が遠ざかっていく。


(俺は何も言ってない)


 いや、言った。言ったけど、俺の意志じゃない。


 ジャンクが呆然と立っていた。口が少し開いている。


「……今の、なんだ」


「わたくしにも、よくわかりませんの」


(本当に)


 ジャンクはしばらく俺を見てから、ゆっくりと息を吐いた。


「……とりあえず、中来なよ。ここの空気、薄いから」


 俺は頷いた。


 頷いたら、体が勝手にお辞儀をした。完璧な角度の、貴族のお辞儀。


 ジャンクがさらに困惑した顔をした。


 ……先が思いやられる。


 ジャンクの背中についていきながら、俺はもう一度頭の中で繰り返した。


 ジャンク。


 どこで聞いた。誰の口から。


 思い出せないまま、通路の奥へ続く扉が開いた。

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