60話 嗚呼、アーヴァンチュール
カチカチカチ。
女子さんからの突き放されたような態度、ファナさんからの自分で気づいてという一言。そして、雨宮さんから言われた『わがまま』。
――うちは……、うちは! もーええ! 梶くんの好きにすればええやん!
白井さんが言いかけた『うちは』……の後の言葉は何が続いたのだろうか。
カチカチカチ……。
全国高校生お笑いナンバーワンのホームページが次々と切り替わる。
もう何度も見たし読んだ。何度も何度も、同じページに戻っている。
協賛している高校の推薦があれば地区大会でシード扱いになって、2回戦の予選に出場できる。それ以外は動画でネタを撮って申請書類と一緒に応募、選考の結果で2回戦に出場することができる。この流れはもう覚えてる。
だからこそ、画面に書いてある文字を見るたびに胸が詰まる。
その先のクリックだけは押せないでいた。
「くそ、マジでどうしようもない」
俺は両手で顔を覆い、指先に力を込めて顔面を圧迫する。
手の中の顔がしわくちゃになろうとも、ズキズキ痛くても力加減は弱めない。
――それを決めるのは先輩じゃありません。
大寺先輩に突き付けた言葉。
自分自身に刃になって返ってきた。
「どこの口がほざいてんだ。俺でもないだろうが……!」
自分を罵り続けるのはいくらでもできる。
誰からも逃げて、閉じこもって、俯いて歩いて、イラついて。
それが今までの俺だ。
今の俺の環境、正直俺には縁がないものだって思ってた。このまま一生日陰で過ごしていくんだろうとか思ってた。誰かと何かを一緒にやるなんて想像すらしたことない。
いや、それは嘘か。たくさん妄想はしてきた。
……憧れてた。
けど、そんな妬みを口に出すこともなく抱き続けるいつもの俺に戻るだけだ。それだけなのに、こうも体が拒否反応を起こしてる。
本当にそれでいいのかと自分が煽ってくる。
どっから出てくるんだよ、その俺は。
そいつは我が物顔で俺とそっくりな顔で、白井さんとの出会いやわらおー会での思い出を切り抜いてこれ見よがしに持ってくる。
「どうしてあんなこと……」
普段怒らない白井さんが感情をあらわにした。楽しかった、いい経験になった、俺じゃないみたい。
これって実は他人事なんじゃ?
「ああ、違う。違うだろ」
そこじゃない。
煮え切らない態度で『全国に行けばいい』『それが夢だから』と白井さんに俺の意見を押し付けた。
俺はいったい何様のつもりだ?
くそったれでウジウジして、改札口でも何も言えないやつがこういう場面だけでしゃべってくるのか?
もしかして、ようやく自分が退場できるだなんて、そう思ってるのか……?
「マジでいい加減しろよ。俺……!!」
馬鹿梶と言われて当然。
思い出せよ。この充実してた日々を。
そしたら前を向けよ。ファナさんも女子さんから学んだだろ。
自分に逃げるなよ。忘れられない白井さんの言葉が胸の奥にあるだろ。
『明日の放課後、大事な話があります!!』
スマホを取り出し白井さんにそれだけ打って布団をかぶって明日を待つ。
考えないように……意識しないようにしてたけど。
予選のとき、アドリブで白井さんが言った、
『梶くんと一緒にプロの漫才師になる!』
が何度も何度も。頭の中で再生されていた。
わからない。自分が何を考えているのか。
決勝戦のときの白井さんの姿と重なる。
「なんでこんなに……悔しいんだ……!」
◇ ◇ ◇
カレンダーはもう2月の頭。
10月の大喜利大会から、もう4か月経った。
「そんな前置きはいいからよ。さっさと本題に入れよ」
わらおー会の教室では全員が集まっていた。
これは単純に俺のミスだ。白井さんに打っていたつもりが、発言したのはわらおー会のグループチャットだった。
つくづく救いようのないやつと自責の念が絶えないが、女子さんとファナさんにも心配かけてしまっているし聞いてもらおうと思った。
「白井さん!」
「……う、うん」
女子さんに急かされつい白井さんの名前を大声で呼んでしまう。
名前を呼んでみたはいいものの、どう言葉にしていくかまとまっておらず、黙り込んでしまう。女子さんの呆れた溜息がする。「もう、静かに」とファナさんの小声もハッキリと聞き取れるくらい静まり返っていた。
「お、大寺先輩に、その……返事はしたんですか」
「そんな梶くんに関係あるん?」
また大寺先輩を引き合いに出してしまった。今は関係ないのに。
大寺先輩と口にした瞬間、白井さんの頬っぺたはむすっと膨れ上がる。
「関係、あります……」
出だしは最悪だ。ただ、こんな気持ちのまま毎日過ごしていくのはもっと最悪だ。俺は変われるのではと、きっかけをくれた白井さんに対して、自分から離れていくなんて。俺は一体この4カ月で何を経験して、何を学んできたんだ。
「大寺先輩と組まないで欲しいから、です」
俺に先が見えてなかったからだ。E-1のことしか考えてなかった。その先のことなんて何も考えてなかった。いや、考える覚悟がなかっただけか。
白井さんも女子さんもファナさんも自分のやりたいことがあって、これで終わりじゃない。当たり前だ。
こんなにも彼女たちの未来は明るい。俺だってそうだ。ビビッて閉ざして、まるで人生の終着点みたいな顔してる。高校二年の俺がだ、あほ過ぎる。
「梶くんがそうせえって言ったんやん! なにそれ意味わからん!」
「はい……、僕が言いました」
「梶くん。……無理しなくてもええんやで。決勝も終わったし、梶くんがこれ以上うちに付き合う理由なんて……どこにもないよ」
力が抜けたように白井さんの声は穏やかだった。
「元はと言えば、うちが梶くんを無理やり引っ張っただけやもんね。なんかうち、ずっと一緒にやってきた戦友みたいに勘違いしてもーてた。……ほんまは梶くんがうちのノリに乗っかってくれてただけやのにね。……ごめん」
違う、違うんだ白井さん。どうして喉まで出てきてるこの言葉が出ない?
「梶くんには感謝しかないのに。大寺先輩と組んで大会出ることは、梶くんがうちの夢を本気で応援してくれる親切心だってわかってたのに……あはは、なんやろ、変な気持ちになっちゃって」
「僕だって白井さんには感謝しかありません!」
絞り出した声は、潤いなんかないくらいカラッカラのしわがれた音だった。
「無理やり引っ張られたわけでも、乗っかっただけなつもりもありません! 僕が、僕が白井さんと一緒にやってみたいって思ったんです。僕の意志です!」
頭が混乱して何を言うかはちゃめちゃになってしまう前に、言わなくちゃいけないことを言おう。伝えたいことをまず先に伝えなくちゃ、後になればなるほど理由付けみたいになって、みっともなくなってしまう。
「どうしても大寺先輩と僕で比べてしまってました! 勝手にそれが最善だと思って押し付けてました! 僕には……二人みたいな夢も覚悟もなかったから! それが白井さんにとってどんな思いをさせるか考えもせずに……!」
ふくれっ面の白井さんはとっくにいなくなっていて、じっと大きな瞳で俺を見続けていた。前髪にちょっと隠れた上目遣い。俺は目を離さずに言葉を続ける。息ができているかはわからない。
白井さんが俺に声を掛けて、今まで俺に対して言ってくれた言葉を全て思い出せ。
白井さんはお笑い同好会のこととか大寺先輩のことを羨んでたりしたか?
――ない。
白井さんはずっと俺を見てくれて、どこまでも明るくて優しくて真っ直ぐだった。どんなことでも否定せず、肯定してくれて一緒になって悩んでくれた。
予選でやりきった後の興奮が何よりの証拠だろ。
脳裏に浮かぶのは、全国高校生お笑いナンバーワンのホームページで、俺が躊躇して進めなかったページの文字。
【一般応募はこちら】
――それがなんだと思われるかもしれない。
けど俺にとっては、その門をクリックすることですら手が震えるんだ。
ここをクリックするってことは、俺自身と向き合わなくちゃいけないことだから。
正直に言うと怖い。
俺ごときがこんな夢持っていいのかって。
「《《僕》》、お笑いがやりたいです。力が足りないならつけてみせます。だからこの先も、白井さんの相方で、アーヴァンチュールで、一緒にやっていきたいです。《《僕》》の夢もお笑い……白井さんと同じです!! 一般参加で全国高校生お笑いナンバーワン参加しましょう!!」
感極まって涙が出そうだったから頭を下げて床を見た。
「だから……だから」
短く息を吐いて、両手に力を込める。
「《《僕》》と一緒にお笑いやりませんか!」
そして、俺の決意と白井さんへの想いを込めて、今まで生きてきた中で一番の大きな声を出して本気で自分の気持ちを伝えた。
……。
「僕、僕、僕って……!」
くつくつと白井さんの笑い声が聞こえた。
「ここで僕三連発言う? も、もう、あかんて……あっははっ!」
ちらりと顔を上げ白井さんの様子を見ると、八重歯を見せながら笑っていた。
「はーっ! うちの弱点。梶くんに振り回されちゃうってこと! だって梶くん、うちのツボなんやもん」
けたけたと笑いだしたら止まらない白井さん。
落ち着くまで少しだけ待った。
「……セリフが飛ぶなんて経験はほんまに勉強になった。やから、うちはもっと成長できる。むしろ飛んでよかった。あの状況はうちにとって最高の経験やった。うちもまだまだ力は足りひんけど、うちはやりたい人と一緒にお笑いをやる。これだけは譲れないし変わらへん」
「……白井さん」
ぴょん、と白井さんが小さくジャンプして近づいてきた。
「そんなにうちと一緒にお笑いやりたい?」
「は、はい……やりたいです!」
白井さんの少し釣り上がった大きな瞳には、爛々と輝く十字の模様。
夢と期待とポジティブをいっぱいに宿した二つ星で俺にこう言ったんだ。
「ふふー。じゃあ他には? まだまだそんなんじゃ、うちは誘われへんで?」
意地悪な笑顔。
白井さんに合わせるように女子さんもファナさんも笑った。
「おらおら、ナイトメア! そんなんじゃ足りねえってよ!」
「先輩っ! このままじゃ大寺先輩に取られちゃいますよっ! ふふっ」
「あ、あ、えーと、もう二度とこんな変なこと言いませんから! 白井さんからもういいって言われるまでついて行きますから! 言われないためにもっともっとお笑いのこと勉強して頑張りますから!」
三人がそれぞれの笑い方で爆笑する。
なになに、これでもない?
どどど、どうしたら。
「好きなんです!」
「ふぁーーっ!」
いち早くファナさんが甲高い声を上げた。
「好き?」
「あっ、そうじゃなくて、お笑いがです、お笑いが好きなんです!」
「そうじゃないってなんやねん! うちのことは嫌いなの?」
「そそ、そんなわけないじゃないですかっ!」
「なら言って? うちのことは?」
「白井さんは小っちゃくて子供みたいに無邪気で、声も可愛くて、優しくて!」
「好きか嫌いかどっちって聞いてんねん!」
「みんな好きです……!!」
生殺しだ!
俺の慌てふためいた様子をからかい続けられ、
「てめえ、やっぱ下心満載で来たんじゃねえか! 女子代表として容赦しねえ! ハーレム作ろうってか、あァ!? そのむっつり根性叩き直してやる!」
と女子さんにサンドバックにされ、それをみんなに笑われながら、少しずつ元の形に戻っていく。
「ほんま、梶くんはどうしようもないやつやな!」
少しだけ変わったことは、白井さんはなにやら嚙み砕いたような態度でからかってくることになったくらい。遠慮の壁がなくなったというか。
「いたいっいたいですって!」
「あははは!」
白井さんの笑顔の解像度が高くなった気がする。
これってつまり、距離が近くなったってことだよな。
――ほんと、俺は素直じゃないし自分に自信も持てないし卑屈だし、どうしようもないな。でも、この時間は何よりも楽しいのは間違いない。
「ほらほら梶くん! 誘い文句はまだ決まってへんで! なんでうちとお笑いがしたいん? ねえねえ」
白井さんの声も表情も日差しが出たみたいに明るいテンションに変化していく。
雨宮さんはすぐに許してたのになんで俺だけ!
なんて冗談も俺の心の中出てくるほど、モヤモヤとした俺の気持ちも晴れてきた。
「そ、そんないじめないでくださいよ!」
わらおー会の教室は俺が文化祭の後初めて入った時みたいな明るくて、みんなの個性がヒシヒシ伝わるくらい賑やかで、笑いで満ちていた。




