56話 運命の決勝戦② 燃やし尽くせ
「……ごめんね」
何に対して謝っているのかわからなかった。
俺は足を止め聞こうと思ったが、ステージへの階段を先に上り始めたところで俺を待っている。
その小さな背中は今、何を感じて何を思っているのだろうか……。
「頑張りましょう白井さん! 勝ちますよ!!」
勇気を出して白井さんの背中を叩くまではいかないが、トンと触れ俺の熱意を伝えようとする。アーヴァンチュールの漫才を、力いっぱいぶつければどんな冷めた空気だって熱くすることができる。
出し惜しみせず燃やし尽くすんだ。これまでの練習の成果を。
「……うんっ!」
静かな観客席では、登場が遅れている俺たちに対して「逃げてんのか」とか、一部の生徒の声がステージまで届く。
運営か先生が黙らせるか退場させてくれよと心から願う。
基本的に無視して静観しているのがモヤモヤする。
ステージに立った瞬間、俺たちの存在が添加剤になっているようで支離滅裂な言葉が浴びせられる。まばらな拍手はあった。
俺は観客の顔を見てネタを披露すると頭が真っ白になるので、上を向いて台本の文字だけをイメージするのだが、今に限っては真っ白になるどころか観客たちの表情が見えず、まっ黒な景色が広がっている。
ざわ……ざわ……。
あるのは私語と、値踏みするような視線だけ。
俺たちを――いや、俺の隣に立つ白井さんを、「悪者」として見ている。
リッカさんの投稿は削除された。訂正もされた。
でも、生徒たちの記憶に焼き付いた「面白半分の悪意」は消えていない。
「大ぶちかましてやりましょう、白井さん!」
「……」
深呼吸を繰り返している白井さんは小さく頷く。
俺も震えそうになる膝に力を込め、マイクの前に立つ。いつものようにマイクの高さを合わせる。隣を見る。白井さんは俯いたまま、動かない。
「白井さん?」
目が合わないとスタートできない。
「あ、うん、い、いこ。大丈夫、こんなんへっちゃら。うん、これくらい……」
(……こんな白井さん見たことがない)
このまま続けていいものか一瞬ためらう。
けどやるしかない。きっと始まったらスイッチが入り、「なりきる」はずだ。
予選のときのように、言葉が踊り続けて俺はそのリズムに合わせるだけで笑いが生まれる。
白井さんにアイコンタクトを送ったあと、観客側に向けて第一声を張り上げた。
「どーもー! アーヴァンチュールです!」
俺の声だけが、虚しく反響した。そこに白井さんの声はなかった。
白井さんは引きつった笑顔のまま硬直したように動いていない。
今回、ステージの端には審査員たちが座っている長机があり、5人の審査員はそれぞれ頬杖ついたり、メモしていたり一挙手一投足を観察している。
「ほんまごめん、梶くん……。うち、飛んじゃった……うそやろ……」
白井さんは俺を見上げると唇を震わせていた。
懸命に開いた両目には零れそうなくらい涙が溜まっている。
初めて見る白井さんの表情に、吸い込んだままの息が吐き出せなくなり肺の中でぐるぐると回っているようだった。
「泣いてんの?」
「うわ、被害者ぶって同情買おうとしてんじゃね?」
「かーえれ! かーえれ!」
容赦のない言葉はどこから吐き出されているのかわからない。
ただ、白井さんの瞳は、涙こそ流れないが零れそうなほど揺れている。
何かを喋ろうと口を開くが、そこからネタのセリフが出ることはなかった。
「セリフが思い出せない……、どうしよ、どうしよ……」
片手で頭を押さえながら何かを訴えるように俺を見上げる白井さん。
白井さんはとっくに限界だったんだ。
それでも舞台に立てば「なりきって」やり通せると信じていた。
周りの遠慮のない言葉、SNSでの誹謗中傷、視線、無視。
どれに対してもなんともないと笑顔で受け止めていて、雨宮さんのことだって自分が悪かったと更に自分を追い込んだ。
白井さんの際限のない優しさは、自分を閉じ込めることでできていた優しさだったのかもしれない……。
挨拶してからどれくらい経っただろうか、司会者が止めに入ろうと動き出しているのが視界の隅に入った。
棄権、しよう。
このまま時間いっぱいまで立ち尽くしたところで白井さんをもっと追い込むだけ。
「うちどうしたら……あかん何も出てこん」
「前のネタ、踊り場のネタも出てきませんか?」
「あ、あ、えっと……えと……」
マイクに拾われないように小声で素早く会話する。
白井さんは混乱した表情で俺を見つめ続けている。
セリフが飛んだ。でも……、どうして……?
そんなのこの空気のせいに決まってるじゃないか。
俺たちの、アーヴァンチュールの戦いは終わった。
せめて、笑顔で「ありがとうございました」と審査員と観客に頭を下げよう。
よく頑張った俺も、白井さんだって。
今回は仕方がなかった。
予想もしない事態になったし、それについての追及も白井さんが許した以上、俺が口出すことではない。
ここまでよくやった。上出来だ。だって俺はお笑いなんてやり始めてまだ数か月で、白井さんはまだ高校一年なんだ。及第点どころか満点だろう。
本当に?
脳裏に、大寺先輩の言葉が蘇る。
『お前が彼女の未来を閉ざした』
――それで終わっていいのか?
いいに決まってる。
白井さんはネタをやれる状態じゃない。
無理してたんだ。
舞台に立たせてからようやく気付くってマジで終わってる。
もっと早く、感づいてやるのが相方ってもんだろ!
――興味本位だけで彼女の隣に立っているのなら、それは彼女の夢を遠ざけている行為と同じだ。
――お前は相応しくない。
「……白井さん」
俺の頭に雷が落ちたようだった。
「僕の顔だけ見ててください。僕が全部やります……!」
閃光がほとばしり、世界から白井さんの笑顔が飛び出してくる。
――梶くんがいいんです!!
白井さんは真っすぐな瞳で、零れ落ちそうなくらいな笑顔で俺にそう言ったんだ。
「ナイトメア!! てめえそんなんであの子から『〇』もらうつもりかよ!! ざけじゃねえぞ!!」
ずどんとした衝撃で頭が揺れる。
退場した先で女子さんが猛々しく吠えた。ステージに上がって胸倉を掴まれそうな勢いだ。
叩き起こされて思い出す。病院の、『✕』印の、笑わなかった少女と女子さんのことを。
……はい、そうですよね! また『✕』つけられちゃいます。
「先輩……!! 攻撃あるのみですーーっっ!!」
観客席から意を決したファナさんの透き通った声が頭を貫く。
ここからでも顔が真っ赤で頭から蒸気が出ているのが分かる。
シリアルの、大会の、自分を認めて一歩踏み出したファナさん。
あのときのファナさんの姿は本当にカッコよかった。
「その通りですね……、このまま終われるかっ!!」
自分に檄を入れた。
時間は、まだある。
持ち時間があるなら、アーヴァンチュールとしてのネタはまだ終わってない!
「この子、白井さんっていう僕の後輩なんですけど皆さんご存じですよね? なんていったって予選で人気投票第一位なんですから!」
そう言って、マイクの高さを上げながら、俺は喋り出す。
白井さんの方に左手を差し出して相方の紹介をする。
「それに比べて僕、梶っていうんですけど覚えてますか? アーヴァンチュールが一位ってことは、実は僕も一位だったんですよ。たぶん皆さんには見えてなかったんだと思いますけど、コンビなんです」
その手を自分の方に向けて、申し訳ない素振りをするために後頭部に。
「なので、今日は白井さんから言われたんです。うちはしゃべらんから梶くんが全部喋ろって、相方思いの後輩ですよね。僕の存在感を優先するために、この場を譲ってくれたんです。でもこう付け足してましたね。『うちは喋らんでも目立つから』って。羨ましい」
すうと息を吸い込む。
「ははは、僕はこんだけ喋ってるんですが聞こえてますか? 聞こえて……? ない! はい! ということで、僕、ここで宣言します。――僕は伝説の男になる!! 訂正します。伝説の男になりたい!!」
白井さんはきょとんと目を丸くして、何度か瞬きをしながら俺を見続けている。
そのままの勢いで、思い浮かんだ言葉をかみ砕かず声にしていく。勝手に出てくる口に自由を与え、その間に最後のオチをどう組み立てるかだけを考える。
白井さんが俺のネタを公開テストしてやるという体で、俺の一人芝居が始まる。
アーヴァンチュールのネタは、ここからだ――!!




