54話 白井ほのかは裏切らない
「そっか……理羽ちゃんやったんや」
一度、二度。白井さんは頷くと静かに口を開いた。
「ほのか。私のところに戻って来て、もう二度と裏切らないって誓えば許してあげるし、投稿だって消してあげる」
雨宮さんの言っていることは理解不能だった。極端すぎる。
これが彼女を取り戻すやり方なのか?
ただ単純に喋りかけて、「ごめん」の一言で済む話じゃないのか?
もどかしい気持ちが頭の中を駆け巡るが、白井さんと雨宮さんがどんな仲だったのかも知らない俺が口出しするのは、それもまた場違いだと思う。
「お笑いなんてやめて、私と一緒にいよう? ほのかはやっぱり私と一緒にいなきゃだめなんだよ。私がずっと隣にいてあげるから、こんなくだらいことなんて」
雨宮さんの表情は少しずつ曇ってきているようで自分に酔っているような、とろんとした目つきになっている。
「ごめんね。理羽ちゃん」
にこりと白井さんは笑う。
「うち、理羽ちゃんに嫌われた思ってたから、うちから声掛けるのためらってた。うちのこと嫌いなら、喋りかけられるだけで嫌な思いさせちゃうの辛いし……」
一歩、白井さんが雨宮さんに近づいた。体を捻って雨宮さんは横向きになる。
「本当にごめんね。うちが勝手に勘違いして距離置いてたんやね。うちのせいで嫌な思いさせちゃってたんやね。うちは、ずっと理羽ちゃんのこと友達やと思ってるんやから。小学生のころ言ってたやん、忘れちゃった? うちらずっと親友だよって」
「忘れるわけないでしょ。だったら、そんなことは今すぐやめて、私ともっと特別な仲になってよ。私だけのほのかでいてよ!」
白井さんは雨宮さんの目の前まで近づいていた。小さい白井さんは見上げながら笑顔を絶やさない。
「本当に親友だっていうなら今この場で誓って。私から離れない、私しか見ない、私としか話さないって! じゃないと、もっと写真をばら撒いてやるんだから!」
白井さんが近づくにつれて雨宮さんの表情が泳ぎ出し、支離滅裂な言葉を連発する。二人の顔はもう息が掛かるほど接近し、白井さんは笑顔、雨宮さんは焦りも怒りも複雑に混ざった顔で見つめ合っている。
「それは……ごめん。無理だよ」
「ほら!」
「だから、理羽ちゃんの好きにしていいよ。理羽ちゃんがそうしたいんなら、止めないし、うちは何にもいわない。でも、うちは、理羽ちゃんを親友だと思ってるのは変わらへんから」
「な、なによそれ……! そんなの親友って呼ばないって言ってるじゃない!!」
「うちは理羽ちゃんを裏切ったりしない!」
雨宮さんが声を上げると、同じくらいの声量で白井さんも叫んだ。
「理羽ちゃんがしてほしいこと、ぜんぶはできひんけど、傍にいるよ。でも――」
俺には理解できないけど、それが雨宮さんの白井さんに対する想いの表れなのかもしれない……。
「うちは、お笑いが大好き、なんだ」
白井さんは雨宮さんの両肩にそっと両手を置くと、ゆっくりとしたテンポで語りかける。俺からの位置では雨宮さんの表情は白井さんの腕に隠れて見えないが、黙って聞いているように感じる。
「そんでお笑い芸人なって、たくさんの人を笑わせたい」
白井さんの夢……。覆いかぶさるように大寺先輩の言葉が蘇り慌てて振り払った。
「理羽ちゃんがうちのことが大嫌いで、少しでも嫌な気持ちが晴れるんなら、理羽ちゃんの好きにしていい。それはうちが、理羽ちゃんを傷つけちゃったってことやから」
白井さんの言葉に俺の胸が苦しくなる。
どうしてこんなに優しくできるんだろう。好きなようにしていいだなんて、俺には到底言えない。
「どんなことがあっても理羽ちゃんと友達で親友なのは変わらへんから」
「どうして怒らないの……。なんで、いつもあんたはそうなのよ……」
「だって怒ることなんてないもん。うちが悪いんやから」
「そんなの!! 私が、バカみたいじゃん!!」
そう言うと、白井さんは雨宮さんを抱きしめた。
雨宮さんは腕をだらんとさせたまま、突き放すわけでもなく受け入れているように見える。
「寂しい思いさせてごめんね」
「…………」
「うちは、お笑いも、理羽ちゃんも好き。みんな好き。あはは……それじゃ、だめ、かなあ?」
がくりと雨宮さんの膝が曲がった。抱きかかえるみたいに白井さんもしゃがみ、更にぎゅっと抱きしめている。雨宮さんの両手が弱々しく白井さんの背中に回る。
白井さんの誰も恨まない、怒らない。
自分が悪かったと相手を肯定する。
でもそれって、本当に優しさなのだろうか。
けど、それが白井さんなんだ――
◇ ◇ ◇
抱き合った状態がしばらく続いて、俺は黙って邪魔にならないよう見ていた。
時折鼻をすするりながら喋っている声が聞こえるが何を言っているかまでは聞き取れない。
雨宮さんは立ち上がると、顔を伏せたまま教室を立ち去ろうとする。
「……」
俺の横を通り過ぎた時、僅かに俺に向かって上げた顔と目が合うと雨宮さんは相変わらずのジト目で俺を睨むように見ていたが鋭さはなく、瞳が潤んでいた。
お互い何も声を掛けず、雨宮さんは静かに出ていく。
「……梶くんは知ってたんやね」
「はい……」
白井さんは「そっか」と笑い、椅子に座る。俺も近くの席に腰を下ろした。
俺は白井さんに俺がハルを名乗って配信していて、そこに偶然リッカさんが遊びに来てくれたこと、それが雨宮さんだと気づいていたことを説明した。
あと、雨宮さんが何かをしようとしているかもしれないと感じていたけど、気のせいだと思い込んで動けなかったことも。
「すみませんでした。僕がもっと早く白井さんに言っていれば、こんなことには……」
「ちょっとちょっと、何言ってんの梶くん。そんなの誰にもわからへんやん。梶くんは悪ないよ」
白井さんと雨宮さんの仲は古く、俺にはわからない事情もたくさんあるんだろう。
そうだとしても、俺は気になった。
白井さんの底が見えないくらいの明るさはどこからくるのだろう。
「白井さんはその、怒ったりとかしないんですか……?」
誰かの悪口を言っているのを聞いたこともない。
いつも笑顔で、たまに拗ねたりするけど、常にその場の空気を読んでいる。
まるでどんな感情も雰囲気も、自分の原動力に変換しているような。
思えば文化祭の大喜利のときだって、もしかしたらスベッた俺を……って、どうして俺が凹んでるんだ。情けなさすぎだろ、俺。
そんなんで白井さんの相方として隣に……。隣、に……。
「怒ったりかあ。うーん、梶くんが勝手に理羽ちゃんのところに行って、問い詰めようとしてたのは怒ってるよ」
「す、すみませんっ! あれは僕なりになんとかしたいと思って……いや、でも。軽率だったかもしれません」
「って、うそうそ、冗談やって! あはは、そんな顔せんといて! 梶くんのおかげで理羽ちゃんとお話しできたんやから、むしろ感謝してる。ありがと、梶くん」
「……あ、いえ……そんな」
いつもこの白井さんの柔らかくて、固まった体を解してくれるような愛嬌のある笑顔にほだされる。やっぱり凄いよな、白井さんは。
「誰かが嫌いとか悪口ってさ言うのは簡単やけど、うちはそんなの笑いで吹き飛ばしたいんよ。変な空気だって、落ち込んだ気持だって、あーバカらしいなあって思って、それならこいつら見て笑ってた方がマシやん! なんて思わせたい」
口元は微笑んだままだったが、白井さんの瞳が震えているように見えた。
「白井さん……」
「へへ……まあ、そんなわけで時間ないけど決勝のネタ考えなおそ? だって踊り場で全然ウケへんかったし、同じネタやるわけにもいかんやろ?」
「ですね……! いい予行演習でしたね!」
「やんな! むしろ助かった! なんて!」
気を取り直して、限られた時間を使い、ボケとツッコミの内容を変更するために白井さんはスマホを、俺はネタ帳を取り出す。
「この空気を利用するのはどうですか?」
「……ん、というと?」
「諸刃の剣かもですが、この向かい風をメタったボケにするんです!」
「それいいな! ナイスアイデアや梶くん! さっそく詰めてこっか!」
落着したように思えた。この時は。
だが、一度放たれた疑念は当の本人とは知らない所を跳ねて、跳ねて、他所に広がり続けていた。
それがどんな影響を及ぼすか、その時の俺はまだ知らなかった。




