第6話 嘘のつけない尻尾
ルルは約束の時刻より早く来た。手には小さな包みを持っている。
「おしぼりを畳む前に、手を拭いた方がいいと思って」
包みの中には、自分で洗った布が二枚入っていた。
「ありがとう。でも、手を拭く布はお店にあるから、次からは持ってこなくていいよ」
私はルルをカウンターの内側へ通した。ヘルガはちょうど、昨夜ルルが磨いたグラスを棚から出していた。
「今日は皿も拭いてもらうよ」
「はい」
ルルは元気よく返事をした。
「じゃあ、お客さんが来たときの練習、しよっか」
そう言うと、ルルは尻尾の先を握った。私はまず、おしぼりを差し出してみせる。ルルが客役になり、それを受け取った。次に役を入れ替えると、彼女は両手でおしぼりを持ったまま、何と言えばいいか迷っている。
「普通に渡していいよ。お客さんが話し始めたら、聞けばいいから」
「面白い返事ができなくても?」
「毎回できてたら、私の給金はもっと高いよ」
ヘルガがこちらを見たので、私は棚から練習用のグラスを取った。客の話に返事をするとき、私がよく使う言葉を教える。
「『さすが』『知らなかった』『すごい』『センスいい』『そうなんだ』。最初の音を並べて、さしすせそ」
ルルは指を折って覚えようとした。私が客のつもりで「昨日、畑でカボチャを採ったんだ」と話すと、ルルは「知らなかったです」と答えた。
それだけでは話が終わってしまうので、どれくらい大きかったのか聞いてみるよう教える。二度目には「さすがです」と言えたが、私が持って帰る途中で落として割ったと付け足すと、また困った。
「言葉を全部使おうとしなくていいの。ちゃんと聞いて、聞きたいことがあれば聞けばいいよ」
「それなら、どれくらい大きかったか聞いてもいいですか」
「うん。その方が私は話しやすい」
ルルは指を下ろした。続けて、言わない方がいい言葉もあると教える。私は紙を一枚出し、「たちつてと」と書いた。
「『たいしたことない』『違う』『つまらない』『適当』『とっくに知ってる』。思っても、そのまま言わないこと」
「たいしたことないね、その講座。違うと思えば言うし、話がつまらないなら適当に聞けばいい。とっくに知ってる話だってあるだろ」
横からヘルガが言った。
「五つとも言いましたね」
「覚えやすいだろ」
ルルが笑った。
「あたしまで毎回褒めてたら、店が持たないよ」
「ママの真似は、慣れてからにしてね。初日でお客さんを帰さないで」
ヘルガは鼻で笑い、ルルはもう一度指を折って「さしすせそ」を確かめた。
「あと、お客さんに『一杯どう?』って勧められたら、お礼を言っていただいていいからね。女の子のドリンクは別料金なの」
「私も飲んでいいんですか?」
「うん。苦手なら薄めに作ろう」
開店後、最初に来たのは中年の男の客だった。近くで馬具を作っているらしく、店に入るとすぐヘルガに仕事の話を始める。ルルは私の後ろでおしぼりを持ち、男が席に着くのを待っていた。
「新しい子かい」
「ルルちゃんです。今日が初日なの」
私が紹介すると、ルルはおしぼりを渡し、名前を告げた。それから男の隣の椅子に腰を下ろす。声は小さかったが、男には聞こえたらしい。水割りを一杯飲んだところで、彼は私とルルにも飲むよう勧めた。
「二人とも一杯どうだい。初日のお祝いだ」
「えっ、いいんですか。いただきます」
私は自分のグラスに薄い水割りを作った。ルルも私の手元を見てから、ヘルガに酒の量を確かめて注ぐ。男がグラスを寄せると、ルルは片手で持ち上げ、さっき教わったとおり「いただきます」と言って口をつけた。
ルルのグラスは小さいが、酒も入っている。男が馬具の修理について話す間、彼女は時々それを飲んだ。私は自分の分をさらに水で薄め、酒を作る合間に付き合う。男は二人の飲み方など気にせず、革を柔らかくする油を替えた話をしていた。
「この前、若い冒険者に馬の鞍を持ってこられてな。馬に乗ったことがないのに、先に鞍を買ったらしい」
「それで、直したんですか?」
ルルが聞く。男は、壊れていない鞍を直せと言われても困る、と笑った。せっかく買ったから何か手を入れてほしかったらしく、最後は革を磨いて返したという。
「その人、馬は買えたんでしょうか」
「そこまでは聞かなかったな。うちの工房へ来る前に馬を買ってくれりゃいいが」
ルルは男の顔を見て笑った。尻尾も椅子の下でゆっくり動いている。私は男のグラスへ水を足し、次にルルのグラスを見た。彼女はまだ半分ほど残していたので、そのままにした。
しばらくして男が、サキュバスなら夜の仕事は得意だろう、と言った。ルルの尻尾が椅子の脚に巻きつく。
「夢に出てきて、男を寝かせないって聞くけど、本当かい」
ルルはグラスを置き、私が助けに入るより先に答えた。
「私の場合は、すぐ眠くなる人が多いです」
「そりゃ助かるな。うちの親方にも頼みたいよ。夜中まで店のことを考えて眠れないって言ってるから」
「……親方さんなら、眠れるかもしれません」
男は笑って水割りを飲んだ。ルルも笑顔を保っていたが、尻尾は椅子の脚をぎゅっと締めている。私は空いた小皿を下げるついでに、彼女のそばへ寄った。
「大丈夫?」
「はい。眠くなるのは本当ですから」
ルルは椅子の脚に巻きついた尻尾をほどきながら、小声で尋ねた。
「次にああいう話になったら、ミナミさんを呼んでもいいですか?」
「いつでも呼んで」
男はもう革の話に戻っている。
入口の鈴が鳴り、ホネさんが入ってきた。兜を預け、持参したバケツを私に渡す。ルルは慌てて立ち上がり、カウンターの下からおしぼりを取った。ホネさんがいつもの席に着くと、その前へ差し出す。ヘルガは火酒を注ぎ、ホネさんはグラスを受け取った。ルルも男の隣の椅子へ戻る。
グラスの縁が二度鳴った。ルルの尻尾が、今度はぴんと立つ。
「ホネさん、何かお話したいことがあるんですか」
「いや」
火酒が骨の間からバケツへ落ちる。ルルはそれを見てから、私の袖を引いた。
「あの、二回鳴らしたら、私が何かお話ししなきゃいけない合図ですか?」
「違うよ。ホネさんはいつもそうやって飲むの」
「そうなのか?」
ホネさんはグラスを置き、首をかしげた。ヘルガが瓶に栓をしながら口を挟む。
「あんたの飲み方を、こっちに聞くんじゃないよ」
ルルは謝ったが、ホネさんは気にせず、もう一杯頼んだ。
「今度は、先に鳴らすと分かっていれば驚きません」
「そうか。気にしなくていい」
ホネさんは次の一杯も飲み干した。ルルは口元を押さえて笑い、尻尾の先がようやく椅子から離れた。
男はホネさんの火酒を見て、自分も強い酒を頼むか迷った末、いつもの水割りをお代わりした。それから、作業場で使う革の話を再開する。同じ油でも天気によって染み込み方が違い、雨の前には馬具を一枚ずつ見直すのだという。
最初のうちはルルも質問したが、三種類目の油の話になると、返事が「そうなんですね」に揃い始めた。
私はほかのグラスを拭きながら聞いていた。男が革の切れ端を持ってきてくれたら、油の違いも分かったかもしれない。ルルは笑顔で相槌を打ち続けているが、椅子の後ろに見える尻尾は、床へ向かってすっかり垂れていた。
男が次の話へ移ろうとして、それに気づく。
「ルルちゃんの尻尾に『つまらない』って言われる方がきついな」
「そんなつもりじゃ……」
ルルは振り返って尻尾を持ち上げた。手を離すとまた下がる。男は笑い、長く話しすぎたからそろそろ帰ると言った。
ルルが馬具職人の勘定を受け取っている間、私は席を立ったホネさんから今夜の勘定を受け取り、入口で兜を返した。ホネさんはバケツを持ち、男より先に店を出ていく。
「いってらっしゃい」
ヘルガの声に馬具職人は振り返り、軽く手を上げて帰った。ルルは空いたグラスを集め始めた。
片づけながら、ルルは何度も自分の尻尾を見た。
「顔は笑ってたんですけど」
「うん。受け答えもちゃんとしてたよ」
「次は、尻尾も動かさないようにします」
「たいしたことないね。客の話を聞いてたんだろ」
ヘルガはそう言って、空いたグラスを私に渡した。ルルが私を見る。私はグラスを洗い場へ運んだ。今のは「た」だ。




