第4話 割れる水晶
アンナが入ってきたとき、私は客を迎える声を出しかけてやめた。ギルドの受付でいつも髪をきっちり結っている彼女が、今日は受付の制服のまま泣いていたからだ。扉を閉めると、涙を拭いもせずカウンターへ来る。
「今月、三個目です」
「何が?」
「測定水晶です」
ヘルガはアンナの前におしぼりを置いた。アンナは両手で握り、しばらく顔に当ててから、ようやく椅子に座る。冒険者登録の際に能力を測る、ギルドの備品がまた割れたという。水晶は、ギルドが等級を認定するために使うものだ。
「受付へ来るなり、『ステータスオープン』って叫ぶんです。窓口の前で」
私はアンナの方を向いた。ヘルガは棚からグラスを出しながら尋ねた。
「何を開けるんだい?」
「さあ。叫んだ方も、自分の目の前に何か出ると思ってたみたいです。出ないから、私が出し惜しみしてるんじゃないかって」
今月水晶を割った三人とも、初めてギルドへ来たのに手続きの順番を知っているつもりだったらしい。
登録用紙を渡す前から最上位ランクを希望し、測定に進めば、いきなり強い光を放つ。
「今日の人なんて、水晶が割れた音で職員が集まったら、『俺、何かやっちゃいました?』ですよ」
「やったよ、って答えたの?」
「はい。水晶を割りましたので、と。そしたら、そういう意味じゃないって顔をされました」
私はアンナの前に水を置いた。聞き覚えのある台詞ばかりだったが、どこで覚えたのか話しても、アンナには通じそうになかった。
怪我人は出なかったそうだ。ただ、破片を拾っている間も、本人は「この世界では測れない力なのか」と聞き続け、掃除が終わるまで椅子で待ってもらったという。
「その水晶、いくらするんだい」
ヘルガが酒瓶を持ったまま尋ねる。
「一個、金貨三枚です」
ヘルガの手が止まった。私は今月三個目という言葉を、頭の中で数え直す。ギルドの備品なのでアンナが弁償するわけではないが、壊れた経緯を記した報告書は受付担当が書く。前の二枚も、アンナが書いたという。
「一個目は、何て書いたの?」
「『測定中の破損』です。二個目は『測定中の破損、前例あり』。三個目をどう書けばいいか、もう分からなくて」
「『また破損』でいいんじゃないかい」
「ママ、報告書ですよ」
アンナはおしぼりから顔を上げた。ヘルガが水割りを作ると、礼を言ってひと口飲む。
「二個目のあと、対策は考えなかったの?」
「上司には相談しました。強い光が出たら測定を止めることになったんです。でも、今日の人は水晶に触れた途端に割れて。止める間もありませんでした」
アンナは指先でグラスを回した。水晶を別のものに替える案も出たが、測定しに来る人全員を違う方法で調べるわけにはいかない。どの人を先に上司へ回すか、その目安がなかったらしい。
「客の方に水晶の代金を預けさせたらどうだい」
「普通に登録へ来た人から、金貨三枚も預かれません」
「じゃあ、箱に入れたまま測るとか」
「入口に『水晶を割る方お断り』とでも貼っときな」
ヘルガの案に、アンナはまたおしぼりを顔に当てた。
「割る前に分かるなら、断りません。先に上司を呼びます」
私は彼女がさっき挙げた台詞を思い返した。
今月の三人とも、受付で「ステータスオープン」と言ったのか確かめた。アンナによると、言い方までそっくりで、ほかの客からは聞いたことがないという。
「じゃあ、それを言った人には、すぐ水晶を渡さないようにしたら?」
「叫んだだけで測定を断るわけにはいきませんよ」
「断らないの。別の測り方が必要か、先に上司へ相談するだけ。また普通の水晶を割られたら困るでしょ」
アンナはグラスを置き、顔を上げた。
「それなら、受付用の確認事項を作れますね。例の言葉が出たら、水晶を渡す前に質問して、必要なら上司を呼ぶ」
「そうそう。本人に申告してもらうのは難しそうだし」
「きっと『特別な俺に普通の手続きなんて必要ない』って言われます」
「受付の仕事が一つ増えたね」
ヘルガが笑うと、アンナは首を振った。
「水晶が一個減るよりましです。言葉だけで決めつけず、何を測りたいのかも確認します」
「少なくとも、今日みたいに私一人で水晶を渡さずに済みます」
「それなら明日、相談できそう?」
「はい。報告書にも、次からどうするか書けます」
ヘルガは、三枚目にしてようやく「また破損」の次が書けるね、と言った。アンナは笑いかけたが、報告書がまだ一枚残っていることを思い出し、グラスを飲み干した。
鞄を足元へ下ろすと、中から封筒が覗いた。今日ギルドで受け取った、同僚の結婚式の招待状だという。
「同じ日に受付へ入った人なんです。あちらは式の日まで決まって、私は水晶の報告書を三枚」
「報告書は式に持っていかない方がいいよ」
ヘルガが言う。アンナは封筒をしまいながら、祝儀も用意しなければならない、とため息をついた。
「私も相手を探そうかと思ってるんですけど、毎日あれだけ冒険者を見ていると、かえって迷います」
「そんなに冒険者を見てたら、付き合うと大変な職業も分かるんじゃない? 勇者とか、吟遊詩人とか、狂戦士とか」
「全部です。特に勇者」
アンナはすぐに答えた。勇者本人に会うより先に、勇者宛ての依頼や手紙を受付で預かることが多いらしい。休日に一緒に出かけようとしても、道で呼び止められそうだと言う。
「吟遊詩人は?」
「仕事の愚痴を話したら、途中で韻を踏まれそうです」
「狂戦士は聞くまでもないね」
ヘルガが言うと、アンナは頷き、またギルドの話を始めた。
「新人研修も始まるんです。能力の高い人ほど、危ない相手から退くのを嫌がって。でも、模擬戦で教えられる人が足りません」
「危ないときに止められる人が必要なんだ」
「はい。相手を怪我させずに止められる人なら、なおいいんですけど」
「そういえば、ホネさんが採石場の新人を帰らせちゃったって言ってたよ」
「帰らせたんですか?」
「割れた石を持ち上げようとしたから。でも理由を言う前に『帰れ』って言ったら、本人が本当に作業場を出ちゃって」
話しているところへ入口の鈴が鳴った。ホネさんが兜と使い込まれたバケツを持って入ってくる。私は入口でバケツを受け取り、いつもの席へ運んだ。
「俺が帰らせた話をしていたのか」
「危ない石を見分けた話をしてたの」
ヘルガが火酒を注ぐ間、アンナは椅子を少しホネさんの方へ向けた。
「ホネさん、迷宮にいた頃も、冒険者を殺さずに帰していたんですよね」
「負けた奴はな」
「ギルドの新人研修で、模擬戦の相手を探しているんです。危ないときに止めて、退く判断を教えていただけませんか」
ホネさんは火酒のグラスを持ち上げかけ、戻した。元魔物の就労許可証は持っているし、採石場が休みの日なら来られるという。ただし、条件を聞くまでは引き受けるとは言わなかった。
「仕事が増えたら、火酒代の足しになるね」
「まだ決まっていない」
「明日、上司に相談します。正式な条件を確認したら、こちらから連絡しますね」
アンナは鞄から紙を出し、採石場の名前を書き留めた。
「もしお願いできたら、新人に何を教えてくださいますか?」
ホネさんはグラスを持ち上げ、一口飲んでから考えた。
「帰れと言う」




