第19話 最上段の一本
ヘルガの指が、瓶の首へ届いた。
私はカウンターの端を回り、受け取ろうと手を差し出したが、ヘルガは首を振った。
「いいよ。そこ、空けといて」
水差しと皿を退けると、ヘルガは両手で瓶を抱えて踏み台を下りた。埃のついた肩に指の跡が残っている。
ルルが差し出したおしぼりで、ヘルガは瓶を拭いた。くすんだガラスの下に、濃い琥珀色が見えてくる。古いラベルの裂け目だけは避け、汚れた布を私へ渡した。
封蝋を削り、コルク抜きを回す。栓は少し浮いたところで止まり、引いた途端、上半分だけが折れた。
「こういうときに限って」
ヘルガは欠片を小皿へ置いた。残った栓は瓶口の奥へ傾いている。
「押し込んじゃ駄目ですか」
「欠片だらけになるよ」
私は清潔な布と濾し器を持ってきた。ヘルガがコルク抜きを斜めに差し直し、少しずつ回すと、短い栓が崩れながら抜けてきた。
「やっとかい」
ヘルガは瓶口を拭き、灯りへかざした。私がグラスを置くと、ルルが氷を入れるか尋ねる。
「いらないよ」
布を敷いた濾し器を通り、酒が細く落ちた。グラスの底を満たしてから少し注ぎ足し、ヘルガは瓶を起こした。濾し器は私が受け取った。
ヘルガはグラスを持ち、ホネさんの前へ置いた。
ホネさんは目の前のグラスを見ていた。
隣でハンスが、椅子の脚に引っかかっていたバケツの取っ手を外し、酒を受けられる位置へ寄せた。金属札が小さく揺れる。
骨の指がグラスへ伸びた。
ホネさんは持ち上げ、縁を指で二度鳴らした。
それから、酒を飲んだ。
琥珀色が顎の下を通り、骨の隙間から落ちた。ハンスの押さえているバケツに当たり、細い音が続く。
外側には、まだ新しい字が並んでいた。
ホネさんがグラスを下ろすと、ヘルガはカウンターへ片手をついた。
「おかえり」
ホネさんの指は、グラスに添えられたままだった。
「……ただいま」
ヘルガは頷いた。
瓶の首を拭いていた布を畳み、底の下へ敷き直した。
グンナルが、自分のグラスを持ち上げた。
中には、迷宮で寝かせた酒が残っていた。彼はそれをホネさんへ向けた。
「遅いんじゃ」
ホネさんが顔を向ける。
グンナルはグラスを傾け、残りを飲んだ。置いたとき、底がいつもより強くカウンターへ当たった。
私は濾し器を持ったまま、ヘルガの顔を見た。骸骨が初めて来た夜にも、この人は注文を聞かずに火酒を出していた。今なら、そのとき何を見ていたのか聞ける気がした。けれど、ヘルガはホネさんのグラスのそばで、布の端を折り直していた。私は口を閉じ、洗い場へ向かった。
店の端で、オルフェが弦に指を置いていた。もう片方の手は、楽器の胴に添えられている。途中まで歌われた曲の続きは、まだ始まらなかった。
ハンスはバケツを押さえたまま、ホネさんの足元を見ていた。ホネさんが靴を引くと、ようやく手を離し、椅子へ座り直す。
布に残ったコルクの粒を洗い流していると、後ろでヘルガが鍋の蓋を開けた。
「ほら、食べとくれ。まだ残ってるよ」
湯気が上がった。ルルが小皿を取り、ヘルガのそばへ並べる。
「こちらの席にも、出しますか」
「聞いてみな。腹いっぱいなら、無理に出さなくていい」
ルルが盆を持ってカウンターを出た。
ヘルガはグンナルの空のグラスを指した。
「あんたも、飲み足りないならそう言いな」
「足りとる」
「じゃあ、何で持ってるんだい」
グンナルは、いつの間にかまた手にしていたグラスを見た。カウンターへ戻すと、ヘルガは迷宮寝かせの樽の方へ顎を向けた。
「そっちは今夜開けた分だよ。少しなら、まだ出せる」
「では、少し」
「初めからそう言えばいいんだ」
私は迷宮寝かせの樽から、グンナルのグラスへ酒を注いだ。
ホネさんの前には、空になったグラスがそのまま置かれていた。私が手を伸ばしかけると、ヘルガが軽く首を振った。
「それは置いといて」
私は頷き、代わりにお通しの空き皿を下げた。
「オルフェ」
ヘルガが呼んだ。
「まだ一周年の途中だよ」
オルフェは顔を上げ、弦から指を離した。軽く一度鳴らし、途中になっていた曲の頭を弾く。
歌っていた客が、どこまで歌ったか分からなくなったと言った。オルフェは旋律を一節戻し、今度は客の声に合わせた。
ルルが料理を置くと、その客は歌うのをやめて匙を取った。
隣の席から続きを歌う声が上がる。節が違うと別の声が入り、オルフェはどちらに合わせるか迷いながら、弦を弾き続けた。
ブルーノはもう一杯頼みかけたところを、迎えに来たミケーラに襟をつかまれた。私は槍を返したが、彼は戸口でもまだ「今度は薄めで」と言っていた。
私は水割りを二つ作った。片方は水を多くし、頼まれた席へ置く。戻る途中でハンスに盆を受け取られそうになり、今日は座っていてくださいと、もう一度言った。
彼は手を引っ込め、グンナルの話へ顔を向けた。樽の台を作った職人の話らしかった。
窓の外では、花輪の上の雪が厚くなっていた。戸口から離れた席は暖かく、濡れた外套から上がる匂いに、酒と煮豆の匂いが重なる。
ヘルガが自分のグラスを一つ出した。
古い瓶から、もう一度酒を濾し、自分とホネさんのグラスへひと口ずつ注ぐ。瓶口を拭き、倒れないよう棚の手前へ置いた。
私は洗い上がった皿を重ねた。ルルがその隣へ、拭き終えた匙を並べる。
ヘルガはグラスを持ち、カウンター越しに差し出した。
ホネさんも、自分のグラスを持ち上げる。
ヘルガが、その縁へ二度、グラスを当てた。
小さな音は、歌と話し声の中に紛れた。




