第18話 一周年の夜
花輪に雪が積もっていた。
赤い花を縁取る白い雪はきれいだったが、その下にある「魔王軍四天王 沼のヌマール」の札を見て、通りを巡回していた衛兵が足を止めた。
私は入口から顔を出した。
「お祝いの花です。本人は来てません」
衛兵は窓から店内を確かめ、もう一度札を見てから歩いていった。ルルが花輪を少し軒下へ寄せる。
「名前、裏にした方がいいでしょうか」
「せっかく贈ってくれたからね。花より大きく書かなくてもよかったけど」
ほかにも、ダリオから届いた酒樽や、ピートたちが持ってきた小さな鉢が並んでいた。鉢には三人分の名前が、窮屈そうに書かれている。
店が開いて、今日で一年だった。
最初に名前を書き出した人を全員呼ぶことはできず、乾杯の席は予約で埋めた。乾杯の席に入れなかった人には、その前に顔を出してもらう。別の日に来ると返事をくれた客の紙も、帳面に挟んであった。
「花まで中へ入れないでおくれよ。客の座る場所がなくなる」
ヘルガに言われ、私は鉢だけを窓辺へ置いた。ルルが、いつもより多いおしぼりを籠へ収める。
カウンターの端には、寄せ書きの済んだバケツがあった。取っ手につけた金属札が、灯りを受けて小さく光っている。
予約していたブルーノも、ミケーラと一緒に顔を出した。妻は「飲みすぎたら迎えに来るからね」と念を押し、先に帰る。ブルーノは祝いの日だからと、いつもより濃い水割りを頼んだ。
ハンスは開店前から来ていた。
迷宮へ預けた二つの小樽のうち、一つをゼノと運び戻してくれたのだ。昨夜のうちに届いた樽は、揺れが落ち着くまで物置へ置き、今夜、封を切ることになっていた。
「ゼノさんは、もう帰ったんですか」
「店が混むから、味の話は後で聞くと。自分の分は残しておいてほしいそうです」
「見回り代とは別に?」
「そこは、念を押されました」
私は小瓶を一本用意し、ゼノの名を札に書いた。
ハンスが椅子の数を確かめていると、グンナルが大きな包みを抱えて入ってきた。包みの中は、樽を置く木の台だった。
「樽職人が、これも使えと言ってな」
「ありがとうございます。代金は?」
「祝いじゃ。酒が傾いてこぼれたら惜しい」
台へ小樽を載せ、栓の下に受け皿を置く。ヘルガは店に残していた比較用の酒も出した。
半年ほど前は同じ酒だったものを、小さなグラスに一杯ずつ注ぐ。私は下に敷く紙へ、それぞれの名を書いた。
グンナルは先に店へ残した方を飲み、次に迷宮の方を口へ含んだ。しばらく黙ってから、もう一度香りを確かめる。
「こっちは、角が取れてきたのう」
「運ぶときには、ぶつけてません」
ハンスが言うと、グンナルは鼻から息を漏らした。
「味の話じゃ」
ヘルガも二つを飲み比べた。私は清潔な匙に少量ずつ取り、あとから確かめる。迷宮の方が、喉を通ったあとの熱さが少し柔らかい気がした。
早めに来ていたリンさんも香りを比べ、「もう半年待っても面白いぞ」と言った。
「もう一樽は、まだ置いとこうか」
「そうじゃな。来年も飲む分を残しておけ」
グンナルが自分のグラスを差し出した。
「今夜の分は、もう少しくれ」
「残せって言った口で頼まないでおくれ」
ヘルガは少しだけ注いだ。
乾杯前に顔を出していた客が帰り始める頃、ライオネルが顔を出した。
外套の肩に雪を載せ、入口で足を止める。壁際の聖剣を見つけると、ほっとしたように息をついた。
「よかった。まだあった」
「捨てませんよ。お預かりしてるんですから」
私は棚の下から鍵を出した。ライオネルは外套の内側を探り、見覚えのある番号札を差し出す。
「今日は受け取りに来たんだ。祝いの席には、また今度」
鍔の下を留めていた金具を外すと、彼は両手で聖剣を受け取った。傘の持ち手が引っかかり、ルルが慌てて押さえる。
「保管料は?」
ヘルガの声に、ライオネルが振り返った。
「必要だったのか」
「傘一本より場所を取ったからね」
「ママ。先に決めてない料金は取りません」
「では、祝いの酒を一本。皆で飲んでくれ」
ライオネルは料金表を見てから財布を出した。前より、そこを確かめるのが早くなっていた。
勘定を済ませると、空になった壁の金具を見て、少しだけ笑った。
「次は、帰るときに忘れないようにする」
「次も預けてもらいますからね」
「分かっている」
ヘルガの「いってらっしゃい」を聞いて、今度は剣を持って出ていった。
ルルは扉を閉めると、傘立てを元の位置へ戻した。
「広くなりましたね」
「剣一本なのにね」
私は窓辺の鉢を少しずらし、その隣へ届いた菓子箱を置いた。
ベアトリクスとソフィアからだった。添えられた紙には、二人で始めた商会の名が印刷されている。王子との話し合いを終えて飲みに来た夜には、まだ名前も決まっていなかった。
今日は仕入れ先との約束で来られず、後日二人で寄るという。追伸には、祝いの菓子に毒は入っていない、とあった。
私は笑って紙を畳み、菓子を皿へ分けた。
ホネさんが来ると、ハンスは手元の紙へ最後の丸をつけた。
兜を預かり、番号札を渡す。いつものバケツは寄せ書きのために預かっていたので、私は店のバケツを席の足元へ置いた。
ルルが寄せ書きの済んだ方を持ってくると、ホネさんは椅子へ座りかけ、腰を浮かせたままそれを見た。
「今、渡すのか」
「乾杯のあとです。先に見えちゃいましたけど」
ルルは抱え直したが、隠す場所はなかった。
ハンスが立ち上がる。紙を持ち直し、一度だけ咳払いをした。
「今日は、スナック ヘルガの一周年に集まっていただいて、ありがとうございます」
私は客へグラスを配り、私とルルの分には取り違えないよう縁に細い紐を結んだ。ルルは寄せ書きのバケツをカウンターの端へ戻してから、火酒をホネさんの前へ置いた。
「それから、ホネさんの、王都行きについてですが」
「まだ返事はしていない」
「はい。ですので、今日は一年間のお礼も兼ねて」
ハンスは紙の一行を親指で隠した。
ヘルガが自分のグラスを上げる。
「酒が薄まる前に、乾杯しようか」
皆がグラスを持ち上げた。私も自分の薄い水割りを取り、ひと口飲んだ。
ホネさんがグラスを置くのを待って、ルルが足元の店のバケツを引き取り、寄せ書きの済んだ方を彼の前へ置いた。
外側には、色も大きさも違う字が並んでいた。酒をこぼすな、王都でも元気で、また飲もう。私たち三人の名前の下には、小さく店の名を書いてある。
ホネさんは取っ手を持ち、ゆっくり回した。
グンナルが金属札を指した。
「その留め具なら、外して洗える。字の方も、少々濡れたくらいでは落ちん」
「重くなった」
「札一枚じゃろう」
「底のへこみも、直っている」
「ついでじゃ」
ホネさんはバケツを足元へ置いた。いつもの位置へ収まるまで、二度ほど向きを変える。
ルルは何か言いかけたが、ホネさんはもう火酒を手にしていた。
乾杯が終わると、料理の皿が次々に空いた。
ブルーノは二杯目から水を多くしてほしいと言い、祝いの席が終わるまでは帰らないと宣言した。
ダリオが贈ってくれた酒も開け、迷宮寝かせは小さなグラスで回した。樽の説明を求められると、ハンスが置いていた場所や運んだ日を話す。今夜は客でいてもらうつもりだったのに、彼の前にはいつの間にか空の皿が重なっていた。
「ハンスさん、それは置いといて。今日は私たちが下げます」
「通るところにあったので」
「空いたお皿があったら、場所だけ教えてください」
私が言うと、彼は笑い、両手を膝へ戻した。
客に勧められるたび、私とルルも礼を言って飲んだ。ただ、飲むより先に次の注文が来る。私は水差しを置いた手でグラスを取り、口へ運ぶ寸前に止まった。
縁に結んだ細い紐がない。
「それ、わしの火酒じゃぞ」
グンナルが言った。
「危なかった。今ので、仕事が終わるところでした」
「一杯で終わるとは、安上がりじゃな」
「そのあとの仕事を全部お願いしていいなら、飲みますけど」
グンナルは自分のグラスを引き寄せた。
ルルも客の冗談に足を止めていた。今夜は膝に座って乾杯してくれないか、と言われたらしい。
「そこはお皿を置く場所じゃないですよ。私も置けません」
笑顔で空いた皿を受け取り、そのまま戻ってくる。尻尾は客に当たらない高さで、軽く揺れていた。
店の端では、オルフェが弦を鳴らし、客たちが歌い始めていた。グンナルは彼の持ってきた鳴き石を自分の前へ引き寄せ、低い声で調子を取る。
「そこ、もう一つ上だよ」
ヘルガが料理を出しながら言った。
「お前が先に歌うから、つられるんじゃ」
「あたしは歌ってない」
「今、歌った」
鳴き石は二人の声を拾い、半端なところで点数を出した。グンナルが石を覗き、ヘルガが横から手を伸ばす。
「言い合いまで数えるんじゃないよ」
「石に文句を言っても、上がらんぞ」
私は二人の間から空いた皿を抜いた。料理を運ぶ場所は、歌っていても空けてもらわなければならない。
席を立つ客が、ホネさんへ声をかけていく。
王都でも元気で。偉くなっても忘れるな。また戻ってこい。
ホネさんは初めのうち、まだ決まっていないと答えていた。三人目には頷くだけになり、四人目のあとで私を見た。
「説明が足りなかったか」
「聞いてはいたと思います」
「では、なぜ送る」
私は水差しを置き、会の紙を見た。ハンスが書いた「送別会」の横には、まだ小さく「仮」とある。
「お祝いの挨拶って、途中で変えにくいんでしょうか」
「俺が行かなければ、挨拶も戻してもらうのか」
「挨拶の方は、今のうちに言い直してもらいましょうか」
ホネさんはグラスを置いた。足元のバケツを少し回し、寄せ書きの一つを見ている。
「これは、持って帰っていいのだな」
「もちろん。ホネさんのバケツですから」
彼は取っ手から手を離した。
ハンスが隣から紙を差し出す。
「王都への返事は、来週で大丈夫です。店の方は、今夜はもう何も決めなくていいので」
「分かった」
ホネさんは短く答えた。ハンスも紙をしまい、残っていた水割りを飲んだ。
早く帰る客を送り出すと、椅子の間に隙間ができた。
ルルが窓の曇りを拭く。外ではまだ雪が降っていて、花輪の札の下にも白い縁ができていた。私は空いたグラスをまとめ、迷宮寝かせの栓を閉じた。
ヘルガが、物置の戸を開けた。
「何か足りません?」
「踏み台」
私は足元の箱を寄せた。ヘルガは小さな踏み台を運び、瓶棚の前へ置く。
ルルが手を止めた。
「上の段ですか」
「ああ」
ミミちゃんが壁へ寄りかけた。ヘルガが振り向くと、その場で栓を閉じた。
私はヘルガの向いた先を見た。棚の最上段には、名札のない古い瓶がある。
ブルーノが「呪いの酒を開けるんか」と声を上げた。隣の客は「呪いで倒れたら会費は返ってくるのか」と尋ね、近くで笑いが起きた。
「ママ、それ、売り物じゃないって」
「売らないよ」
ヘルガは踏み台の脚を確かめた。
私はヘルガの足元から空き箱をもう一つ退けた。
ヘルガは踏み台に上がり、最上段の瓶へ手を伸ばした。




