第17話 送別会の知らせ
アンナが持ってきた封筒には、王冠と剣の印が押されていた。
いつもの書類なら鞄から片手で出すのに、その晩は両手で持ち、カウンターへ置く前に空いた場所を確かめた。
「ホネさん。王都の騎士団からです」
ホネさんは火酒のグラスを置いた。骨の指で封筒を裏返し、封蝋を眺める。
「何か壊したか」
「逆です。ギルドでの新人研修の記録が、王都の騎士団でも高く評価されたんです。教官を務めてほしいと」
隣の席にいたハンスが、運搬の予定を書いた紙を畳んだ。
アンナに封を切ってもらい、ホネさんが書状を開く。私は水割りを作る手を少し緩めた。
「給金は、採石場と研修を合わせた今の収入の三倍。住まいも用意されます。王都で勤務するための、元魔物への特別許可も」
「三倍」
ルルが小さく繰り返した。
「返事は、いつまでだ」
「来月半ばです。条件で確認したいことがあれば、先に問い合わせられます」
ホネさんは書状を端から端まで読み、封筒の上へ置いた。
「考えておく」
アンナは頷いた。書状を届けてからギルドへ戻るそうで、酒は頼まず、私の出した水を飲み干した。
「お返事は、窓口へ持ってきてください。王都の門で追い返されないよう、許可証も先に手配しますから」
「追い返す方は、慣れている」
「そちらは王都でもお願いすると思います」
アンナが帰ると、ハンスが書状の住まいの欄を指した。
「宿舎なら、仕事場の近くでしょうか」
「近い方がいい」
「寝坊しても間に合いますね」
私が言うと、ホネさんは顔を向けた。
「寝坊はしない」
「じゃあ、ゆっくり出られます」
ルルが制服の支給について尋ねた。書状には寸法を確認してから仕立てるとある。
「肩幅を測るとき、どこから測るんでしょう」
「肩からだ」
「そうなんですけど」
ハンスが笑い、水割りを飲んだ。
ヘルガはホネさんの足元を見て、布巾を絞った。
「王都へ行けば、うちの床も濡れなくなるね」
「今日は、こぼしていない」
「昨日の話だよ。引っ越すなら、そのバケツも忘れずに持っていきな」
ホネさんは椅子の下のバケツを、靴の先で少し引き寄せた。
来月には、店が開いて一年になる。
前から祝いの夜を設けようとは話していたが、日にちは決めたものの、料理も会費もまだだった。私は棚からその書きかけの紙を出し、カウンターへ置いた。
「王都へ行くなら、その前に集まれますね。一周年のお祝いと、送別会を一緒にして」
「荷物を運ぶ日が決まったら、俺も手伝えます」
ハンスが言うと、ホネさんは書状を脇へ寄せた。
「まだ日取りはない」
「じゃあ、こちらは予定どおりで。出発が先になっても、早めのお見送りということで」
私は紙に「送別会」と書き足した。
ルルが空いたグラスを下げながら、ホネさんを見た。
「王都からだと、なかなか飲みに来られませんよね」
「どれくらいかかる」
「馬車でも何日か、ですよね」
ハンスが頷く。ホネさんは書状をもう一度手に取り、何かを確かめた。
私は祝いの日付に丸をつけた。
「それで、誰が取りまとめます?」
ルルが私を見た。私はヘルガを見た。
「あたしは料理を作るんだよ」
「私も、その日は接客がありますし」
「私、お勘定はまだ一人では」
ハンスが自分の紙を広げ直そうとしていたので、私はその端を押さえた。
「ハンスさん、人数をまとめるだけでもお願いできません?」
「その前の週は、迷宮へ行く予定です」
「返事は店で預かります。戻ってきてから、数えてもらえれば」
「数えるだけなら」
私はすぐに彼の前へ祝いの紙を置いた。
ハンスは日付と人数の欄を書いた。ルルに言われて名前の欄を足すと、ヘルガは食べられないものも聞いておけと言った。
「これ、返事をもらう紙も要りますね」
ハンスは新しい紙を取った。
私はペンをもう一本出し、店で配る分を書き写した。
「配達のついでに渡せる人の分だけ、お願いできますか」
「分かりました。返事の締切は、この日でいいですか」
祝いの日より五日前に線を引く。私が頷くと、ハンスは迷宮へ行く日の印と重ならないことを確かめた。
次に決めるのは会費だった。
ヘルガが料理と酒の見積もりを書き、私が紙の隅で割り算をする。いつものセット料金とは別に、その夜だけの金額を決めておけば、勘定で忙しくならずに済む。
「銀貨八枚くらいですか」
「何時間飲むつもりだい」
「お祝いですし」
「あんたは、祝いになると酒が安く仕入れられると思ってるのかい」
私は八を消して、十と書いた。
ハンスが紙を覗き、ホネさんの名前の横に線を引いた。
「送られる本人からも、会費を取るんですか」
「そこは皆で出しましょうか」
「俺の酒代は、俺が払う」
ホネさんが言ったが、ルルは首を振った。
「こういうときは、ごちそうさせてください」
「いつもと同じだけ飲むぞ」
私は十の横に、小さく十一と書いた。
記念品にも金がかかる。ルルは襟巻きを提案したが、ホネさんは寒さを感じないという。
「でも、見た目が暖かそうになります」
「誰が暖まる」
「見てる人が」
私は笑いながら、紙へ襟巻きと書いた。
「新しい兜はどうですか。グンナルさんに頼んで」
「今のものがある」
「じゃあ、いいワイン」
「味は分からん」
ホネさんは火酒のグラスを持ち上げた。私たちは、足元へ酒が落ちる音を聞いた。
ハンスが椅子の下へ目をやった。
「バケツなら、毎日使いますよね」
「これも、ある」
「買い替えるんじゃなくて、これに皆で何か書くのは?」
ルルがしゃがみ、使い込まれたバケツを覗いた。底はへこみ、取っ手には古い布が巻かれている。
「ここなら、お名前と、ひと言ずつ書けます」
「濡れたら消えませんか」
ハンスが聞くと、ヘルガが棚から札を一枚出した。
「寄せ書きは水に強い塗料で書けばいい。グンナルに頼めば、取っ手に金属の札もつけられるよ」
「じゃあ、バケツには皆さんからひと言ずつ。札には一周年の日付を入れましょう」
私は決まったところへ線を引いた。ホネさんはバケツを持ち上げたが、ルルが受け取って底を拭き、返すと、また足元へ置いた。
参加者の名前を書き始めると、すぐに席が足りないことが分かった。
いつもの常連だけで店の席の半分が埋まり、ピートたちを三人で数え直したところで、ハンスがペンを止めた。
「二十人を超えました」
「まだ、返事は聞いてませんよ」
「全員来たら、座れません」
ルルが店内を見回し、入口脇を指した。
「そこへ椅子を足すのは」
「聖剣をまたぐことになりますね」
私は候補の名前を眺めた。客のいるところへ、さらに客を座らせるわけにはいかない。
「時間を分けましょうか。早い時間と、遅い時間で」
「ホネさんは、ずっといるんですか」
「俺は、何時に来ればいい」
本人に聞かれて、私は紙を一枚にまとめ直した。
「乾杯は一度にしたいので、席の数まで先に返事をもらいましょう。ほかの方には、別の日にも一周年のお礼をします」
ハンスは申込用の紙へ、人数に限りがあると書き足した。
その間に、ほかの客からも参加したいと声がかかった。私は会費を受け取り、名前の横へ印をつける。ハンスも自分の分を出した。
「札の代金が決まったら、教えてください」
「明日、グンナルさんのところへ寄れます?」
「仕入れの帰りなら」
「注文の紙を渡すだけでいいです。詳しい話はママに聞いてもらうので」
ハンスは紙を畳み、自分の配達の控えへ挟んだ。
その隣で、ホネさんが空のグラスを置いた。
「俺は、まだ行くとは言っていない」
私は会費を数える手を止めた。
「……王都へ?」
「考えておく、と言った」
ルルが祝いの紙を見た。ハンスも、しまったばかりの注文書を取り出した。
「そういえば、日取りもまだと」
「その前の話だ」
私は紙に書いた「送別会」の文字を指で押さえた。すでに客からも金を預かり、金属札に入れる文字まで決めている。
「先に言ってくださいよ」
「言った」
ヘルガが洗い場で笑った。
「返事を聞くより、勘定の方が早かったね」
「ママも札の話、してたでしょう」
「バケツに札をつけるのに、王都の許可はいらないよ」
ハンスが注文書を開き、私へ見せた。そこには店の名と、一周年の日付だけが書いてある。
「まだ渡してませんし、このまま一周年の記念にできますね」
「でも、会費は送別会も兼ねるって集めちゃいました」
ホネさんは、その金を見た。
「俺が払えばいいのか」
「そういう意味じゃありません」
私は慌てて首を振った。
ルルが新しい紙を出し、私の前へ置いた。私は会費を一周年の祝いと送別の上乗せ分に分けて控え、札と塗料は祝いの分から払うことにした。王都へ行かないことになれば上乗せ分は返すと、先に払った客にも伝えた。
ハンスは申込用紙の「送別会」に小さく括弧をつけた。
「仮、でいいですか」
ホネさんは紙を見て、頷いた。
私はその隣に返事の締切を書いたが、王都への返答期限より、店の料理の締切の方が早かった。
帰る前に、ホネさんは書状を丁寧に封筒へ戻した。
今夜の勘定を受け取り、入口で兜を返す。バケツを渡すと、彼は取っ手の布を握り直した。
「これは、いつ持ってくればいい」
「まだ先です。寄せ書きする日が決まったら、お伝えしますね」
「分かった」
「いってらっしゃい」
ヘルガの声を背に、ホネさんは外へ出た。
ハンスは配達の紙と会の紙を別々に畳み、注文書だけを一番上へ挟んだ。私は明日渡してもらう分の手間賃を、仕入れ代とは分けて包んだ。
「途中で予定が変わったら、無理に寄らなくていいですから」
「三軒、同じ通りなので大丈夫です」
背嚢を背負い、彼も帰っていった。
閉店後、ルルが会費の入った小袋を勘定箱へ収めながら尋ねた。
「送別会になったら、泣かない方がいいんでしょうか」
「泣くなら、会費を倍払いな」
ヘルガは鍋を洗い、伏せた。
「私たちも払うんですか」
「飲むならね」
私は料理の見積もりと、参加者の紙を並べた。席は埋まる。酒も足りる。けれど、集まるはずの金から記念品と手間賃を引くと、数字が合わなかった。
「ママ。これ、もう赤字です」
ヘルガが濡れた手を拭きながら覗き込む。
「あたしら三人も、会費を払う人数に入れたね」
「入れました」
「作って、運んで、そのうえ払うのかい」
ルルが小袋の口を結び直した。
「今、泣いても倍ですか」




