第13話 凱旋の二次会
通りの向こうで、また歓声が上がった。
グラウ迷宮の踏破記念祭で、町へ戻った勇者一行を迎えている。大酒場グランバレルの前には旗が並び、肉の焼ける匂いが北門の方まで流れてきていた。
うちは、いつもどおりの営業だった。ヘルガがお通しの豆を煮て、ルルがグラスを磨き、私は製氷の樽から溢れた氷を桶へ移している。今日の余りは、祝宴の飲み物を冷やすのに使ってもらえることになった。
ハンスだけが、扉の鈴が鳴るたび顔を上げた。
「会ってきたらどうですか。昔のお仲間でしょう」
「今行くと、荷物を預けられそうで」
彼はそう言って、水割りを飲んだ。
迷宮を踏破したあと、一行は大きな魔法の鞄を手に入れた。それで荷物持ちは要らなくなったのだと、前に聞いていた。
「戻ってくれって言われたら?」
「向こうが、荷物持ちを探してるんですか?」
「いえ、例えばの話です」
私が言うと、ヘルガが横から口を挟んだ。
「今の三倍払うなら考える、って言ってやりな」
「三倍もらっても、配達の日は空けられません」
「そこは値段の話をするところだよ」
ハンスは、明日の荷物を書いた紙を畳んだ。
それから三十分ほどして、勇者が店に現れた。
金色の飾りがついた白い外套を翻し、入口で振り返る。
「ここなら、静かに飲めそうだ」
後ろには、同じように白い服を着た女性がいた。肩に掛けた薄い布を押さえ、ぐったりした様子で頷いている。
「いらっしゃいませ。お二人ですか」
「ああ。僕はライオネル。こちらはセシリアだ」
名乗れば分かるだろう、という間があった。
「では、剣をお預かりしますね」
私が両手を出すと、ライオネルは腰の剣を押さえた。
「これは聖剣だ」
「長いですね。壁側へ置きます」
「僕以外の者が、軽々しく扱うものではないんだ」
「じゃあ、自分で置いとくれ」
ヘルガが入口脇の預かり箱を指した。その脇には、客の傘が二本立っていた。
「剣を預けずに飲みたいなら、ほかへ行きな」
ライオネルは店の中を見た。カウンターと椅子、瓶棚。それから、もう座ろうとしているセシリアを見た。
「せめて、相応の場所に」
「隣の傘は動かしておきます」
私が言うと、彼は長い息を吐いて剣を外した。
剣先が床につかないよう、入口脇の壁へ収めてもらい、番号札を渡す。ライオネルは札の表と裏を見てから、外套の内側へしまった。
「思ったより、小さな店だね」
「座ってみると、落ち着きますよ」
ルルがおしぼりを差し出した。セシリアは受け取るなり、顔へ押し当てた。
「これ、さっきの祝辞よりありがたいです」
私は聞かなかったことにして、水を出した。
ライオネルが席へ向かう間に、ヘルガが私へ顔を寄せる。
「凱旋祝いだ。ぼったくるかい」
「料金表どおりでお願いします」
「聞こえたぞ」
ライオネルが財布を出した。
「僕の懐を試すつもりなら、遠慮はいらない」
「試してないです。お酒を選んでください」
私は料金表を開き、彼の前へ置いた。
セシリアは薄い水割りを頼んだあと、私とルルにも一杯勧めてくれた。
「ありがとうございます。いただきますね」
自分の分を薄く作ると、セシリアはグラスを持ち上げた。
「今日、初めて座って飲めます」
「祝宴でもお忙しかったんですか」
「乾杯の前に腰を診てほしいと言われ、料理が来たと思えば火傷した給仕の治療に呼ばれ、お礼にまた祝辞が始まりました」
ルルが気の毒そうに眉を下げた。
「お休みは?」
「回復魔法があるから平気でしょう、と」
「疲れも治せるんですか」
「治せます。でも、回復魔法は、休ませなくていい理由じゃありません」
セシリアは水割りを飲み、グラスを置いた。
「報酬の話をすると、信仰と名誉の話になります。宿代に使えますか、それ」
「うちじゃ使えないねえ」
ヘルガが答えると、彼女は初めて笑った。
ライオネルがハンスに気づいたのは、ルルが勇者の前へお通しを置いたときだった。
「ハンス?」
ハンスは椅子の背から上着を取り、隣の席を空けた。
「お久しぶりです。踏破記念祭、お疲れさまでした」
「まだローデンにいたのか」
「今は、ここで酒を運んでいます」
ライオネルは隣へ移り、背嚢を見た。木枠を入れた背嚢は、椅子の脚へきちんと収まっている。
「ちょうどよかった。君を探そうと思っていたんだ」
私は酒瓶を棚へ戻した。ヘルガは布巾を持ったまま、ハンスを見た。
「魔法の鞄が壊れてしまってね」
「壊れたんですか」
「留め具にひびが入った。修理は王都でしかできないと言われた」
「何を入れたんです?」
「装備と食料と、今回いただいた記念品を少し」
セシリアが水を飲んだ。
「石像を二つです」
「小さいものだよ」
「自分を彫った石像を、小さいからって二つも」
ライオネルは聞こえなかったように、ハンスへ向き直った。
「また一緒に来てくれないか。君がいれば、荷物のことを気にせずに済む」
「今は仕事があるので」
「報酬は前より出せる」
ヘルガが指を三本立てた。私はその手をカウンターの下へ押した。
ハンスは自分のグラスを少し脇へ寄せた。
「迷宮で酒を寝かせる仕事を始めたんです。樽を運んで、戻る分があれば引き取る。町の仕入れも頼まれるようになりました」
「迷宮なら、僕たちと行く方が稼げるだろう」
「今は、どこへ何を運ぶか先に決まってるので」
ハンスは畳んだ紙を上着のポケットへ入れた。
「休む日も分かります。しばらく、この仕事を続けたいです」
ライオネルは口を開きかけたが、グラスを手に取った。
ライオネルも水を欲しがったので、私は二人のグラスへ注いだ。
「……休みが分かるのは、いいな」
「次はどちらへ?」
「北だ。魔王軍の動きを確かめてほしいと言われている」
「記念祭のあと、すぐですか」
「明朝。迷宮を踏破できたのだから、次も頼むと」
ライオネルは水割りをかき混ぜた。氷がグラスの内側へ当たる。
「祝宴も、休みのうちに数えられているらしい」
「それで、その剣までずっと持って歩いてたんですか」
私が入口を見ると、彼も聖剣の方へ顔を向けた。
「あれを持っていないと、がっかりされる」
「うちじゃ、勇者もただの客だよ」
ヘルガは入口に預けられた聖剣へ顎を向けた。
「世界の心配は、うちを出てからしな」
ライオネルは椅子へ深く座り直した。
その向こうで、セシリアがグラスを置いた。
「それなら私も、休みを決めてください」
「いや、僕が決められることでは」
「さっき、ハンスさんの報酬は増やせると言いましたよね。私の休みも交渉してください」
「必要なときに君がいないと」
「必要じゃない日を作ってって言ってるんです」
ルルが水差しを持ち上げ、そっと下ろした。
私はセシリアのグラスへ水を足す。彼女は礼を言ってから、ライオネルへ向き直った。
「明日の出発を遅らせてください。まず、朝ご飯を座って食べます」
「……一時間なら」
「食べている間に患者を連れてこないこと」
ライオネルは頷いた。
「明日の朝食は、それで。お休みの日は、また相談しますからね」
セシリアはお通しの皿を引き寄せ、ようやく二口目を食べた。
それからは、ハンスが昔の旅の話を少しした。
「野営のたびに、ライオネルさんが地図を広げて畳めなくなってましたよね」
「あれは、元の折り目が悪いんだ」
「それからセシリアさん、薬草と一緒に靴下まで乾かして、薬袋に入れそうになって」
「しまってはいません」
「俺が止めましたから」
ライオネルが笑い、セシリアも口元を押さえた。
ハンスは二杯目を水だけにして、二人の話を聞いていた。北へ向かう道の話になると、背嚢の横から紙を出しかけたが、その手でグラスを取った。
閉店が近づいた頃、外で馬車が止まった。
グランバレルで待つはずの迎えが、二人を捜してここまで来たらしい。ライオネルが窓へ顔を向ける。セシリアは額を押さえた。
「私たちが、いないことに気づいたんですね」
「裏口から出たからな」
「抜け出してきたんですか」
「祝辞が、まだ続いていたので」
彼女は何も悪いことをしていない顔で答えた。
ヘルガが勘定をまとめる間に、私は二人の外套を取りに行った。ルルが扉を開け、迎えの人へ少し待ってもらう。
ハンスが立ち上がり、二人の座っていた席へ目をやった。
「荷物は……」
言いかけて、自分の上着を手に取る。
ライオネルは支払いを済ませると、セシリアを促して外へ出た。
「また寄るよ」
「次は、追いかけられずに来てくださいね」
私が言うと、セシリアは外套を羽織りながら笑った。
「いってらっしゃい」
ヘルガの声を残して扉が閉まった。車輪の音が遠ざかり、ルルが入口の傘を直す。
そこで、手を止めた。
「ミナミさん。剣が」
傘の隣に、聖剣があった。
私は外套を掛けていた手を見て、それから入口を見た。
「……返しそびれた」
ハンスがもう背嚢を持っていた。
「宿は分かります。俺が届けます」
「座りな。あんたの忘れ物じゃないよ」
ヘルガは剣に掛かった番号を確かめた。
「返すのを忘れたのはこっちも同じですし、私が」
「明朝、宿へ知らせを出そう。北へ発つ前なら間に合うさ」
私は紙を取り、剣を預かっている旨を書いた。番号札はライオネルの外套に入ったままだ。ヘルガが剣に掛けた札へ彼の名を書き足す。
「聖剣、ライオネル。これでいいね」
「剣にも名前があるんじゃないでしょうか」
ルルが言った。
「取りに来たら、本人に書いてもらおう」
ハンスは背嚢を足元へ戻したが、まだ入口を見ていた。
閉店後、聖剣を奥へ移そうとして、私は戸口に鞘の先をぶつけた。
「ここ、通りません」
「斜めにすればいいだろ」
「棚の瓶に当たります」
ヘルガと向きを変え、結局、入口脇の壁へ戻した。隣の傘だけが、反対側へ移される。
ハンスは帰り支度を終えても、手伝おうかと立っていた。
「明日の仕入れ、予定どおりお願いしていいですか。空き瓶も多いので」
「分かりました。仕切りを増やしてきます」
彼は背嚢の紐を締め、ようやく扉へ向かった。
翌朝、宿へ知らせを届けると、北へ出る支度の途中だったライオネルから、次にローデンへ戻るまで預かってほしいと頼まれた。今回は敵の動きを探るだけなので、目立つ聖剣より予備の剣の方が都合がいいらしい。戻る日は、まだ決まっていないという。
店へ戻って伝えると、ヘルガは道具箱を出した。鞘ごと持ち出せないよう、鍔の下を押さえる金具を壁へ取りつけ、鍵を掛ける。聖剣は傘の隣で、昨夜よりしっかりと収まった。
「ママ、傘立て、もう一つ要りますね」
「勇者がもう一人来るまで待ちな」




