II シーナの最期
総本部の骨組みが悲鳴を上げるような歪み音が、再び室内に響き渡った。
一度大きな地鳴りが走るたびに、壁の石材が悲鳴を上げて軋み、その衝撃が床を伝って全身を不快に揺さぶる。天井を無数に走っていた亀裂は、とうとうその限界を迎えたようだった。頭上から人間の頭ほどもある石の塊が断続的に剥がれ落ち、部屋の壁際に整然と並んでいたはずの長椅子や書類棚を容赦なく破壊していく。
毎日、何十人もの冒険者たちが吐き出す傲慢な不満を受け止めてきた、あの分厚い樫の木のデスクも例外ではなかった。容赦なく降り注いだ瓦礫によって天板は無残に両断され、引き出しは枠から外れて、中に収められていた書類が床一面にぶちまけられる。
魔獣討伐の完了報告書。
身の程を弁えない昇格申請書。
不手際を他人のせいにするための損害賠償請求書。
かつては重苦しい義務の象徴だった紙切れの束が、今やただの白い粉塵と砕けた石片に混ざり合い、無価値なゴミへと変貌していく。
足元が再び、大きく、低く震えた。
部屋の隅に鎮座していた巨大な保管庫がゆっくりと傾き、次の瞬間、鼓膜を圧するような質量を伴った轟音と共に転倒した。何年分もの歴史が刻まれた羊皮紙の地図や、紐で厳重に縛られていた過去の遠征記録が、まるで墓場を暴かれた死者のように、冷たい石床の上に乱雑に広がっていった。
その破壊の光景の真ん中で、シーナは微動だにせず立ち尽くしていた。
彼女はただ、自らの世界のすべてだった空間が、ゆっくりと、しかし確実に崩壊していく様を、冷めた両眸で見つめていた。
思い返せば、この部屋が本当の意味で静寂に包まれたことなど、一度としてなかった。朝日が昇る前から深夜に至るまで、この狭い受付カウンターの向こう側には、常に何かしらの厄介事を抱えた「世界の主人公」たちが列をなしていた。
「おい、この難易度の割に報酬が少なすぎるだろ。ギルドの査定はどうなってんだ」
「俺の実力ならもう一つ上のランクの依頼を受けられるはずだ。受付の融通が利かないせいで機会を逃した」
「自分の不注意で剣を折った? 違う、事前の情報収集を怠ったギルドの過失だ。新しい装備の費用を補償しろ」
毎日、毎日、判で押したように同じような台詞が繰り返される。
そして、それらの低俗で利己的な愚痴のすべてを、無表情な仮面を貼り付けて聞き流さなければならなかったのは、他ならぬシーナだった。
鼓膜を震わせる、ひと際大きな破砕音が響いた。
右側の壁面が根本から崩落し、内側に隠されていた執務室が、剥き出しの外界へと強制的に連結される。
遮るもののなくなった空間に、熱を孕んだ暴風が容赦なく吹き込んできた。灰と、焦げた煙、開業したばかりのパン屋の焦げ跡のような臭い、そして鼻を突く血の生臭さが、室内のカビ臭い空気を一瞬で塗りつぶしていく。
今や、彼女が立つ二階の床板は、まるで宙に吊るされた脆い足場のようだった。抉り取られた壁の向こうには、魔術の残光に炙られた赤黒い大気が、不気味に脈動しているのがはっきりと見えた。地平線の彼方では、絶え間ない爆発の光が、終わりのない終末の舞台照明のように明滅している。
その遥か下、前庭ではまだ冒険者たちが無様に地を這い、戦い続けていた。
ある者はただ目の前の恐怖に刃を振り回し、またある者は、すでに物言わぬ肉塊と化したかつての仲間を引きずって逃げ惑う。押し寄せる魔獣の濁流は、人間に呼吸をする時間すら実質的に与えてはくれない。
だが、シーナの視線は、すぐにその地獄絵図から逸らされた。
窓の外の凄惨な光景など、彼女にとってはもうどうでもいいことだった。
彼女の目は、足元で無残に割れたデスクの残骸へと向けられていた。
引き裂かれた木片と、黒いインクで汚れた書類の山の隙間に、見慣れた青銅の「任務承認印」が、奇跡的に無傷のまま転がっている。
シーナは屈み込み、細い指先でそれを静かに拾い上げた。
手のひらに収まるその冷たい金属の感触は、嫌になるほど彼女の肉体に馴染んでいた。
この数年間、一体どれほどの数の書類に、この判子を押し続けてきただろうか。何千、何万という数の、他人の欲望が詰まった紙切れ。もはやその正確な数字を思い出すことすら、彼女の脳細胞の無駄遣いに思えた。
シーナの薄い唇が、微かに、しかし確かに歪んだ。
彼女は驚くほど平穏な手つきで、顔の一部となっていた事務用の眼鏡を外した。
レンズの表面はすでに白い粉塵で濁り、度重なる衝撃のせいで、細いフレームの端には小さな亀裂が入っている。
彼女はその壊れかけの眼鏡を数秒間だけ見つめ、それから、何の未練もない手つきで足元の瓦礫の上へと置き去りにした。
視界は少しだけぼやけたが、不思議と気分は悪くなかった。
シーナは再び、右手に握られた承認印へと視線を落とす。そして一瞬の躊躇もなく、それを部屋の中央に広がっていた暗い瓦礫の裂け目へと向かって放り投げた。
青銅のハンコは床の石片にぶつかって一度だけカランと乾いた音を立て、そのまま二度と光の届かない闇の底へと吸い込まれて消えた。
「……やっと、終わる」
その呟きは、暴風の音にかき消されて、誰の耳にも届かなかった。
それが自らの人生に対する決別の言葉だったのか、あるいは、人生の半分を費やしたこの忌々しい建物に対する呪詛だったのかは、彼女自身にも分からなかった。
明日になれば否応なしに机に積まれているはずの、出所不明な報告書はもうない。
記入漏れだらけの面倒な申請書を、一枚一枚精査する必要もない。
自分の無能さを棚に上げて、「依頼が難しすぎる」「取り分が少なすぎる」と窓口を叩いて怒鳴り散らす、頭の悪い戦士たちの顔を見る必要も、もう一生ないのだ。
すべてが、この理不尽な崩壊の中で均一に平らげられていく。
何年もの間、彼女の未熟な肩を執拗に圧迫し続けていた「社会」という名の目に見えない重圧が、嘘のように霧散していく。生きている間のどの瞬間よりも、今の彼女の胸は、驚くほど軽かった。
パキ、と、爪先の下から不吉な破断音が届いた。
足元の床板が、縦に大きく裂けていく。
蜘蛛の巣のように走った亀裂は、一瞬にして周囲の支持を失わせ、シーナが立っていた最後の足場を無慈悲に奪い去った。
床が抜ける。
シーナの身体は、崩落する建物の残骸や石の塊と共に、重力に捕らわれて真っ逆さまに落ちていった。
宙を舞う瓦礫の隙間をすり抜けながら、激しい風が彼女の顔を叩く。
だが、彼女はその手を伸ばして何かに縋ろうとはしなかった。
恐怖の悲鳴を上げることも、無駄に抗うこともしなかった。
シーナは、ただ自らの明確な意志の元に、静かに瞼を閉じた。
その口元には、生きていた頃のどの瞬間よりも穏やかで、どこか冷ややかな微笑が残されていた。
冒険者ギルドという名の「合法的な地獄」が瓦解していくその喧騒の真ん中で、シーナは、窓口の奥で過ごしたどの退屈な日常よりも、はるかに平穏な心で自らの最期を受け入れていた。




