子守唄④
思い返せばおかしな話だ。僕は毎晩1時間以上掛けてあの家まで通っている。つまり大雑把に見積もって僕の家から彼女の家まで6Kmくらいは離れているのだ。なぜそんな遠くから子守唄が聴こえるのか、あんな囁くような歌声で。
さらに言えば、毎日真夜中に窓を開けながら赤ん坊をあやしているのも奇妙だ。確かに赤ん坊は夜泣きをするものだが、なんだか腑に落ちない。
そしてどうしても思い出せない顔。毎日食い入るように見ているはずの彼女の顔を思い出せないなんて明らかにおかしい。そもそも本当に女性なのかさえ分からないほどだ。なのになぜ僕は彼女を綺麗な人だと認識しているのだろう。
夢にしてもそうだ。毎晩同じ夢を、あんなにリアルな夢を見るものだろうか?冷静になった今でさえあれは夢ではなく現実だったと思ってしまっている。
考えれば考えるほど寒気がしてくる。彼女は何なのか、僕は何に魅了されてしまったのか。
唯一分かる事はもう彼女に近づいてはいけない、それだけだった。
「いやぁ、人ん家に泊まるなんて久し振りだな」
ユウジは呑気に振る舞っていた。僕を気遣ってか、それとも図太いだけなのか。だがそれがありがたかった。僕一人だけだったら気が狂っていたかもしれない。
「今日は朝まで起きてるんだ、ゲームとかトランプとか色々持ってきたぜ」
「僕もジュースとお菓子いっぱい用意したよ、早速開けちゃおう」
僕達片っ端からお菓子の袋を開けると、ゲームの電源を入れ夜を明かす準備をした。
作戦は単純だ。二人で明日の朝になるのを待つだけだ。万が一今朝の登校中のように意識が無くなり、勝手に彼女の家に向かおうとしてもユウジが止めてくれる。これが自分たちに出来る最大限の対策だった。
「本当は僕のことを縛り付けておいてほしいんだけどね」
「そんなことしたら俺の遊ぶ相手がいなくなるし、ションベンの度に介護するのは嫌だよ」
確かに友達にトイレの世話をさせるのは嫌なのでその作戦は諦めることにしたのだ。一応おむつは履いておくことにしたが、ユウジに話すと馬鹿にされそうなので黙っていた。
二人は女性の事などすっかり忘れ、ただ楽しんでいた。ゲームに熱中し、お菓子をジュースで流し込み、よく分からないボードゲームで口論になり、夜のテンションで普段話さないようなことも話した。とっくに十二時を回っている事など気が付かなかった。
「ヤバっ、ちょっとトイレ行ってくる」
ユウジが慌てて部屋を出ていき、一人になると急に恐怖が込み上げてきて落ち着かなくなる。気を紛らわせる為に、ユウジの持っていたトランプの手札をカンニングしてみたりカードを入れ替えてみたりしていたが効果はなく、結局ただ耐えて待つしかなかった。
「あー、危なかった」
トイレを済ましたユウジはトイレのドアを開けようとした。だがドアノブが回らない。力を込めても、さらに強い力で戻されてしまう。
「ケータか?変なイタズラはやめろよ」
笑いながら呼びかけたが返事がない。状況を察したユウジは必死にドアを開けようとした。だがどうやっても開けることができず、成す術がなかった。何分経ったのだろうか、ふっとドアノブの力が緩み、勢いでトイレの外に投げ出されたユウジは、壁にぶつかりながらも体勢を立て直しながら急いでケータの部屋へと向かった。
しかし、部屋にはすでにケータの姿は無かった。




