第三話 アンナとリエナと【年上の妹】
――ああ、何ということでしょう。
勇者一行が留まっていたシュターゼン王国の交易都市リュゼン――、さらに言うと以前魔将軍を勇者一行が討ち果たしたランドルフから見て南西部にある国境付近の都市。
その都市を、影から影へと紛れながら歩む樹麗人族は、日が昇りつつあり目覚めつつある中を、勇者一行が泊まっている宿屋を背に遠ざかろうとしていた。
「まあ……はじめから期待はしていなかったですが……。これはこれで……、気分の良いものではありませんねぇ……」
ヒルダは冷たい目で背後にある宿を一瞥してから、その場から街の郊外へと進んでゆく。
「ギルディア卿の失敗に巻き込まれて……、魔王軍の地位を失って……。せめて夜王ガイゼルグ様への土産になればと……扱いやすい馬鹿を利用していましたが……」
――ヒルダは小さくため息を付く。
(あのキルシアは昔から私の邪魔をする女だ……。
あの孤児の中から魔王ハザンに見出されて手に入れた地位。
……ハザンのヌルいやり方は蔑んではいたが、地位と名声――そして財産の糧となるからこそ彼に従っていた。
しかし、あの初めから、なぜか私はあのキルシアと同列に扱われてきた。
魔王ハザンは――、私の価値を……あのゴミカスと等価のように扱ってきた。
その果てに――、初めに准将軍の地位を得たのは……、あのゴミカス――真っ暗闇だった)
「……はあ、真っ暗闇なら真っ暗闇で……、見えないところで野垂れ死ねばいいのに……」
(――その経験は、あの真っ暗闇に……、静かな殺意を私に抱かせた。
でも、ただ殺すのは惜しい。私を一度でも下にした真っ暗闇には、それ相応の報いが必要だろう。
――そう考えていた時に、ギルディア卿の失敗が起こって……、私もまた追われる身となった。
だから――、あの真っ暗闇を道連れにしてやることにした)
「騙して……、ハザンを裏切らせて……、全てを失わせて……。最後の最後に笑いながらくびり殺す……。それが私を馬鹿にした貴方が受けるべき報い……だった」
(でも――、これもまた運命かもしれないわね)
「……私はギルディア卿と同じ暗殺が仕事……。勇者ヒイロはまだしも……」
(――あの勇者の女二人は簡単に殺せる。だから――)
「くふふふふ……」
――街を出て郊外へと進みながらヒルダは笑う。
(――真っ暗闇……、貴方が手に入れたモノを……、すぐに奪ってあげるわ)
「……貴方が泣き叫ぶ姿が待ち遠しいわ……、真っ暗闇……」
それは――、おそらくは彼女もまた孤独で、そして何も無い所からの現在があるからこその強迫観念。
――自分が、全てを失ったところからの始まりだからこそ、名誉と財を手に入れて幸福になるべき……、その道にあらわれては――彼女の視点では――行く先を邪魔する存在としてのキルシア。――だから異常なほどの憎悪を向けた。
ある意味哀れであり――、そして度し難いほど邪悪であった。
◆◇◆
――翌朝、旅の準備を整えた一行は宿を発つことにした。
勇者ヒイロを先頭にして、その後ろにロバを引いたアンナと、魔法書を読み耽るリエナ――、そのさらに後ろに大きめのリュックを背負い、腰に護身用短剣と短弓を装備したキルシアがついていって、街の門をくぐって郊外の森へと進んでいった。
「……?」
最後尾を俯いて歩くキルシアをアンナは振り返る。
――そして首をかしげて声をかけた。
「……どうしたの? 置いていかれるわよ……」
「……う、む……」
アンナの言葉に、バツが悪そうに俯いたままキルシアは呟く。
その様子にリエナが明るい表情でキルシアに声をかけた。
「キルちゃん? どうしたの? ご飯、変なもの食べた?」
「……そ、そんなわけあるか! ……そんな……」
大きくなった声が直ぐに尻すぼみに小さくなる。
リエナがキルシアに近づいてその顔をまっすぐ見つめた。
「……なにかあったら言わなきゃ駄目だよ?」
「う、うむ……」
静かに……、そして俯いてキルシアは言う。
「……早まった事をして……、リエナ……姉さまがたの……、旦那様を寝取るようなマネをしてしまった……」
「……」
その言葉をアンナは静かに聞く。
「その……あの……」
「はあ……」
アンナは大きなため息をついてから、心配そうに一番前から三人を見つめるヒイロを指さした。
「……何気にしてるの? それは全部……、ヒイロが浮気したのがいけないのよ?」
そのアンナの言葉に、リエナは苦笑いして――、ヒイロは驚きの表情で抗議した。
「え? いや……、アンナ?! アンナが許すって……」
「……だからって本当に抱く?」
「うぐ……」
ジト目で睨むアンナにヒイロは次の言葉を失う。
リエナがおかしそうに笑い、キルシアが困惑し、アンナは少し微笑んでヒイロを見つめる。
――それをヒイロは心底困った顔で頭を掻いて……、そして答えた。
「はいはい……、全部俺が悪いですよ……」
――だから……、
アンナとリエナの手が――、キルシアに向けられる。キルシアはそれを見て……、
「……あの」
少し戸惑ってからその手を握り返す。
「今日から貴方は……私たちの……妹妻……」
――本当は、年上だけどね(笑)。
その言葉にキルシアは――、生まれて初めて浮かべる心からの笑顔を見せたのである。
◆◇◆
そう――、物語はここでは終わらない……、キルシアには乗り越えるべき試練がある。
――本当の意味で彼女が、自分の人生を進むための試練が……。
それは、その日の夜――、野宿となってキルシアが見張りをしていた時に起こった。
「……ん?」
キルシアは闇の向こうに輝く明かりを見つける。
その明滅が……、魔王軍の光の合図である事実に気がついて……、引きつった顔で立ち上がった。
――その光が明確に【光源への後退】を指示していることに気がついて、そっとアンナの肩を叩いた。
「ん?」
「……アンナ姉さま……」
アンナは眠い目をこすりながらキルシアが指で示す先を見る。
「……あれ……」
「魔王軍で使われる夜間信号じゃ……」
「……!」
急いでリエナらを起こしにかかるアンナだが、眠そうにしてイマイチ起きてはこなかった。
その内に光源が遠ざかり初めて……、
「……アンナ姉さまは後からついてきて……」
「キルシア?!」
逃げるように消える光源をキルシアは追いかけた。
「ああ、もう……」
アンナは寝ぼけるリエナとヒイロを強めに叩いて起こした。
見る間に――、キルシアが森の向こうに消えていった。
(……やはり……、追いかけてきおった……。ヒルダ……)
キルシアは光を追いながら眉を歪めて思考する。
アンナから、あのヒルダがもはや魔王軍を裏切った状態にある事実は聴いている。
――以前ならば一笑にふした話も……、キルシアは正しく理解出来た。
自分が勇者一行を倒せなかったならば、彼女が次に殺しに来るのは必然であった。
ヒルダがどれほどの暗殺者かはキルシア自身理解していた。
――だから、もうこれ以上ヒイロたちに迷惑をかけさせるわけにはいかなかった。
それは彼女の背負う使命ではなかったが……、キルシアはそう考えてヒルダが動くのを待っていた。
「……ヒルダ……」
森を走り抜けると樹木のない、そこそこ広い空間に出た。
――そこに、笑顔のヒルダが待っていた。
「……こんばんわ……真っ暗闇……」
「ヒルダ……」
ヒルダの嘲笑と、キルシアの睨みがお互いに交わされる。
「一人で追いかけて来るのは不用心ね?」
「……ヒイロ様たちから手を引け……」
そのキルシアの言葉に少し驚いてからヒルダは再び嘲笑を浮かべる。
「何を言うかと思えば……」
「……勇者の力がどれほどか知っておろう? 返り討ちに合うだけじゃぞ?」
「くくく……」
そのキルシアの言葉にひとしきり笑って、そしてヒルダは見下ろすようにキルシアを眺めて言う。
「そうね……、勇者の相手は無理ねぇ……」
「……く」
キルシアはその言い方に、やはり……、と悟る。
「……ヒルダ……」
「くくく……」
――と、そこにヒイロと、そしてアンナ、リエナが現れる。そしてヒルダを睨んだ。
「……うちのキルシィに何の用だ?」
「あらあら……、困ったわ……、これじゃ……」
――今夜は無理ねぇ……。
その嘲笑を睨みながらキルシアは一歩前に出た。
その動きを見て――アンナが何かを察して、キルシアに近づいて言葉をかける。
「……キルシア……、一人で出ないで……。ここは全員で……」
「……アンナ姉さま……」
不意にキルシアがアンナに振り返って、アンナだけに聞こえる声音で話し始める。
「…………。…………」
「……!」
「…………、……、…………」
「でも……、キルシア……」
「…………、……」
そしてキルシアはアンナに笑いかけて、一人でヒルダに向かって歩いてゆく。
その行動にヒルダは困惑して――、ヒイロとリエナは驚きながらキルシアに声をかける。
「キルシィ?!」「キルちゃん?!」
その二人をアンナが手で制した。
その行動にリエナが困惑気味にアンナに言う。
「姉さん?」
「……ここは、キルシアに任せて……、下がって……」
そして困惑する二人をキルシアから離れる方向に下がらせた。
アンナは静かに、苦しげな表情でキルシアの背を見る。
その目の前で、ヒルダに近づくキルシアが――、そのヒルダに向かって叫んだ。
「……ヒルダ……、貴様に一騎打ちを申し込む……」
「はあ?!」
さすがのヒルダも困惑気味にキルシアを見る。
「見ろ……、あの後ろの三人……、あそこまで下がっておればお前も逃げることは容易であろう?」
「あんた……なにを言って……」
「何を? それは……、妾を騙した報いを……、最大の屈辱で払ってもらうためじゃ……」
その言葉にヒルダの表情が怒りに歪む。
「……はあ? 何いってんの無能……、おい、真っ暗闇……。私がなんでわざわざアンタにつきあわないと……」
「くふふ……、そんなに負けるのが怖いのか……、馬鹿め!」
「……!」
キルシアは――、まさしくどこぞの男性を馬鹿にする【メスガキ】の如くヒルダを煽り初めた。
「……は、これは……、なんとも雑魚らしのぅ……。せっかく三人を下がらせてまで有利にしてやっておるのに……、負けるのが怖いのか……」
――ざ~~こ❤️ ざ~~こ❤️
「……くひひひ……、まあそれなら仕方ないのぅ……」
キルシアは嘲笑を浮かべてそして言い放った。
「……じゃあ……逃げて良いぞ?」
「は?」
「なんじゃ? 一騎打ちに応じぬのじゃろ雑魚❤️ ……逃げて良いぞ❤️」
その時のヒルダは……、顔が蒼白になってから……そして真紅へと変化した。
「……お前……、何を……」
……何いってんだああああああああああああああああああああああああああああ!!
ヒルダは腰のナイフを手にして構える。
「雑魚だと? 本気で言ってるの? 本当の雑魚のくせに……」
ヒルダは目の前のキルシアの能力を熟知していた。
「あんたは……、誰にも教えられなかったから弓術はドヘタ……。影走りの上位である【影歩】も使えない……、腰に下げている短剣もただの護身用でずぶの素人……。魔法はそこそこ出来るけど……、近接まで間合いを詰められれば詠唱できなくなる……。それ以外の……くだらないエロ術具が私に通用するとでも?」
怒りのその目がキルシアを睨む。
「……勝てる要素がまったくないのに……、私を雑魚呼ばわり?」
――ふざけるな!
そのやり取りを離れたところから眺めるアンナ。
先程のキルシアとの会話を思い出す。
『……アンナ姉さま……、二人と一緒に下がってください』
『……!』
『アイツは今から妾が一騎打ちで仕留めます……、奴なら逃げる隙があれば、妾の一騎打ちに応じるでしょう……』
『でも……、キルシア……』
『ここで逃がせば……暗殺者の脅威にさらされ続ける事になります。だから……、妾を……妾の希望の闇を信じてください……』
アンナは祈るように呟く。
――信じるからねキルシア。
その視線の先――、キルシアは決意の表情で、静かにヒルダを睨む。
――三人は、ヒイロと、アンナ、リエナ達はそれを静かに見守る。
(……ヒイロ様は、アンナ姉さまは、リエナ姉さまは――、妾を想ってくれた……。ならば……、それを妾は返さねばならん……)
勇者ヒイロと、その愛妻二人アンナとリエナ。
それが互いを想いあって支えあっているように――、
――彼らとともにあるならば……、
……自分もその想いを交わし合うために。
――そして、キルシアの――、運命を乗り越えるための……
……自らが【希望の闇】である証明のための、試練の一騎打ちが始まる。




