第3話 ただの確認(リハーサル)のはずだった
「す、すっげぇ……ッ!!」
スタジオの防音扉をくぐり抜けた瞬間、俺は内心で狂喜乱舞していた。
目の前に広がっていたのは、紛れもなくあの「推し作品」の世界そのものだった。
前世でブルーレイが擦り切れるほど観た、主人公たちが身を寄せる廃墟の教会。
剥げかけたステンドグラス、うっすらと積もった埃、崩れたレンガの質感にいたるまで、大人のプロたちが本気で作り上げた美術セットがそこにあった。
(待て待て待て、あの柱の傷……! ライバルと激突した時についた削れ跡じゃん! そこまで再現する!? 美術スタッフさん神かよ……!)
感動のあまり、俺はセットの柱に吸い寄せられるように近づき、うっとりと見つめていた。
「おいおい、白妙怜ちゃん……。セットに入った瞬間、これほど鋭い目つきになるとはな」
背後からかけられた声に、私はビクッとして振り返った。
そこに立っていたのは、この映画の監督だ。腕を組み、何やら深く感じ入ったような顔で俺を見つめている。
「驚いたよ。普通の子役なら、豪華なセットに圧倒されてはしゃぐか、あるいは緊張して固まる。だが君は違う。……セットの『傷』を見て、この場所でキャラクターたちがどんな戦いを繰り広げてきたのか、その歴史を肌で感じ取ろうとしているんだね?」
「あ、え、あ、はい。……まぁ、そんな感じです」
(いや、ただの聖地巡礼です。今めちゃくちゃ記念写真撮りたいです)
「素晴らしい。その若さにして、役の『呼吸』を空間から取り込もうとする姿勢……。彼女なら、誰も到達できなかった次元の演技ができるかもしれないな」
監督は深く頷くと、近くにいたスタッフにボソリと呟いた。
どうやら私のポテンシャルに対して、とんでもない期待を抱いてしまったらしい。誤解の雪だるまが、すでにものすごいスピードで転がり始めている。
「あなたが白妙怜? 急に主演に抜擢されたからって、調子に乗らないでよね」
ツンとした高い声に振り向くと、そこには俺と同じくらいの年齢の少女が立っていた。
綺麗に切りそろえられた黒髪に、少し気の強そうな猫目。彼女こそ、子役界で「若き天才」と名高い、準主役のライバル役を演じる女の子、一条蓮ちゃんだった。
(うわあああッ!! 生の『蓮ちゃん』だ!! 本物だ、顔が小さすぎる、声の凛とした鈴の鳴るような響きがキャラそのままだ……!!)
「……な、なによ。文句でもあるわけ?」
じっと見つめてしまったせいで、蓮ちゃんがフンと顎を尖らせて身構える。
だが、俺の脳内はすでに「限界オタクの考察脳」に切り替わっていた。
(このツンツンした態度、まさに劇中で主人公と初めて会った時の蓮ちゃんそのものじゃん……! 役作り完璧かよ、プロ意識高すぎて尊い……!)
「一条さん、初めまして! 白妙怜です! 一条さんのさっきのセリフのトーン、本当にキャラのイメージ通りで鳥肌立ちました! 今日はよろしくお願いします!」
両手でがっしりと握手を求めると、蓮ちゃんは完全に毒気を抜かれたように大きな目を丸くした。
「え、あ……うん。よろしく……」
「白妙ちゃん、一条さん、位置について! リハーサルいくよ!」
スタッフの声が響き、俺たちはセットの中央へと促された。
「じゃあ、映画の中盤、二人が初めて衝突するシーンからいく。立ち位置はそこね。リハーサル、スタート!」
監督の合図とともに、スタジオ内の照明がスッと落ちる。
代わりに、荒涼とした月光を模した青白いライトが、俺と蓮ちゃんを照らし出した。
(よし。このシーンのカメラは私の足元から始まって、セリフの瞬間にローアングルから俺の顔を舐めるように捉えるはず。……ってことは、最初は少し俯き加減で、影を落とした方がいいな)
俺は前世で100回以上観た映像の「カメラワーク」を脳内に再生していた。
キャラクターの動き、カメラの動き、さらには背景に流れるBGMのタイミングまで、すべてが頭の中でシンクロしている。
「おい、お前……! なんでそんな顔で僕を見るんだよ!」
蓮ちゃんが、迫真の演技でセリフをぶつけてくる。さすがは実力派の子役、胸に刺さる素晴らしい熱量だ。
(来る……! ここでカメラが俺の瞳にフォーカスする!)
俺は、カメラのレンズが動くわずかなモーター音を耳で捉え、その瞬間を狙ってゆっくりと顔を上げた。
前世の女性声優さんが表現していた、あの主人公のトレードマークである「中性的な女の子特有の、少年っぽさと繊細さが同居した響き」を天才声帯で完全再現する。
「……お前に、僕の何がわかるっていうんだ」
声のトーンをあえて落とし、カメラの「画角」に自分の顔が最も美しく、そして切なく収まる角度でピタリと動きを止めた。
「ッ――!?」
正面にいた蓮ちゃんが、息を呑んで一歩後退りした。
演技ではない。俺の放った空気感と、中性的な少女としての脆さと強さを完璧に宿したその声に、本能的に圧倒されたのだ。
「――はい、カット!!! OK、素晴らしい!!」
監督の興奮した声が響き渡る。
「おい、今の動きを見たか!? 指示もしていないのに、カメラの動きと完全に連動して顔を上げたぞ!」
「自分がフレームのどこにいるのか、分かってる動きだ!」」
「それだけじゃない! 光の当たり方を理解して、自分の顔に綺麗に影が落ちる角度をコンマ数秒単位でコントロールしていた……! 天才、いや怪物の片鱗を見たな。彼女なら、この作品をさらなる高みへ連れていってくれるかもしれない!」
ざわめくスタッフたち。蓮ちゃんは頬を少し紅潮させたまま、呆然と俺を見つめている。
(いや、違うんです。アニメのカメラアングルがこうだったから、その通りに顔を向けただけなんです。っていうか今の蓮ちゃんの『ッ――!?』って表情、完全に原作再現度200%で最高でした。本当にありがとうございました)
こうして、俺の「奇跡の天才子役」としての評価は、またしても本人の意図しないところで限界突破してしまったのだった。
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【作者より】
第3話をご覧いただきありがとうございました!
無自覚にカメラワークまで支配してしまった怜。共演する蓮ちゃんも、すっかりその実力(オタクの完コピ)に圧倒されてしまったようです。
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