第15話 カウントダウンは止まらない
ジリジリと肌を刺すような夏の強い日差しが、校庭の隅々まで降り注いでいる。
まだ夏休み前だというのに、気温はすでに真夏並みだ。こんな日に校庭を走り回らされたらたまらないが、幸運なことに今日の5時間目と6時間目は、みんなが楽しみにしていた体育のプール授業だった。
ガラガラと教室の扉が開き、体育着とバスタオルを抱えた児童たちが一斉に廊下へと飛び出していく。
「怜ちゃ〜ん! 着替え行こー!」
後ろから声をかけてきたのは、同じ班で仲の良い女の子たちだった。
「あ、うん! 先に行ってて、すぐ追いかけるから!」
「はーい! 早く来ないと良い場所取られちゃうよ〜!」
手を振りながら走っていくクラスメイトたちの背中を見送りながら、俺は小さく息を吐いてランドセルの横から水着袋を取り出した。
(ふぅ……今日の体育がプールで本当に助かったな。校庭でドッジボールとかだったら、さすがにこの暑さで倒れてたかもしれない)
ここ最近は、話題のポカリクス・スエットのCM撮影や、秋に公開を控えている
「ヘリオス コード」の撮影スケジュールが怒涛の勢いで詰まっており、学校を早退したり欠席したりすることが頻繁に続いていた。
もちろん、そんな事情はクラスメイトの誰も知らない。
もし自分が子役をやっていて、テレビに出るような仕事をしているなんて知られたら、一瞬で噂が広まってこの平穏な日常は終わってしまう。
だからこそ、この秘密を知っているのは学校内でたった一人――担任の先生だけだ。
仕事で休むときも、先生が上手く「持病の定期通院」とか「家庭の都合」という絶妙な名目でフォローを入れてくれていたおかげで、今のところ周囲に怪しまれることなく過ごせている。
(先生には本当に足を向けて寝られないな……。今夜のCM放送が終わったら、明日からどうなっちゃうか分からないけど)
そんなことを考えながら更衣室へと向かい、着替えを済ませてプールサイドへと向かった。
校庭の隅にあるプールサイドに足を踏み入れると、照り返すコンクリートの熱気と、特有の塩素の匂いが鼻腔を突く。
風が吹き抜けるたび、青く澄んだ水面が光を反射してキラキラと輝いていた。周りを見渡せば、「やったー! プールだ!」「水冷たそう!」と大はしゃぎで歓声をあげているクラスメイトたちの姿がある。
普通なら間違いなくテンションが跳ね上がる、夏最高のロケーションだ。
「怜ちゃ〜ん! こっちこっち! 一緒に準備運動しよ!」
プールサイドの端に整列していた女子グループから手が上がった。俺は「今いくー!」と声を返し、ペタペタと濡れたコンクリートを歩いて彼女たちの輪へと加わる。
「怜ちゃん、今日すっごく暑いね! 早く水に入りたいよ〜」
「あはは、そうだね。でも焦って入ると危険だから、まずは準備運動をしっかりやって足腰をほぐさないとね」
「さすが怜ちゃん、しっかり者〜! お母さんみたい!」
無邪気な笑顔で女子たちがグイグイ距離を詰めてきて、濡れた手で腕を引っ張られる。
「お母さんって失礼な……」と内心で苦笑しながらも、俺はクラスの一員として気楽にこの賑やかな空間を楽しんでいた。
「はーい、全員整列ー! イチ、ニ、サン、シの号令で準備運動始めるぞー!」
プールサイドに担任の先生の笛の音と大声が響き渡る。
児童たちは一斉に「イチ、ニ、サン、シ!」と大きな声を張り上げながら、屈伸や伸展、肩の回旋運動をこなしていく。しっかり汗をかいたところで、待ちに待った入水の時間がやってきた。
「よーし、足から順番に水をつけて、慣れた奴からバタ足スタート!」
先生の合図とともに、子どもたちが一斉にプールへと潜り込んでいく。
「冷た〜い!」「キャーッ!」という黄色い歓声が夏の青空へ向かって弾けていった。
俺もゆっくりと地獄のシャワーをくぐり抜け、プールに足を踏み入れる。冷たい水が火照った肌を包み込み、思わず「ふぅ……」と心地よい息が漏れた。
バタ足の練習や、コースを往復する水慣れのメニューが一通り終わり、先生から「じゃあ残り15分は自由時間にするぞー!」と許可が出ると、プール全体が狂喜乱舞の渦に包まれた。
水かけっこを始める男子たち、潜水対決をするグループ、プールの端でおしゃべりに花を咲かせる女子たち。
俺はプールサイドの縁に肘をかけて、ゆったりと水に漂っていた。すると、隣のコースでパシャパシャと水を跳ね上げていた女子生徒が、バスタオルで顔を拭いながら俺の元へと泳いできた。
「ねえねえ、そういえば怜ちゃん」
「ん? どうしたの?」
「怜ちゃんって、最近ちょっと早退したりお休みしたりすること多かったでしょ? 体調はもう完全に大丈夫なの? 実はみんな、すっごく心配してたんだよ?」
その声に反応して、近くで水かけっこをしていた他の女子たちも「あ、私もそれ気になってた!」「風邪とかだったの?」とワラワラと集まってくる。
クラスメイトたちの素直で真っ直ぐな心配の眼差しに、俺は一瞬言葉を詰まらせ、それから申し訳なさそうに照れ笑いを浮かべた。
「うん、もうすっかり元気だよ! 心配かけて本当にごめんね、みんな」
「よかった〜! 怜ちゃんが休んでると、休み時間もなんか物足りなくて寂しいんだもん」
「そうそう! 体育のペア組むときも怜ちゃんがいないと困るし!」
友達からの温かい言葉が胸に染み渡る。
まさか自分が裏でポカリクス・スエットのテレビCMに出演していたり、あの超有名天才子役の蓮ちゃんと現場で激しい演技バトルを繰り広げていたりするなんて、目の前でニコニコしている友達は夢にも思っていないはずだ。
(みんな本当に優しいな……。先生が秘密を守ってくれてて本当によかった。今ここで自分が子役だってバレたら、こんな風に普通に笑い合える時間がなくなっちゃうかもしれないし)
そんなことを考えながらチラッとプールサイドの上を見上げると、監視用に仁王立ちしていた担任の先生とパチッと目が合った。
先生は児童たちに気づかれないよう、胸の前の低い位置でニッとイタズラっぽく笑うと、こっそり親指を立てるグッドポーズを作ってみせる。
「ちゃんと秘密は守ってるぞ」と言わんばかりのパフォーマンスに、俺は少し照れくさくなって、肩をすくめながら小さく苦笑いを返した。
(……けど、本当の勝負は今夜なんだよな)
やがてプール授業の終了を告げる甲高い笛の音が響き渡り、「はーい、自由時間終わり! 全員上がってしっかり体を拭くことー!」という先生の声がプールサイドに届く。
プールから上がると、濡れた体に夏の風が吹き抜けて少し肌寒く感じた。大判のバスタオルで体をすっぽりと包み込みながら、俺はふと遠くの眩しい青空を見上げた。
今日の夜9時。
俺が蓮ちゃんと一緒に汗を流して撮影に挑んだ、ポカリクス・スエットの全国テレビCMが初めてお茶の間に流れる。
撮影現場で突如起きた、スタッフの手違いによる小道具の落下事故。
倒れそうになった蓮ちゃんを間一髪で抱きとめ、カメラ目線で不敵なウインクを決め、そのまま手を引いて走り去ったあのアドリブ劇。
監督は「奇跡の映像だ! これ以上のカットはない!」って超ノリノリで大絶賛してくれたけれど、あの映像が全国のテレビ画面でドカンと放送されると思うと、子役としての誇らしさ半分、それ以上に猛烈な恥ずかしさがこみ上げてくる。
もしあのCMが予定通り今夜放送されたら、間違いなく明日からの学校生活は激変するだろう。
先生しか知らない俺の「裏の顔」が、ついに全国に向けて解き放たれるのだ。
「怜ちゃ〜ん! 早く着替えないと休み時間終わっちゃうよー!」
「あ、うん! 今行く!」
遠くから呼ぶ友達の声に返事をしながら、俺は水着の雫を払った。
プール後の着替えを速やかに済ませ、6時間目の授業を終え、終礼が済む。
西日に赤く染まる帰り道を、ランドセルを揺らしながら一人で歩く。影が長く伸びるアスファルトを見つめながら、俺の胸の中は期待と不安でぐちゃぐちゃに混ぜ合わされていた。
世間があの神アドリブ映像にどんな反応を示すのかという、演技者としてのワクワク感。
そして明日、学校に行ったらどんな大騒ぎになってしまうのかという、一抹の恐怖と不安。
ふたつの正反対な感情を胸の中でぐるぐると回転させながら、俺は運命の『夜9時』という時間を、ハラハラとした心地でじっと待つのだった。
【作者より】
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!
物語はついに、大きな節目のひとつである「ポカリクス・スエット」CM放送の夜を迎えます。
前世はただのアニメオタク男子学生だった「白妙怜」が、十歳児の肉体とプロの発声技術、そして前世の知識を武器に怒涛の子役道を駆け抜けてきました。
特に狂気の絶望演技から、蓮ちゃんとの白熱のW主演オーディション、そして現場での奇跡のアドリスハプニングまで……怜のオタク的な脳内リアクションと、表で見せる圧倒的な美少女・天才子役っぷりのギャップを楽しんでいただけていたらとても嬉しいです!
そして何より、ライバルであり最高のパートナーである一条蓮ちゃん。
ツンツンしながらも怜の才能に焦がれ、必死に食らいつき、照れ隠しに爆発する彼女の可愛さは、書いていても本当に楽しいポイントでした。
今夜9時、全国にお披露目されるあの「神アドリブCM」。
果たして世間の、そして翌日の学校の反応はどうなってしまうのか……!?
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