第16話 運命の20秒
時計の針が、刻一刻と午後九時に近づいていく。
我が家のリビングは、まるで重要な国家事業の発表を待つかのような、重苦しくも熱い緊張感に包まれていた。
テレビの真正面、ローテーブルの前に正座して固まっているのは、俺――白妙怜。
そして、その両サイドを挟むように座っているのは、お母さんと、今日のために溜まっていた残業を力技で終わらせてマッハで帰宅してきたお父さんだ。
「……怜、あと三分だぞ」
「お父さん、さっきから時計見るの何回目? 落ち着いてってば」
「落ち着けるわけがないだろう! 我が家の天使にして天才美少女、怜ちゃんの全国放送デビューCMだぞ!? お父さん、今日の午後は気になりすぎて全休にしようか本気で悩んだんだからな!」
「仕事はちゃんとやってよ……」
俺は苦笑いを浮かべつつも、膝の上でぎゅっと自分の手を握りしめた。
手のひらにじんわりと嫌な汗が滲んでいく。中身は二十代の元男子オタクとはいえ、自分がメインで出演した映像が、今まさに全国数千万人の世帯に流れようとしているのだ。これで緊張するなという方が無理というものだった。
「お父さん、録画の準備は本当に大丈夫なの?」
「任せなさい! ハードディスクへの二重録画に加え、念のため最新のブルーレイレコーダーでも録画ボタンを押してある! 完璧なバックアップ体制だ!」
「ちょっと、二人とも息を止めて見つめないの。怜が緊張しちゃうでしょ」
お母さんがクスリと笑いながら緑茶を差し出してくれるが、当のお母さんもお茶を注ぐ手がわずかに震えているのを俺は見逃さなかった。家族全員、完全に舞い上がっている。
そして――番組が提供クレジットに移り、ついに運命のCM枠へと突入した。
画面が切り替わり、シュワシュワと心地よい炭酸が弾ける涼しげな音とともに、澄み切った夏の青空が大きく映し出される。
『――渇きに、奇跡を。』
画面の中に現れたのは、瑞々しい夏の光を浴びる「二人の少女」の姿だった。
(あ、始まった……!)
俺の心臓がどくんと大きく跳ね上がる。
撮影現場での出来事が、走馬灯のように脳裏を駆け巡った。あの猛暑、冷たい清涼飲料水の重み、そして――あの予期せぬアクシデント。
画面の中で、背景の装飾ボードがグラリと傾く。
あの日、俺が咄嗟に体を動かしたあのアドリブ劇が、プロの編集と素晴らしいBGM、そして最高のカット割りによって、奇跡のようなスローモーション映像として描写されていた。
倒れそうになった蓮ちゃんの細い腰を、俺の手がぐっと力強く抱き寄せる。
驚きに目を見開く蓮ちゃん。そして、カメラに向かって不敵に、けれど引き込まれるほどチャーミングにウインクを決める俺。
最後は二人で顔を見合わせ、弾けるような笑顔でボトルを掲げて、風の中を駆け出していく――。
わずか二十秒。
けれど、息をのむほど美しく、濃密な時間が画面の中で弾けて消えた。
「………………」
CMが終わり、画面には別の商品の映像が流れ始めている。
それなのに、我が家のリビングには、しんと静まり返った完璧な静寂が横たわっていた。
あまりの出来栄えに、家族全員が言葉を失っていたのだ。
そして、数秒の後。
「う、うおおおおおおおおおおお!!!!! れ、怜ーーーーーーーっっっ!!!!」
静寂を破り、お父さんがソファから転げ落ちんばかりの勢いで立ち上がり、咆哮した。
「な、なんだ今の感動的空間は!? なんだ今の男前すぎる美少女は!! うちの怜が可愛いのは百も承知だったが、あんな……あんな『騎士』みたいにかっこいい顔ができるなんて聞いてないぞ!!」
「ちょっとあなた、叫びすぎ! でも……でもすごかったわね怜! 映画のワンシーンみたいだったわ!」
「すごいどころじゃない! お父さん、女の子同士の爽やかな友情CMを見てたはずなのに、途中で『あれ? このカッコいい女の子にうちの怜が拐われちゃう!?』って勘違いしてドキドキしちゃったんだぞ! よく見たら拐う側も怜だったが!!」
「お父さん、表現がややこしいよ……!」
お父さんは頭を抱えて「格好良すぎる……可愛すぎる……」と悶絶し、お母さんは感動のあまり目元をぬぐっている。両親のテンションは完全に狂喜乱舞の域に達していた。
俺はと言えば、顔から火が出そうなほどの恥ずかしさを必死にこらえ、クッションに思いっきり顔を埋めた。
(お父さん落ち着いて……! 中身が元男子学生だから、咄嗟の行動が『イケメンムーブ』になっちゃっただけなんだよ……! 女の子同士の爽やかな青春CMとしては、ちょっと罪深い格好よさになっちゃったかもしれないけど!!)
監督が「奇跡のカットだ!」と大絶賛していた理由が、客観的な映像として観て痛いほどよく分かった。自分で観ても「あ、これ絶対ネットでバズる奴だ」と確信するレベルの完成度だったのだ。
――その後、豪華な晩御飯を食べ、お風呂に入り、自分の部屋の布団に潜り込んでも、胸のバクバクは一向に収まらなかった。
気になってこっそりスマホを開いてみると、SNSのトレンド欄にはすでに『#ポカリクス』『#謎の美少女』『#神ウインク』といったワードが爆速で駆け上がり始めていた。
『CMのウインクした子、可愛すぎるし格好良すぎてやばい』
『抱きとめた後の余裕の笑顔、10歳とは思えん……』
『隣の子(一条蓮ちゃん)の素のビックリ顔も可愛すぎるだろ』
『明日のZAP!とめさましテレビでメイキング特集やるらしいぞ! 録画予約完了!』
『朝のニュース番組全部チェックしなきゃ……!』
(うわあああ……! めっちゃ話題になってる!! 朝のニュースにまで取り上げられるの!? 嬉しいけど恥ずかしすぎて死にそう……!)
(いや、マジでうわあああ……! 嬉しいけど、恥ずかしすぎて死にそう……!!)
画面を見ながら悶絶していると、枕元に置いたスマホがコトコトと激しく震えた。
画面に表示された差出人は――「一条蓮」。
おそるおそる通話ボタンを押さず、チャット画面を開く。案の定、速射砲のようなメッセージが届いていた。
『……見たわよ。……なによあのウインク。生意気すぎるんじゃない!? 現場で見たときより十倍くらいカッコよく映ってて、正直、ちょっと……ほんのちょっとだけ、悔しかったんだからね!』
(ふふ、相変わらず素直じゃないなぁ、蓮ちゃんは)
クスッと口元が緩んだのも束の間、画面に「入力中……」の表示がつき、すぐに次のメッセージが飛んできた。
『でも、次は……次は絶対に私があなたを抱きしめて、腰を抜かさせてやるんだからね! 忘れないでよ!! おやすみなさい!!』
(……ちょっと待って!? それ実質『次は私がお前をメロメロにしてやる』って宣言だよね!? どこでそんな男前なセリフ覚えてきたの蓮ちゃん!!)
限界ツンデレなメッセージの破壊力に、俺はベッドの上でゴロゴロと転がりながら悶絶した。
結局その夜は、興奮と照れくささでなかなか眠りにつくことができなかった。
明日、学校に行ったらどうなってしまうんだろう。
運命の「夜九時」は過ぎ去った。
「裏の顔」が、
ついに全国に向けて解き放たれてしまったのだから――。
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【作者より】
ご覧いただきありがとうございます!第16話でした!
ついにポカリクスのCMが全国放送されました!
「嵐の前の夜」を描かせていただきました。
お父さんの叫びっぷりや、蓮ちゃんの「次は私がお前をメロメロにさせる」宣言など、書いていてとても楽しかったです。
次回はいよいよ、CM放送翌朝のストーリーとなります!
朝のネット掲示板の盛り上がりや、教室の扉を開けた怜ちゃんを待ち受けるクラスメイトたちの反応をお届けする予定です。
面白かった、続きが気になる!と思っていただけたら、ぜひブックマークや評価、感想などをいただけると執筆の大きな活力になります!
それでは、第17話もお楽しみに!
ちなみに、このCM放映〜学校編の盛り上がりをもって、まもなく《《第1部》》が完結となります!
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