第11話 通知:一条蓮があなたを友達に追加しました
「はぁ……」
放課後を告げるキーンコーンカーンコーンというチャイムが響く中、俺は机の上で深いため息を吐いた。
目の前に広がっているのは、小学生の宿敵にして最大の難所――『漢字ドリル』である。
中身が元男子学生(しかも重度のオタク)の俺にとって、ぶっちゃけ小学校の授業自体はイージーモードだ。前世の知識貯金があるから、テストだって名前さえ書き忘手なければ満点以外の取りようがない。
けれど、この「ノートの正方形のマス目に向かって、ひたすら同じ漢字をちまちまと書き殴る作業」だけは別だ。どうしても精神力をゴリゴリと削られていく。
男子学生としての認識がある脳に、十歳の女の子の細い骨格。握るシャープペンシルは少し細すぎるし、何より指が痛い。しかも「跳ね」とか「払い」とか、前世で適当に崩して書いていた部分を厳密にチェックされるのが、地味に精神的苦痛なのだ。
「怜ちゃん、一緒に帰ろー!」
「あ、うん! 今片づけるね」
クラスの女の子たち(サクラちゃんたち)に声をかけられ、俺は慌ててドリルをランドセルに突っ込んだ。
ここは、いたって普通の公立小学校。
学校の友達は、俺が子役として活動していることなんて誰も知らない。俺にとって学校は、前世の「一般人」としての感覚を保つための大切な場所でもあった。
当然、校則でスマホの持ち込みは厳しく禁止されている。俺のスマホも、今はおうちの自室の勉強机の上でお留守番中だ。
ランドセルを背負い、いつもの通学路をみんなでワイワイと歩く。
「じゃあね、また明日!」
「うん、また明日!」
通学路の分岐点で友達と手を振り合い、俺はおうちに向かってトコトコと一人で歩く。
今日はオーディションの張り詰めた緊張から解放された、初めての放課後。
(はやくおうちに帰って、冷たいカルピスでも飲んでダラダラしよ……。今日はもう勉強もしないで、撮り溜めたアニメでも見返そうかな)
なんて、呑気なことを考えていた。
まさか、自宅で大人しくお留守番しているはずのスマホの中に、俺の心臓を直撃するような「超弩級の爆弾」が届いているとは夢にも思わずに。
「ただいまー」
静かな家に入り、リビングの冷蔵庫からカルピスを計量して、冷たい水を注ぐ。氷をふたつ浮かべてグラスを完成させると、それを片手に俺は二階の自分の部屋へと向かった。
ランドセルをベッドに放り出し、勉強机の上に置いてあったスマホを何気なく手に取る。
画面を指でトントン、と叩いてロックを解除した。
ロック画面に表示された、見慣れない通知。
緑色の吹き出しアイコンの横に、俺の思考を完全に停止させる文字列が並んでいた。
【新着メッセージ】
一条蓮:『ちょっと、今日の放課後空いてる?』
「ぶふっっっ!!???」
口に含んだばかりのカルピスを、あやうく部屋の壁一面にスプラッシュ(大惨事に)するところだった。
げほ、ごほ、と激しくむせながら、俺はスマホの画面を二度見、三度見、いや十度見くらいする。
一条蓮。
あの、現場で俺を凄まじい執念で睨みつけてきた、将来有望すぎる、リアル蓮ちゃんだ。
「なんでっ!? いや、なんで俺の連絡先知ってるの!?」
パニックになりながらアプリを開くと、友達追加の履歴に【一条蓮】の名前がしっかりと刻まれていた。
ステータスメッセージも何も登録されていない、シンプル極まりないアカウント。プロフ画像は、どこかのオシャレなカフェのラテアートの写真だ。自分で撮ったのだろうか。だとしたらセンスが良すぎる。
(あ、圧倒的にお顔が良い美少女のアカウントだ……! 尊い、尊すぎる。これ拝めば寿命伸びるやつでは?)
中身がオタクの俺は、それだけでスマホを両手で拝み倒したい衝動に駆られる。
しかし、なぜ連絡先を?
記憶の糸を必死に手繰り寄せると、そういえば前回のオーディションの帰り際、蓮ちゃんが俺のマネージャー(瀬戸さん)に「今後、演技の合わせとかで連絡を取り合いたいから」と、仕事用の名目で連絡先を聞き出していたことを思い出した。
あの時、蓮ちゃんは耳まで真っ赤にして、明後日の方向を向きながら瀬戸さんにスマホを差し出していたっけ。
「あれ、仕事用の連絡先として聞いたんじゃなかったの……? っていうか、プライベート用のアカウントで直々に送ってきてるじゃん!」
スマホを持つ手が、緊張と興奮でプルプルと震えだす。
落ち着け、俺。中身は男子学生だぞ。相手は十歳の可愛い女の子だ。大人の、そしてプロ(自称)の余裕を見せるんだ。
俺は震える指で、なるべく「十歳の女の子らしい、明るくて可愛い返信」を脳内で推敲した。
『蓮ちゃんヤッホー!』は軽すぎるか?
『一条さん、お疲れ様です』は硬すぎる。
悩みに悩んだ末、無難かつ愛嬌のある文章を打ち込んだ。
怜:『蓮ちゃん!追加してくれてありがとうー!(うさぎがピョコピョコとび跳ねるスタンプ)』
送信ボタンを、ぽちっ。
画面を見つめながら、ふぅと息を吐いた。
――その、次の瞬間だった。
画面の上の『既読』の文字が、ものの三秒で点灯したのだ。
(既読はっや!!! 待機してたの!? スマホ握りしめて待ってたの!?)
あまりのレスポンスの速さに、心臓が跳ね上がる。画面の向こうで、じっとスマホを見つめて俺の返信を待っていたかもしれない蓮ちゃんを想像して、胸の奥がくすぐったいような、奇妙な高鳴りを覚えた。
すると、すぐに『入力中…』の表示が出て、メッセージが返ってくる。
蓮:『別に、暇だからすぐに返信したわけじゃないわよ。たまたまスマホを見てただけ』
言い訳のような前置きをわざわざ入れてくるあたり、蓮ちゃんらしすぎて愛おしさが爆発しそうになる。
蓮:『それより、オーディションの結果。さっきマネージャーから連絡があったわ』
怜:『えっ!本当!?』
蓮:『……ええ。私たち、二人とも合格よ。W主演、決定だって』
その文字を見た瞬間、俺の頭からツンデレへの萌えが一時的に吹き飛んだ。
「合格……っ!」
ぽつりと声が漏れる。
あの凄まじいオーディション。周りのプロ子役たちの完璧なお芝居の中で、俺と蓮ちゃんが見せた、泥臭くて、だけど誰よりも熱かったあの演技が、審査員に届いたのだ。
喜びがジワジワと全身に染み渡っていく。
怜:『やったあああ!! 蓮ちゃんと一緒に合格できたんだね! すごく嬉しい!』
蓮:『ちょっと、喜びすぎ。……でも、まぁ、合格したこと自体は、悪くないわね』
文章からも、蓮ちゃんが「ふんっ」と鼻を鳴らしつつ、ニヤニヤと口元を緩めているのが手に取るように分かった。可愛い。テキストの向こうの表情が透けて見える。
蓮:『でも、ここからが本番よ。CM撮影は来月からスタートするらしいわ。あなたの演技が足を引っ張るようなら、私が全部目立って終わらせるから』
怜:『ふふ、厳しいなぁ。でも負けないよ! 蓮ちゃんの隣に立てるように、私、もっともっと頑張るね』
そう送ると、今度は少しだけ返信に時間がかかった。
一分ほどして、ぽつり、と短いメッセージが届く。
蓮:『……当然よ。私の隣なんだから、他の誰にも譲っちゃダメだからね』
画面の向こうの彼女が、どんな顔でこのメッセージを打ったのか。
きっと、いつもの勝気な瞳を少しだけ潤ませて、照れくさそうに画面を睨んでいるに違いない。
「はぁ……最高……」
俺はスマホを胸に抱きしめ、ベッドの上にゴロンと転がった。
学校が違うから、普段は会えない。
だけど、この手のひらに収まる機械を通じて、俺たちは確かに繋がっている。
オーディションが終わって、また普通の小学生としての日常に戻ったけれど――俺の世界は、あのライバルとの秘密のやり取りのおかげで、少しだけ特別できらきらしたものに変わっていた。
「よしっ、明日からも漢字ドリル頑張るか!」
なぜか湧き上がってきた謎のモチベーションを胸に、俺はもう一度スマホを開き、蓮ちゃんに送るための新しいスタンプを探し始めるのだった。
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【作者より】
11話をお読みいただきありがとうございました!
無事にW主演を勝ち取った2人。ここからさらに怒濤の展開が始まります!
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