56. ネラとオージマーとキャルロの関係
もーちょい会話回が続く感じ、です・・・。まぁでも、大切なお話。
ネラが呼ばれたのは、謁見の間ではなく、二人で気安く話し、酒を酌み交わすのに使っていた小部屋だった。ヨホーは皇妃に呼ばれてそちらに報告に向かった。
琥珀色の蒸留酒を氷で割ったグラスを皇帝自らが用意して、ネラに手渡し、自分のグラスと打ちつけ、二人で煽った。
遠くから皇都の賑わいがかすかに聞こえてくるが、小声で話すにも充分な静かさが保たれ、夜風がベランダにいる二人の間を心地良く流れていく。グラスの中の氷が、かららと何度か鳴り、皇帝オージマーは尋ねた。
「連れてきてくれたのだな」
ネラは、ふっとおかしくなって鼻で笑ってしまった。
「感謝している」
オージマーは気にした風もなく礼を言い、グラスを傾け、空になった自らの酒盃に酒と氷を注ぎ足した。
「息子を、どうするつもりだ?」
今度は、ネラが酒盃を傾け、オージマーが黙した。
「少なくとも、俺が手を下す事は、無い」
「信じていいのか?」
「キャルロがな」
「うん?」
オージマーはゆっくりと酒盃を傾け、喉で味わい、何度かグラスの中で氷を回し音を楽しんでから、言った。
「あれをそのままにする事が、処置を受ける条件だと言い切りおったからな」
今度は、ネラが黙した。
「情が移ったか」
誰が、誰に、と限定されずとも、ネラは察した。ずっと、疑われてきていたのだから。
酒盃を空にするまで何度か傾けてから、ネラは答えた。
「子を成せないままでいたら、正妃の座から降ろされていてもおかしくはなかった。お前の第一の妃であり続けられた。それに初めて産んだ子だ。十年も育ててくれば情が移るのも当然だろう」
「情が移ったのは、お前との子だったからだ」
「オージマー。その話は何度もしてきただろう。もう蒸し返すな」
「いいや。今この時だからこそ、しておかねばならん。我が妻となったキャルロは、俺達二人の幼馴染だ。共に育った仲だ。身分から言えば、確かにお前に嫁ぐ事は難しかっただろう。俺はそれがわかっていて、あいつに求婚し、あいつはそれを受けた」
「それが全てだよ。それ以上も以下も無い」
「立場としてはな。先帝の数多い子の継承争いの中から勝ちあがる間に、お前はその力を証明した。俺の第一の剣、第一の友として、信頼を決して裏切る事が無かった。今回を含めてな」
「俺からお前を裏切る事は無い。何度も言ってきたが、これからもそれは変わらない」
オージマーはまた二人分の酒と氷をそれぞれの酒盃に注ぎ、テーブルに置かれたままのネラのグラスに自分のグラスを軽く打ちつけた。
「あれは、お前が手を引けば共に逃げるかも知れぬぞ?」
「バカを言え。子供の立場はどうなる?真実を明かされたとして、すぐに受け入れられるものか。まして、お前がそのままにするという皇太子の地位まで捨てるものか」
「俺が、真実を語らねば、な」
オージマーがグラスを傾けた間に、ネラもグラスを煽り、軽くだがテーブルに打ちつけ、眉をひそめたオージマーに抗議した。
「悪い冗談はよせ。誰も幸せにならん」
「いや、一人か二人はいるかも知れんぞ?」
「話にならん」
「いいや。俺にとって、最も大事な二人だ。真剣に検討するに値する」
「検討するな。それは確実に一人以上を不幸にする」
「それを決めるのは、お前ではなく、息子であるメレレンドではないのか?」
「まだ十歳の子供だぞ?せっかくまっとうな人柄に育っているんだ。知らぬまま育ててやれ」
「子思いな親だな。きっと俺にではなく、お前に似たのだろう」
「あいつはお前の子供でもある。お前の子供として育てられた。お前とキャルロの間に生まれた子として慈しみ愛し育ててやれ。それだけが、俺の願いだ」
「嘘だな」
「なんなら、これまで何度も試してきた嘘を見破る魔道具でも何でも使ってみるがいいさ」
「ああ。嘘を真として十年、いや二十年以上積み重ねてきてしまったからな。今更嘘を嘘とも思っていまい。お前は、俺よりもキャルロを想っていたものを、俺が横合いから奪った」
「それが事実だったとしても、過去の話だ。俺に望みなど、ほとんど、無い」
「ふむ。それが、先ほど聞いた願いだとして、つまらん」
「何がつまらない?大切な事だろうが」
「メレレンドの地位をそのままに愛し慈しみ育てたとしよう。それがお前とキャルロの幸せと何の関わりがある?」
「なっ・・・」
「それにだ。俺の気が変わったらどうするつもりだ?俺を倒し、メレレンドの父親として名乗りを上げるか?」
「そんな大それた事をするなら、あの政争のさなかにでもやって、キャルロを娶る道を実現してただろうさ」
「そうすべきだったかも知れないのに、お前はそうしなかった。だから不満を覚えたキャルロは俺の求婚に応じた。だからお前と子を為す試みにも応じ、真に俺との間に子を為せる機会を目前にしても、お前との間に作った偽りの子の地位を剥奪するなと俺に言う。全て一本の糸でつながっているではないか?お前への、いや、お前だけへの、純愛だ」
ネラは酒盃を口に天を仰いでから、タンッとグラスをテーブルに打ちつけ、否定した。
「そう言い切るくらいなら、あいつはお前の求婚には応じていなかっただろうさ」
「逆だ。ネラ。お前が俺を裏切らない事に絶望しながら、お前と共に在れる道をキャルロは選んだだけだ」
「それは、都合の良すぎる曲解だ」
「それが曲解かどうか、知っているのはお前じゃない。キャルロだけだ」
「・・・悪ふざけが過ぎるぞ、今夜は」
「ふざけてなどいない。今夜だからこそ、お前に償いを提案しているのだ」
「償い、だと?何に対しての?」
「二人の間を引き裂き、二人の間に生まれた子供さえ俺の名の下に奪ってしまった」
「償いなど不要だ。その時々で、俺も、キャルロも、選択してきたのだから」
酒を注ぎ直そうとしたネラの手をオージマーは掴んで言った。
「今夜が、最後の機会だ。明日処置を受ければ、二度と、キャルロは自分の愛に正直に生きる機会を失う。お前は、それでいいのか?」
「選択するのは、キャルロだ」
「いいや、お前もだ。キャルロがお前を選び直したとしても、お前は応えないのか?」
「有り得ない選択肢を提示されても選びようがない」
「それが有り得るかどうか決めるのは、お前ではなく、キャルロだろうに」
「しつこいぞ、オージマー!」
「俺の口から言っても説得できるとは思っていなかったさ。だから俺からは最後にこれだけ試しに言っておこう。お前がキャルロを連れて、そうだな、ユリエールにでも落ち延びなければ、メレレンドを廃嫡すると言ったら、お前はどうする?」
「底意地が悪過ぎるぞ・・・!」
「意地が悪いのは、俺とお前、どちらかな?」
オージマーは二人の酒盃に再び酒と氷を注いだ後、もう二つグラスを用意して、そちらにも酒と氷を注いだ。
「おい、まさかとは思うが」
「安心しろ。ここでの会話は全て中継されていた」
「お前っ!」
ネラがオージマーの襟首を掴んで引き寄せるのと、ドアがノックされてキャルロとヨホーが入ってくるのは同時だった。
「あらあら懐かしい。昔は良く見た光景だったのに、皇帝に即位してからは滅多に見れなくなったものね」
「キャルロ・・・」
新たな参加者は椅子を室内からベランダに運び出して腰掛け、オージマーの酒盃で喉を潤した。
「ちょうどいい。オージマーの戯言を」
「戯言ではなかったとしたら?」
キャルロの一言で、ネラは凍りついた。
「オージマーは煽り過ぎだし、盛り過ぎかも知れないけれど、あなたみたいな堅物はそうでもしないと心が動かないから。それで、私があなたを選び直したとしたら、あなたはどうするの?」
「仮定の話には・・・」
「仮定ではなかったとしたら?」
ネラは、皇妃となる前の、茶目っ気と反発心の塊みたいなキャルロの瞳を久方ぶりに見た気がした。
「子供を、メレレンドを不幸にするな」
「あの子は、ここでこのまま幸せに過ごしていけるわ。何故か同時期に大勢の弟や妹達に恵まれたとしてもね」
「それでも、母親が皇帝第一の側近と駆け落ちしたとなれば、どれだけの逆風が吹くかわかるまいに。心に重い傷を負ってもおかしくはない」
「母親がずっと心を偽ったまま過ごしていたと知っても、心は痛むと思うけれど」
「そう、なのか・・・?」
「私が愛したのは、ずっとあなただけだった」
真正面から言われて、ネラは再び固まった。オージマーは、すでに伝えられていたのか、肩をすくめて酒盃を仰いだだけだった。
「オージマーの事は嫌いではないわ。好きか嫌いかで言えば好きだし、ずっと夫婦として過ごしてきた思い入れもある。だけど、子供が出来ない事で周囲からあれやこれやと言われ続け、その間も正妃としての座は守ってもらえてたけど、引き換えに百人以上の他の相手と通じる事を受け入れてしまった」
「仕方なかろうに」
「もちろん。私も割り切ってはいるわ。皇妃だもの。でもね、一人の女として、それこそいくらでも言い寄ってくる相手に恵まれていたのに、誰も娶らず誰とも深い仲になろうとしてこなかった元々の想い人に心が傾いていってしまった事も責められたくはないわ」
「責めるくらいなら、ネラと子作りをしてみてはどうかと俺から持ちかけるわけが無かろうに」
「ええ。だからあなたも割り切ってるんだと分かったの。そして一度で愛は宿ったの。それからは、皇妃としてあなたの前で振る舞い続けるのは、苦痛だったわ。面には出さないように気をつけてはいたけれどね」
ネラは、しばし沈黙し続け、酒盃を何度か仰いで空にしてから、尋ねた。
「だが、二人でどこかへ姿を消すなど、現実的ではないだろうに」
「問題無い。少なくとも、数年以上な」
オージマーが自信たっぷりに言い切った。
「どうしてだ?」
「クェイナが、なぜこちらの誘いに乗った?女神の映し身たる聖女の傍で出産と子育てするのを避けたかったからだろうに。で、ユリエールの首領を数年の間も借り受ける形になるのだ。こちらからもそれなりの誰かを相手に渡しておかねば釣り合いが取れまい?」
「本気、なのか?正妃なんだぞ?」
「相手はユリエールの国主なのだぞ?俺が向こうに行けば本気で侵略しに来たと受け止められるだけだし、実際には俺はこちらを離れられん。だが、俺の身代わりとしての正妃と、その護衛としてお前がついていくのなら、何のおかしい事も無い」
「それでも、風聞はよろしく無いだろう。まして、向こうにいる間に懐妊などしたら」
「おお、やる気があるではないか!」
「ぬかせ!ふざけている場合ではない!」
「いや真面目な話、そのまま離縁して国外永久追放にでもしてやるわ。ついでに監督不行き届きで、お前もな」
ネラは、頭をがしがしと掻き、酒瓶から直に原酒を飲み下して、げほげほと咽た。
「照れ隠しの仕方も、昔と変わってないのね」
「放っとけ。それで、メレレンドを置いていく事にためらいは無いのか?」
「あなたとの間の子供だもの。たまにこっそりと成長した姿を見たいくらいの名残惜しさはあるわ」
「あちらでそのまま島流しとなるなら、難しいだろうな」
「メレレンドがこっそりと行き来するくらいなら、たやすいだろう。頻繁には難しいが、今回で少なくとも橋頭堡は得たのだしな」
「あいつが、そうすると思うのか?うらまれて見放されるのが当たり前じゃないのか?」
オージマーはキャルロと視線を交わし、ぷっと軽く吹き出して笑った。
「何がおかしい?」
「いや、ここまで話してきて、お前こそ何かがおかしいとは思わなかったのか?」
「何かって、何が?」
「いよいよ二人の間の本当の子供が出来るのよ?それを実現出来る誰かを連れてきて、一番不安になるだろう当人が、何もしなかったと思う?」
「でも、メレレンドには伝えていなかったのだろう?」
「伝わっていたとしたら?」
「まさか、メレレンドにも伝話の魔道具を渡してあったのか?」
「まぁ、今夜は特別に渡してあったけど、そういう話でもなくて」
「っ!どういうつもりというか、どういう話なんだいったい?!」
「落ち着けネラ。スキルは、早ければ十歳頃から発現するのは知っておろう?」
「だが、まだ何のスキルも発現していないと言っていたではないか」
「あれは嘘だ」
「おい・・・・・」
「ずいぶん早く、五歳くらいから発現というか使えていたそうよ」
「どんなスキルが?」
「想像つかないのか?」
「読心よ」
ネラは両手で顔を覆って深く嘆息した。
「はああぁぁぁぁ・・・。知らないのは、俺だけだったのか?」
「いいや、俺が知らされたのは二年前くらいだった」
「私はその少し前くらい。驚いたわ。いきなり出生の秘密を言い当てられて、それだけでなく秘めてた想いまで明かされてしまったのだもの」
「で、キャルロとメレレンドが認めてしまっているものを、俺が否定しても仕方なかろう?出来るわけもない」
「ネラ。あなた、あの子を可能な限り避けてたでしょう?」
「当たり前だ。不要に近づくほどあの子の不利になるのだから」
「だから不思議に思って、あなたから真実を知ったらしいわ」
「最悪だ・・・」
「それを私に聞いて裏を取ってから、オージマーにも打ち明けたの」
「じゃあ、クェイナをさらってくる必要も無かったんじゃないのか?」
「バカを言うな。お前ら二人を安全に追放する口実が無くなってしまうではないか。俺とて真に失恋してから、気を許している美姫の何人かはいる。彼女達との間に子を為す手伝いはしてもらうさ」
「それにね。あなたも気付いてた筈だけど、あの子、だんだんとあなたに似てきているの。今はまだそれとなくという感じで、私に似た部分も多いから疑う声を聞く事は無いけれど、言わないだけで疑われててもおかしくない。というか、あの子は実際に見聞きしてるでしょうね」
「その意味でもやはり、お前はここを離れた方が良いのだ、ネラ。それもなるべく早い内にな」
「・・・それがあいつの為になるのなら」
「メレレンドは聡い子供だ。実の父親が離れても、その姿に似ていけばいくほどに周囲から疑いの声が上がっていく事をすでに予想している。どれだけ皇帝として望ましい能力を身につけたとしても、自分はその地位から追い落とされると感じているだろう。まして、読心のスキル持ちだ。最高権力者が望み得る最高のスキルかも知れんが、諸刃の剣だろう。お前達二人が新天地で生活の足場を得て、逃げ込み先を確保しておいてやるのが、親としての務めにもなる可能性は低くない」
ネラは、もう一度だけ酒瓶からぐいっと酒を呷ってから、尋ねた。
「それで、メレレンドもこの会話を聞いていると言ったな?今どこにいるんだ?」
「心配しなくていいよ」
ヨホーが答えた。
「クェイナさんに会ってみたいって言ってたから、そっちに行ってるんじゃないかな」
「それは、危ないんじゃないのか!?」
「あれが、真に皇帝になりたいだけの子供だったらな。しかしそうではない」
「力量的には、単なる十歳の子供。オークやオーガー達の上に立つクェイナさんが遅れを取る事は無いでしょうね」
「それでも、何かあった時の為に、俺は傍にいるべきじゃないのか?彼女の身の安全に、俺は最大限の責任を負っている」
「それは皇帝たる余の責任だ。その俺の名で、警備の者達に、メレレンドが現れれば何も問わずに通せと言ってある。もちろん、暗部にも話は通してある。ただし、もし本当に危害を加えようとするなら止めるようにも伝えてある」
それでも不安げな視線をクェイナの泊まっている館に送るネラの肩を叩き、
「醜聞が流れるのは、あちらに移ってからにしろよ。ただまぁ、今夜くらいは許す」
「なっ・・!?」
「しっかりヤれよ?思いの丈がまた十年分溜まっているのであろう?」
はっはっはと嫌味たらしく笑いながら、オージマーは部屋から退出し、ヨホーもついていってしまった。
うろたえているネラに、キャルロは命じた。
「座って。まずは落ち着いて」
「あ、ああ」
ネラがキャルロの対面の席に座ってしまったので、キャルロは仕方なく隣の席に移り、椅子をネラのすぐ隣に寄せてから座った。
「ひ、人目が」
「こんな夜遅くにこんな場所を覗けるのは、皇帝の許可を得ている者達だけよ。いまさらあなたが心配するようなことじゃないわ」
「・・・・・・」
「・・・ずいぶん遠回りしちゃったわね」
「・・・遠回りして初めて辿り着けたのかも知れないがな」
「そうね。そう思いましょう。それでも、失った何割かでも取り戻せるようにしましょう?」
キャルロが隣り合うネラの片手を握ると、ネラもしっかりと握り返してきた。キャルロは、数十年ぶりに、ネラの肩に自分という存在をもたれかけさせた。




