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44.ユウが忘れていた事。思い出させられた事。思い出させられない事。

 大城祐子(ユウ)は、動揺していた。動揺している自分にも動揺していたが、自分を動揺させた小暮百合(ユリ)の在り方、その姿に動揺していた。


 自分の理想の相手として想い願った姿だったのに、忘れていた。

 あれが、ユリ本来の、ユウが最初の生で、自分がまだ人間だった頃に出会い、恋焦がれていたユリの姿だったのに、忘れていた。その頃の自分と、ユリと、そして何よりも大切にしていた筈の自分の恋心でさえも。


 どうしようもなく愛しい相手が目の前にいるのに、その名前を呼ぶ事も許されず、触れる事も許されていない、その理由も、忘れていた。


 そして、自分の最愛の、片思いの存在を喪った時の光景も、忘れていた。


 忘れていた事が多過ぎて、女神として有り得ない事態を冷静に見つめ直す為に、ユリの前から逃げ出し、家に逃げ帰った。


 扉を閉めて一息つこうとした時、記憶に無かった筈の誰かが、目の前に現れて、言った。


「忘れていた事を、思い出したかな?」

「・・・ジグハット、様・・・・」

 年齢不詳の、丸いサングラスをかけて目の表情を読ませない男性は、にこりと笑った。

「私の名前を思い出せたという事は、人間だった君がどうやって神になれたのか、思い出せたのかな?」

「・・・・・・・・はい」


「よろしい、立ち話もなんだ。お茶くらいは入れてくれるのだろう?」

 ユウはうなずき、リビングへと、ジグハットと呼んだ、見知らぬ筈の、でも名前を知っていた男性を導いた。


 やかんに水を注ぎコンロにかけてお湯をわかす。コーヒー缶やミルクやマグカップ、砂糖の準備をしながら、忘れていた事に(おのの)く。


 自分がどうして神になろうとしたのか。誰が自分を神の座につけてくれたのか。どんな取引を申し渡されたのか。

 空恐ろしい事に、お湯が沸くまでの数分間では、どんな取引をしたのか、思い出せなかった。


 神になろうとした理由は、単純だった。取るに足りない存在である自分なんかを救う為に、ユリがその命を喪ってしまったからだ。

 人の身で、すでに死んでしまった誰かを生き返らせる事は、出来ない。なら、神様ならば出来るだろうか?それくらいの、単純な思考だった。


 誰かを生き返らせるのと、ただの人が神になるのと、どちらが難しいかとかは、気にしていなかった。普通なら、どちらも、出来ないという答えしかないのだから。

 それでも、自分はあきらめなかった。最愛の誰かを喪って後追い自殺するつもりは毛頭無かった。そして、私は・・・。


 ユウはコーヒーのカップや砂糖やミルクを盆に乗せてリビングへ運び、ジグハットに給仕した。

 ジグハットは角砂糖を十個カップに溶かし、砂糖でざりざりになってそうなブラックコーヒーを美味しそうに喉に流し込んだ。


「君のコーヒーを頂くのは、ずいぶんと、久しぶりだねぇ」

「・・・そうですね」

 ユウは、角砂糖を二つと、小さじ一杯くらいのミルクを自分のコーヒーカップに注ぎ、よくかき混ぜてから口にした。いつもの味、の筈が、味なんて全く感じられなかった。


 落ち着け、私。

 仮にも神様だろうに。


「それで、今日はどのようなご用で?」

「そう、君は仮にも神様だ。仮、というところが重要なのだが、覚えているかね?」


 言われて初めて、思い出した。


「そう。君は無謀にも、神になる事を望んだ。もちろん、君一人の力では、何度生をやり直しても神に至る可能性は、限りなくゼロだった。

 だが、神を止め、存在に終止符を打とうとしていた私は、君を見出した。

 そして君の動機と願いを聞き、君が神に至り、君の願いを果たす道筋をつけた。

 さて。そんな都合の良すぎる話は、本来有り得ない筈だ。君は何を取引の条件にした?君が(仮)な神で無くなるにはどうしたら良いのか。思い出せたか?」

「・・・差し出した条件は、あなたを()しませる事。あなたが神を止めたくなったのは、無限の仕事に嫌気が差したからだった。何もかにも飽きていたあなたは、他の条件では受けようとはしなかった」

「そうそう、良く思い出せたね。では、(仮)な神様でなくなる条件についてはどうだろう?」

「・・・私の愛した誰かが、99度転生しても、私だけを愛し、そして私が彼女の想いに決して応えない事」

「それで、結果はどうなったのかな?」


 ユウは、答えられなかった。


「失敗した場合、(仮)が外れず、私の後継者の神として独り立ちできなかったら、君や君が大切にしている存在がどうなるかは、覚えているかな?」

「覚えて、いません」


 嘘だった。たった今、他の忘れていた事たちと同じように、思い出したのだから。

 私の嘘なんて見破れるジグハット様は、ただ笑みを深くして、話を続けた。


「君の愛する誰かは、死後、すでに別の神に拾われて、彼女の管理する世界に転生した。彼女はなかなかのやり手でね。少しは名の知れた老神の私でさえ、好き勝手にちょっかいは出せない相手だ。だからこそ、いろいろと貯まってきてた鬱憤もあってね。君を通じていやがらせ、もとい意趣返しが出来たら嬉しいな、とは思っていた」

「でも、私は失敗した、のですよね?」

「君は私の力を借り、君の愛する誰かのいわば二度目の人生に割り込みをかけ、歪ませ、君だけを愛するようし向けた。そうでないと、君を神にする為の試練が始められなかったし」


 何となくそうじゃないかな、という自覚めいた予感はあった。特に、自分がユリを、いやお姉様を亡くしたその時の情景と情感を思い出したその瞬間から。


「それで、仮免許な私が本免許を与えられなかったら、私や、ユリや、そしてあなたはどうなってしまうのですか?」

「君は、残念ながら、神様候補としては失格となる。つまり、ユリの最後の転生先の世界が終わった時に君も終わるし、何よりも、君の願いは叶わなくなる。引退して消滅したいという私の願いもだがね」

「そうですか。それは、大変申し訳ありませんでした。すでに失敗した私に、これ以上何か出来る事は残っていますか?」


 ジグハットは、愉快そうにユウを見つめた。その視線には、落胆や失望といった感情は交えられていなかった。


「君や、君の恋人候補は、私を飽きさせなかった。この最後の回でつまづいてしまってたとは言え、さらに想定外の行動で楽しませてくれている。だから私は、君に報いるというよりは、彼女に報いるべきじゃないかと思い始めている。彼女に肩入れしてる、彼女の最初の転生を受け持った女神も、それなら許してくれそうだしね」

「結果的に、お姉・・ユリ様が救われるのなら、それで、かまいません」

「そんなつまらないことを言わないでおくれ。興醒めだよ。私はここから君がどうやって絶望的な状況を覆すのかも楽しみにしてるんだからさ」

「それはでも、私の合否を判定するあなた次第なのでは?」

「だめだよ、そんなんじゃ。人の身で神の座を欲したんだ。数々の記憶を封じられた上で、最低限の初級神として世界の創造と管理くらいは出来るようになったんだ。だいそれた望みを抱いたなら、それを貫き通してみせたらどうなのかな?」

「けれど、私の神としての権能は、あなたから借り受けているものなのに」

「ああ。神としての規模も力も、君と私では比較にならない。ただ、強烈に何かしたい事が残っている、その熱量において、君は私に比肩し得る。そんな輝きを認めたからこそ、私は君に手を貸したのだよ。

 さて、改めて聞こうじゃないか。失敗した君が、私を楽しませる為に、どんな申し出をしてくれるのか」


 わくわくした表情を隠そうともしないジグハットを前に、ユウは困惑した。この期待を裏切れば、自分はもう終わりだと感じられた。ただ、どうすれば期待に添うのか、いや彼の期待以上になるのかが、わからなかった。


 迷うユウを前に、ジグハットは、ある世界の情景を映し出した。ユリが、マーレの祝福を受け、大津波を消し飛ばし、アンデッドの皇帝を圧倒していた。

「私の祝福では、あそこまでの力は出ない筈ですが」

「では、他の誰かが肩入れしたのではないかな。私ではないが」

 ユウは一瞬だけ疑ったが、確かめる術は無いとすぐにあきらめた。

 宇宙空間にダンダニルを弾き飛ばし、アイテムボックスに閉じこめて神気で圧縮していき、存在の最小限度を越えて消滅させるという力業には驚いた。そんな方法があるとはユウは知らなかったからだ。ユリも知らないでやったようだが、ジグハットは満足げににこにことしていた。

 そこからの映像は、さらに衝撃的だった。

 地上に降りてきたユリは、ユウの写し身でもあるマーレたちに出迎えられ、祝福が切れた反動で身動き出来なくなっていたユリはそのまま、マーレと契りを結んでいた。


 最近、呼びかけられても答えていなかったのは自分のせいではあるにせよ、あのような一線を越えさせる予定は、無かった。しかも、自分はまだ味わっていないのに、先んじられた憤りも感じた。しかも、ユリに勝手にアプローチし、その自由意志を尊重するなどと伝えてしまい、好印象まで植え付けていた。

「彼女も、君の写し身以上の、自由意志を獲得し、自分の生を謳歌しようとしているね。すばらしいじゃないか」

 ジグハットの指摘と賞賛には、曖昧にうなずくことしかできなかった。腸が煮えくり返るような感情を発露していたのか、

「あの写し身を潰したり、聖女という役目をはぎ取ってはダメだよ。まだまだ面白い事を引き起こしてくれそうだし」

 その要求には、沈黙で応えた。


 今、ユウの心の真ん中を占めていたのは、ユリの事だけだった。自分の分身が願いを果たしたのだ。ならば自分も、と考えるのは当然の流れだったけれども、ジグハットは自分の助言という形を取った要請を無視するように己の願望に囚われてしまったユウに言った。

「しばらくの間、ユリをこちらの世界に戻す事を禁ずる」

「なぜ?!」

 咄嗟の正直な反応を嬉しがるようにジグハットは応えた。

「少なくとも、君自身がその理由を自分で思い出せるようになるまでは、ダメだ」

 それが絶対の決定事項で自分には覆せない事は、ユウには痛いほど認識出来た。

「それから、失敗した君への課題というか、補習というか、最低限の条件を課そう。こちらの世界で、ユリが君を、その自由意志で選ぶ事だ。分かったね?」


 にこりと微笑んで、ジグハットはその姿を消してしまった。自分には認識できない高位の世界に戻ってしまったのだろう。


 ユウは、冷めてしまったコーヒーを口元に運びながら、忘れていた事の多さと、思い出した数々の事と、まだ思い出せていないらしい事の整理から取りかかる事にした。


だんだんと、二人は思い出していくことになります。

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