205# レアモノ
時は少し遡り——
決勝戦に乱入し、完敗した上に気絶した。
元最強の剣闘士が目覚めて最初に向かったのは、兄貴と慕う者の部屋。
己の不甲斐なさを叱りつけてもらいたい、そんな心境で会いに行った。
しかしそこには誰も居なかった。
日は既に暮れていた。
そういえば今夜は《竜王祭》、鎮魂の儀とやらが《霊峰》である。
きっとタチアナの付き添いで行ったのだろう。
そして同時に、男の足りない頭は一つの可能性に思い至る。
今まで、鎮魂の儀とやらを見た事はないが、もしかしてそこで結婚式も挙げてしまうのではなかろうか。
鎮魂の儀は、確か平和を願う為の儀式。
言ってしまえば年内で一番めでたい場である。
そんなめでたい場なら、結婚式を一緒に執り行ってもおかしくはない。
いや寧ろそれこそが正道、やって当然。
男は思い立ったように、くわっと目を見開く。
「兄貴の、晴れ姿…!」
それは見逃してはならぬと男は一人、聖大闘技場を飛び出した。
*
時は戻り、《霊峰》山脈の一角。
地上にて。
無数の暗い水玉——深水や水の斬撃が《邪竜》に降り注いだ。
それはフォルによる凄まじい猛攻。
落とした《邪竜》に何もさせず、フォルは力ある限り攻撃を続けた。
先祖返り——その身を半分竜へと変え、竜種特有の怪力で直接剣戟を叩き込む。
それでも——《邪竜》は無傷。
いや、正確には堅牢な鱗に小さな傷を無数に刻んではいるが、その程度。
《邪竜》自身はピンピンしており、実質的にダメージは入っていないだろう。
フォルの頰に冷や汗が流れる。
フォルの魔力量は、それ程多くはない。
当然、絶え間無く攻撃を続けていれば息切れを起こす。
“退け!”
“獄炎を喰らえば終わりだぞ!”
ルーナマールも水魔法を援護で放ち続けながら、フォルに撤退を促す。
それにフォルは、首を横に降った。
「駄目だ! ローファスはもっと沢山相手してるんだぞ!」
アベルやリルカ達もそれぞれ一体ずつ相手をしている。
自分がここで退けば、この《邪竜》は他の戦場に乱入するだろう。
今、どこも戦況はギリギリの崖っぷち。
ここで戦線を維持しなければ、犠牲が出かねない。
だが、フォルが戦っている《邪竜》は遥か格上な相手。
このまま戦いを続けても、勝ち目がないのはフォル自身も分かっていた。
“お前が死ねばローファスが悲しむぞ!”
「うっせえ! アタシが強くなったのは、ここで踏ん張る為なんだよ! ここで足引っ張ったらもうローファスと顔を合わせらんねえ!」
“…顔を合わせられないのはあの小僧の『愛してる』にドギマギしてるからだろ。あの明らかなその場しのぎの”
「う、うっせえわ!」
フォルが顔を真っ赤にした瞬間、その隙を突いて反撃に転じようとした《邪竜》が勢い良く横転した。
ギョッとした顔で驚くフォルとルーナマール。
当然、二人は何もしていない。
一体何が起きたのか。
まるで《邪竜》が何かに躓いたように見えたが。
「——ってーなぁ…!」
《邪竜》の爪痕が深々と刻まれたクレーターより、がばっとある男が頭を突き出した。
二本角の鬼を模した兜に、甲冑のようにゴツく強靭な肉体。
大地をも容易く穿ち、地形すらも変える《邪竜》の爪を受け、傷らしい傷も見られない。
フォルはその男に見覚えがあった。
それは闘技大会決勝戦に出場していた剣闘士。
「お前確か、ローファスとタッグ組んでた…」
そのフォルの呟きを、男——ボレアスは聞き逃さなかった。
その目に、剣呑さが宿る。
「あぁ? おい女。テメェ、なにアニキの事を気安く呼んでやがる。“さん”、いや…最低でも“様”を付けろや」
「は…? いや、今それどころじゃ…」
「それ以上に重要な事なんざねえだろうがあ! その姿、竜人化か? て事は剣闘士——にしては見ねえ顔だな。ははあ、テメェあれだろ。タチアナの新しい側近だ」
「いや違う…って待て待て、お前後ろ! 獄炎吐かれるぞ!?」
「はあ? この俺にそんなハッタリが通用すると——」
ボレアスはそのまま、後ろから《邪竜》に獄炎のブレスを浴びせられ、闇色の炎に呑み込まれた。
「く…あの馬鹿…!」
聖竜国へ来る前に、リルカやアステリアが再三に渡り、口を酸っぱくして言っていた。
獄炎に触れたら終わり、消えない炎が瞬く間に燃え広がり、灰一つ残さず焼き尽くす。
だから絶対に躱せ、火の粉に触れるのも駄目、ブレスを受けるのなんて以ての外だと。
目の前で命を散らした剣闘士、それを救えなかった事にフォルは悔しそうに目を逸らす。
しかし——
「またこれかああああ!? 流行ってんのかこの炎はよおおおお!?」
竜種にも引けを取らないボレアスの咆哮。
その衝撃波で獄炎は弾き飛ばされた。
『「えぇ…」』
ポカーンと目を丸くする、フォルと思わず人語がついて出たルーナマール。
因みにフォルは、決勝戦はローファスの試合に意識を向けていた為、ボレアスとアベルの戦闘を知らない。
ボレアスは《邪竜》を無視してズカズカと詰め寄る。
「おい、テメエ俺の問いに答えてねえよなあ? タチアナの側近じゃねえならなんだってんだ。何でアニキの名前を知ってやがる」
「いや…それよりお前、体大丈夫なのか?」
「くだらねえ事言って煙に撒こうとしてんじゃ——あ?」
ふとボレアスは気付く。
フォルが首に付けているチョーカー、その一部に太陽を喰らう月の紋章が刺繍されている事に。
確か、普段着のローファスも似たようなチョーカーを身につけていた。
似たようなというか、色違いの同じものを。
ここでボレアスは思い至る。
「はー、成る程な。テメエ、アニキのファンだろ」
「はい…?」
「そういう事ならアニキを呼び捨てにした事、見逃してやっても良い。相手が偉大過ぎて距離感ミスっちまうアレだろ。まあ理解できなくはねえよ。だが見逃す代わりに、そのグッズが何処の商会で売ってるか教えろ」
「グッズ…? このチョーカーの事か? これ紋章付きだし、多分一般では売ってないんじゃ…」
「非売品のレアモノだと!? 寄越せ! そのアニキとお揃いのチョーカー、舎弟である俺が持つに相応しい! もし嫌だっつうなら——」
ボレアスが略奪せんと腕を振り上げた所で、フォルがチョーカーを外してポイっと投げ渡した。
きょとんとボレアスは目を丸くする。
「…くれんのか?」
「欲しいんだろ。お前ローファスの舎弟なんだろ? なら別に良いよ。まあお前、首太いからサイズ合わねーかもだけど」
「女…お前良い奴だな。名前は?」
「ファラティアナ…長いからフォルで良い。いや、自己紹介とかしてる場合じゃなくてさ——」
「そうかフォル。俺はボレアスだ。ローファスのアニキ第一の舎弟だ。で、一応聞くが、なんでアニキとお揃いのチョーカーを持ってる? 非売品つったよな」
「いや、本当にそれどころじゃないんだって! 後ろ! 《邪竜》来てるから!」
「答えろよ! まさか非合法な手段でこれを手に入れたんじゃねえだろうな!? それじゃ真のファンとはいえねえぞ!」
「ファンじゃねえ! それ持ってたのはアタシがローファスの婚約者だからだよ!」
「え…?」
フォルに半ギレで返され、ボレアスは目を点にする。
直後、ボレアスは背後から《邪竜》の尻尾を受け、吹き飛ばされた。
「ああ! 言わんこっちゃねえ!」
岩に激突してめり込んだボレアスは、ハマった頭を無理矢理に抜いて頭を振るう。
元最強の剣闘士、ボレアスはまたも無傷。
当然。
ボレアスの肉体は、魔人化したローファスの一撃すら耐える程に頑強。
相手が《邪竜》とはいえ、尻尾の薙ぎ払い程度でどうにかなる筈もない。
しかし——手の中にあったチョーカーは、今の衝撃で千切れていた。
「あ…」
ボレアスの寂しげな背に影が落ちる。
ボレアスの手から、滑るように千切れたチョーカーが地面に落ちた。
そして続け様に、更なる《邪竜》の追撃がボレアスを襲う。
振り上げられた凶爪が、ボレアスごと地面を穿った。
それにもボレアスは当然のように無傷。
しかしボレアスが立っていた地面は、フォルから貰ったチョーカー諸共消し飛んだ。
「あ…ああああああ! アニキとお揃いのチョーカーがあああ! 非売品の限定グッズがああああ!」
悲鳴にも似た野太い慟哭。
膝を突いてひとしきり泣いたボレアスはゆっくり立ち上がると、その目を——怒りの矛先を《邪竜》に向けた。
「オイ…テメェアレか。野良の竜王か何かか? 名前があるのかも知らねえしどうでも良いが、この俺に喧嘩売ってどうなるか分かってんだろうな。アニキとお揃いの限定品、どう落とし前つける気だよ、あ? テメェ解体して血肉切り売りする程度じゃ賄い切れねえぞこれ」
全身に血管を浮き上がらせ、顔を真っ赤にしたボレアスが、怒鳴る訳でもなく静かに、呟くように言った。
それに《邪竜》は、理性も何もない獣の如き咆哮で返した。
ボレアスはブチ切れたように叫ぶ。
「——喋れもしねぇ低脳の雑魚竜が! ブッ殺してやらあ!!」
ボレアスはその身を黒竜の如く変化させ、竜鱗が逆立った拳を握り締めると、《邪竜》を真正面から殴り飛ばした。
フォルやルーナマールの数多の水魔法で怯みすらしなかった《邪竜》が、森の木々を薙ぎ倒しながら吹き飛び仰向けに倒れた。
「これ、まさか魔人化…? なんて馬鹿力…」
呆然と立ち尽くすフォルに、ルーナマールが叱責する。
“チャンスだ!”
“魔力回復して大技で援護しろ!”
“ぐずぐずするな馬鹿!”
そうこうしている間にも《邪竜》は起き上がり、ボレアスと本格的な交戦を開始した。
「く…分かってるよ! くっそ、これ高かったのに…」
フォルは懐から取り出したマナポーションを飲みつつ、魔力を高め魔法の準備に入る。
ひょんな事から実現したボレアスとの共闘。
前衛と後衛。
片や最強の盾とも呼ぶべき前衛のボレアス。
そして方や後衛に当たるフォルの役割は、前衛が時間を稼いでいる間に相手を殺す剣として刃を研ぎ、《邪竜》を叩き潰す事。
「くっそ…大魔法は苦手だってのに。魔力足りっかなぁ…」
“何が苦手だ”
“術式を構築しているのはいつも私だろうが”
“良い加減魔法の基礎を覚えろ”
“術式のじゅの字も知らん小娘が”
「魔力はアタシの吸ってるだろ!」
“折半だ”
“なんだったら術式構築している分私の方が負担が大きい”
「あーうっせえ! なんで毎回小言言ってくるんだよルナ! お前アタシのオカンかなんかか!?」
喧嘩しながらもルーナマールは術式を構築し、空に莫大な魔法陣を展開する。
フォルの魔力は恐ろしい速度で吸い上げられ、気絶しそうになるのを歯を食いしばって堪えた。
ルーナマールは精霊。
中級以下の魔法は詠唱、術式無しで手足のように魔法を扱える。
しかし大魔法ともなれば呪文詠唱は必要。
属性に対する親和性が人間と比較にならない程に高い上位精霊による、精霊語による、完全詠唱の古代魔法。
空に暗い水の玉が浮かぶ。
何処までも大きく、先程の《変若水》より更に大きく、空に小さな海が形成された。
それは古——神代において、《魔王》殺しを成した魔法でもあった。
深海の高水圧により創り出された小さな海。
現存する魔法の中でも最大級の質量攻撃。
フォルとルーナマールは口にする——水属性、最強の魔法を。
『「——《月の欠片》」』
ルーナマールが尻尾を伸ばし、ボレアスの足に巻きついて一本釣りの要領で《邪竜》から引き離す。
『おあ!? んだあ!!?』
突然の事にびっくりするボレアスだが、ふと空を呆然と見上げた。
間も無く——《邪竜》は、空より降り注ぐ山よりも大きな小さな海に、争う術もなく呑み込まれた。
*
一方その頃、《邪竜》一体を引き受けた、伝説の死霊術師チーム。
チームというか、《邪竜》の相手をしているのは実質一人であった。
「おらああ!」
赤髪の剣士——フィリップが振るう研ぎ澄まされた剣は、見事に迫る獄炎のブレスを切り裂いた。
「おー! すげー!」
その芸当を、曲芸でも見るかのように後ろで呑気に拍手するレーテー。
触れたらアウトの獄炎。
その攻略法として、フィリップは過ぎる程に研ぎ澄ました斬撃で大気を切り裂き、瞬間的に真空を巻き起こして獄炎の間に虚空を挟み込む事で切断して見せた。
見るものが見れば顎が外れる程に驚愕する神業。
人が到達し得る技の極致とも呼べる斬撃。
しかし剣の事なんてよく知らない魔術師であるレーテーからすれば、“なんか炎を切れるすごい剣”である。
この剣技により、獄炎がフィリップやレーテーに届く事はない。
しかし——フィリップの剣もまた、《邪竜》の命には届いていなかった。
《邪竜》の肉体には、無数の小さな斬痕が刻まれているものの、そのいずれも鱗で止まっており、血肉にすら届いていない。
既に幾百もの剣を浴びせたフィリップは、疲れた顔で巨大な骨の手の上にちょこんと座るレーテーを見た。
「あのさ…ちょっと手伝ってくんない?」
「えー…やだよ。多分僕の“手持ち”でそいつ殺せる子いないし。大体フィリップがやるって言ったんじゃん」
「ちょっと疲れたんだよ」
「肉体的疲労はないでしょ。アンデッドなんだから」
「精神的に疲れたんだよ!」
「それは知らないよ…」
「お前が手伝ってくれればなんとかなるだろ」
「なんないよ。僕が何やってもダメージ入んないよ、多分」
「こいつこんだけ斬って倒れないんだぜ!? 絶対|《神》が使うインチキ能力だよな!? ライトレスが言ってた不死身ってやつ!」
「《権能》ね。いや、一応フィリップの剣でちょっとはダメージ入ってんじゃん?」
「ちょっと!? こんだけ斬ってちょっと!?」
「うん、ちょっとだけ。まあ少しでもダメージが入ってるって事は無敵じゃないし、当然|《権能》でもないね。ただめちゃくちゃ、馬鹿みたいに頑丈なだけ」
「…殺すの無理だろコレェ!?」
「んー? そうとも言えないんじゃん?」
レーテーはニヤリと笑い、夜空を見上げる。
《邪竜》二体の首が飛び、神力を散らしながら霧散していた。
「ほら見なよ。ローファスが首チョンパしてる。それも二体同時に。さっすが神様だね。やるー」
足をぶらぶらさせながら呑気に笑うレーテー。
レーテーはローファスから意識を切らしてはいなかったが、何をしたのか分からなかった。
恐らく、いや間違いなく《権能》を使った。
見ていた感じ攻撃性は無さそうだったが、一体どんな《権能》なのか。
得体が知れないな、とレーテーは興味深そうに微笑む。
「…ならオレも首切ったらー!!!」
対抗心でも燃やしているのか、《邪竜》の首を執拗に攻撃し始めたフィリップ。
レーテーは「がんばー」と応援していた。
というか、確かローファスは時間稼ぎをしろと言っていたので、別に殺す必要はないんだけど、とレーテーは思ったが、やる気出している所に水を差すのもアレなので黙っておく事にした。
伝説の死霊術師と、暫定的伝説級のアンデッドによる《邪竜》戦は、もう少し続いていた。




