第3章・第2話 暮れの里帰り
すとんと抜けるような青空の元、僕は金色の生垣に迎えられた。
今日は冬季休業が始まる12月25日。
本当は始発で帰ってきたかったのだが、それでは決まりが悪い。
列車を幾つか見送り、こうして千葉の学校から矢切まで帰ってきた。
30年前の廃藩置県に因って、矢切村も千葉県に括られている。千葉から千葉県に帰ってくるというのも可笑しいが、千葉県に住む人は唯千葉とだけ言うと千葉駅の周りを指す。ややこしいとは思うけども、これもいつか改められるのだろうか。
遅くはなったが、日が頂に昇る前に矢切の家に帰ってきた。
兄夫婦やお増に揶揄われるかと身構えていたが、山へ落葉屑を掃きに行ったとの話である。
畑で食べる物を育てれば、葱や胡瓜に栄養が吸い取られ、土が痩せてしまう。
そこで使うのが落ち葉屑。木々は日の光を浴びると、風から二酸化炭素と窒素を取り込む。そしてそれらに水を合わせて栄養を作る。
落ち葉にもこの栄養が含まれているから、態々(わざわざ)拾いに行く。
故に農家は山林を重んずるのだ。
庭では刈り取った稲が根元を上にされて、稲架と謂う物干し竿に掛けられていた。
刈ったばかりの殻付きの米――籾は水が多く、そのままにすると腐ったり、不味くなってしまう。そこでこうして半月程乾かしているのだ。
田畑を飾っていた稲穂の全てが、今ここに集められているのである。今年の冬も飢えることなく越せそうだ。有難い有難い。
金色の生垣に囲まれた家の縁側には、母が日向ぼっこをしていた。
母は近頃、余程体が良いらしく、表に出て来れるとのこと。
僕を見た母は、口元を緩めて笑う。
「お帰り、政や。少し背が伸びたかね?」
「只今、あまり伸びてませんよ」
二た月離れてだけで、変わったと言われるとは……。
矢張り母は、僕のことをよく見てくれていたのだろう。
前に話した時は、間違いを疑われて刺々しかったので、肩透かしを食らった気分。
ふと、僕は気が緩んでしまう。
「あ、あの……」
「んっ、何だい?」
「いえ、何でも」
「ふーん、可笑しな子だね。勉強のし過ぎじゃないかい? お増が帰ってきたら茶でも淹れてもらい」
「……、そうします」
僕は「民さんは?」と口の先まで出たけれど。遂に言い切らなかった。
母も意地悪く何とも言わない。
僕は帰り早々、民子さんのことを問うのが如何にも気まずく、そのまま書室を片づけ、そこに腰を落ち着けた。
しかし日暮れまでには民子さんも帰ってくると思いながら、おろおろして待って居る。
けれども皆が帰ってきて、いよいよ夕飯ということになってもその姿は見えない。また、誰も民子さんのことを言う者も居ない。
もう市川へ帰ったものと僕は察して、自分から切り出すのも忌々しいから、他の話もせず、飯が済むなり書室へ這入ってしまった。
今日は必ず民子さんに逢われると、楽しみにして帰って来たのにこの始末。
何とも言えず力が抜けて淋しかった。さりとて誰にもこの苦しみを話せようか。
代わりにといって、民子さんの写真などを取出して見て居ったけれど、ちっとも気が晴れやしない。
このままだと、「またあいつ、民子が居ないから考え込んで居やがる」と思われるも悔しく、ようやく心を取り直し、母の床間へと足を向けた。
「政や? どうした?」
「ええ……、ちょっと学校の話をしたくなって」
「嗚呼、居間にはお前のお兄さんがいるからな。あの子も頭は良かったが、家を継がねばならんかったし……」
母は顰めていた眉を下ろして、柔らかな顔になる。
僕が夕飯の時黙りこくっていたのは、兄に遠慮していたと母は思い込んだらしい。
「まあここなら遠慮はいらないよ。私も聞きたかったから、話してごらん」
母はそう言って、布団から出た肩に半纏を掛ける。
僕は母の枕元、夜遅くまで学校の話をして聞かせた。
……いつも学校でやっているように。
明くる日、僕が目を覚ますと陽の光が空気に満ちていた。
今はもう9時。寮暮らしなら皆の笑い者だが、昨日は喋りすぎたのだ。現に母は未だ寝ている。
台所へ出て見ると外の者は皆また山へ往ったとか。下手にいたら殿様寝坊とでも言われただろうからこれ幸い。一人残っていたお増は台所を片づけている。
「政夫さん、大した物は残ってないけれど……」
「要りませんよ」
僕は素っ気なく言うと、顔を洗ったなり背戸の畑へ出てしまった。
この秋、民子さんと二人で茄子を採った畑だったが、今は青々と菜が伸びている。
しばらく立ったまま何所を眺めるともなく、あの日の面影を薄い空に描きつつ思いに沈んでいる。
「政夫さん、何をそんなに考えているの」
出し抜けに後ろから声を掛けられる。
僕が振り返るとお増が居て、近くへ寄ってきた。
「何でもありません」
僕が撥ね除ける様に言えば、お増はむっと唇を結んだ。
そしていきなり僕の手をとって、藁を積んである所へ引っ張るではないか。
「も少しこっちへ来て。そう、ここへ腰を掛けなさいまア」
僕を藁の山に座らせ、お増も隣に収まる。
一息つくと落ち着いたのか、お増は湿り気の帯びた声で話しかけてきた。
「政夫さん……お民さんは本当に可哀相でしたよ」
「安い同情は要らないよ」
「おためごかしで言っているじゃありません。うちの兄嫁さんたら全くの意地曲りですからネ。何という根性の悪い人だか、私もここの家に居るのは厭になってしまった」
僕は家に帰ってから、初めてお増の顔を見た。
お増といえば兄嫁と同じ腹の色をしていると思っていたのに。
何があったのだろうか……。




