第3章・第1話 浅く醜い心
「図書之助様! どうされました⁉」
私は肩を波打たせ、蹌踉きながら富姫の前へと進んだ。
膝の力が抜けてへたり込むが、荒い息を押し殺して答える。
「鎧……、藤袴殿からお渡し頂いた鎧を見せました所……、盗人の疑いを掛けられまして」
「まあ!」
鷹を連れて帰らなかった私は、筋通り、腹を切る運びに相成りました。
潔く主の御前に出ようとした折、藤袴殿がお出でになったのです。
有難き申し出でしたが、私には鎧を受け取らぬ手もありました。失われた鎧をそっと蔵に戻して頂くことも選べる。
ですが浅はかな私は鎧を受け取り、腹切りの場に臨みました。
誰とも知れぬ盗人から蔵隠しの鎧を取り戻した、あからさまに嘘を吐かずとも鎧を見せれば深読みを誘うことになろう。然すれば命は助かるやも知れぬ、そう考えてしまった故に。
ところが鎧を見せますと、主含めその場に居た者は顔色を失いました。それもその筈。鎧が持ち出されたことを誰も知らなかったのです。
これでは私が盗んだと思われる。そう気付かされたのは刃の煌めき、私の傍にいた者が刀を抜いたからに他ありません。
腹を決めた武士なら潔く受け止めたでしょう。そうはしなかったのは、命が助かると淡い望みを抱いてしまった私の醜い心。
有ろう事か、小太刀で弾いてしまったのです。
悔やんでも悔やみ切れませぬが、手向いの心があると見做されるのは、間違いない。
このままでは周りの者に取り囲まれる。惨めに殺されるのなら……。
そうして、私は逃げ出しました。主の御前から。
「ここに来てはならぬという誓いを、私は破りました」
私は頭が床に着く程、深く下げる。
許しを請うのでは無く、願いを遂げる為に。
実り無き徒花なれば、美しくも恐ろしいこの色香の中で……。
「友に殺されるよりも、貴女のお手をお借りしたい」
次に見る床板は、川渡しの船底だろうと考えていると、姫の長い溜息が聞こえる。
「思い掛けなく命を助けました」
私は魚が掛かった釣り竿のように、顔を上げる。
そこにあったのは、姫の憂いを帯びた横顔、そして私に向けられる眼差し。
「鎧があったから踏み止まったのでしょう。人の生き死は構わぬが、武士の詰め腹は好かぬ。情け無き主を捨てよ。折れぬ志を持って生きるが良い」
強かなお言葉、逃げることしか出来なかった、力及ばぬ心体に染み入る。
ですが――。
「私は咎人の身、もう浮世には戻れませぬ」
「ならば私と――」
その続きが遮られなければ、私は待ちに待った言葉を授かっただろう。
が、姫の胸の内を、終わりまで聞くことは叶わなかった。
野太い声に遮られて。
「ならぬ。ならぬぞ」
次いで、階段の下から敷板の軋む音。
それも一つではない。最も大きな音を追って増えていく。
私と富姫は切り穴を振り返る。
そこから立ち上がるのは逞しい兵。
私を切ろうとし、同じ主に仕えた僚、小田原修理その人であった。
「うぬ、数で押されれば効き目も弱いか……」
富姫は目端で獅子頭を流し見るが、小田原殿は気にも留めぬ。
「武士の生き様は死に際で決まる。化け物よ、その男を寄越せ」
妖を恐れぬ物言い、とはいえ姫は眉一つ動かさぬ。
「昨日の友が命を奪うのですか」
「死に様を飾るのも友の務め」
そう言い放つや否や、刀を抜く小田原殿。
姫に刀の切っ先を向けて、隔たりを詰めながら走り出した。
「薄」
「はっ!」
いつの間にやら姫の傍に控えた薄が、見えない物を撫でるように腕を挙
げる。件の旋毛風が小田原殿を襲う。
「何のこれしき!」
小田原殿は刀を持った腕を顔の前で交わして、目を守る。
だが、刃が寝たのを富姫は見逃さない。
「ぐぅ! はっ!」
なんと、富姫の御足が刀よりも伸びるではないか。
守りの薄い腹を蹴飛ばされた小田原殿は、切り穴に向かって落ちていく。
その時、獅子頭を見て驚いていたようだが……。




