第2章・第3話 お詫びの取り換えっこ
窓から入ってきた娘は、波打つ髪に付いた雨粒を払いました。
髪の長さは肩に掛かる位で、白い布地に赤紫の筋が入った着物を纏っています。年は15といったところでしょうか。雨粒を払った右の掌をぷらぷらと振り、左腕を腰の後ろに隠しています。
「どこに行ってたんです? 藤袴」
薄は亀姫に見えないように睨み突けました。その眼には年下の娘に今日の客人を伝えなかった、恨みが籠っています。
お陰で声色は、沸かしたお湯を冷ましたように澄んでいました。
「おお、怖い怖い。土産も無しでは寂しいでしょう?」
「あっ藤袴さん、それは!」
藤袴が隠していた左腕を出すと、富姫は魂消て上擦った声を上げてしまいました。
左腕には袖を鉤爪でがっちりと掴む、白い鷹が止まっていました。
鷹は尖った嘴で藤袴の頬を突きます。
「これこれ、戯れおって、愛い奴め」
肉を抉る嘴も、妖の前では赤子の『お手々』と変わりません。
蛙の面に水、藤袴の頬に嘴。
とはいえ、主の富姫は、落ち着かなくてそわそわしています。
「その鷹はどうしたのだ?」
「はい、野から逃げて参りまして、亀姫の手土産にお誂え向きと見えて、私が鶴に化け拐かして来たのです」
問い質した富姫はその後、最も聞きたくない言葉に見舞われました。
「飛んで来た先から偉そうな人の群れがうじゃうじゃ帰ってきたので、播磨守の鷹でしょう」
「そんな!」
自らの憂いが的を得た富姫は、図書之助の話を思い出します。
鷹を連れて帰らねば、腹切りを免れぬかも、と。
そしてこうも思います。
この鷹を戻せば、図書之助が播磨守に殺されずに済む、と。
「藤袴さん、いけません! 元に戻して差し上げなさい!」
富姫のお供の娘たちは、富姫の慌てように事の成り行きを悟りました。
ですが亀姫は富姫に目もくれず、鷹に釘付けです。
「まあ、雪のような白い羽、いい鷹を持ってきてくれたわね」
「ええ、その手毬を投げて、取ってこさせることもできますよ」
図書之助と会ったことの無い藤袴は、主の心も知らず亀姫と話しています。
はっとした富姫は、見蕩れている亀姫の手元に手鞠を戻しました。
ゆっくりと振り向いた亀姫に、厳しい顔で富姫が詰め寄ります。
「あれは、ここに在る可きものではありません。」
目を屡叩いた亀姫は顔を近付け、微笑み掛けます。
「あれはあなたの僕が、私の為に拵えてくださったのでは?」
富姫は耳が痛くなりました。
妹から下々(しもじも)の躾がなっていないと、咎めらたようなものです。
しかし、愛しい人の命が掛かっている。そう腹を括った富姫は姉としての尊さと厳かさをかなぐり捨てて訴えます。
「先ほどお話しました……獅子のようなお方が、播磨守に殺されてしまうのです」
思い詰めた富姫を見た亀姫は、その人がどれだけ姉の心を占めているかを推し量りました。
しかしながら、そこにはどうしても埋められない隔たりがあります。
亀姫は口の端を正して、富姫の瞳を覗き込みました。
「お姉様、我らと人は交わることはありませね。それに獅子のような(とのがた)殿方なら無残無惨殺される程弱くもないでしょう。それに――」
「それに?」
続きが気になる富姫に、亀姫は戯るように言います。
「私のことが可愛くありませぬか?」
亀姫は自らの頬に掌を添えました。
「ふふっ」
その悪戯めいた振る舞いに、富姫は思わず吹き出しまいました。
それと同じくして、富姫の中で張り詰めた糸が緩みます。
確かに言われた通り、もう富姫は、図書之助と関わることは出来ません。
ならばこれより先、図書之助が追い詰められても、己の力と頭で切り抜けるしかないのです。
それにあのふんぞり返った殿様も、鷹一つで人の命を奪うことはないでしょう。この天守に登る務めを果たされたのですから、刀を取り上げられても、鍬を握って生きていく道まで取り上げられまい。
そう考えた富姫は、鷹を持った藤袴を見ました。
「よっ、よっ」
頬を突いても嫌がらず、痺れを切らした鷹が目を狙いますが、藤袴は楽しそうに躱しています。
眉を引き攣らせた富姫ですが、亀姫のいる手前取り繕った声で話しかけます。
「藤袴さん、鷹を亀姫に差し上げて」
「喜んでもらえたようで何よりです。それ行けっ」
藤袴が鷹を投げると、亀姫の元に飛んで袖に捕まります。
亀姫は鷹を繁々(しげしげ)と眺め、長く息を吐きました。
「ふふ、とても美しい。私に懐いてくれますかね?」
「手鞠を持ってきたら肉を食わせるのですよ。それも欠かさず」
なんとか場を収めることが出来ました。
とはいえ、図書之助を手助けをできるならそれに越したことはありません。
富姫は何かないかと思いを巡らし、床に並べられた竜頭の鎧に目が留まりました。どうせ返すなら図書之助の手で、殿様に返すのがよかろう。
富姫は嫌がらせも兼ねて、藤袴に言いつけました。
「藤袴さん、この鎧を図書之助様に返してらして」
「私が、ですか?」
口をへの形に曲げた藤袴に苛々(いらいら)しつつ、富姫は薄に目配せをします。
「薄さん、ここより下の天守が汚れていますね。鎧は他の娘たちに持たせるので、藤袴さんに掃き清めてもらいましょうか」
「おお、それはいい。一人でやれば頭も冷えます故」
「待ってください! 何も私一人にしなくてもいいのでは⁉」
「いえいえ、年若いあの娘らに一人二人で行かせるのは心許ない。恐れを知らぬ藤袴さんなら、きっと何事もなく務めを果たせるのでは?」
富姫が楽しそうに笑うと、藤袴は苦しそうに笑いました。
「は、はい……。相承ります」
藤袴は急いで鎧を仕舞うと、鶴に化けて窓から飛び立ちました。
図書之助の姿を伝えることも忘れていません。
それを見送った富姫は、鷹と遊んでいる亀姫に向き直ります。
「ささ、手毬を放ったらかすと拗ねてしまいますよ」
「あははは、そうでした。お姉さまと手毬を突くのは久しぶりね」
それから暫く、二人は姉妹水入らずの時を過ごし、亀姫は猪苗代に帰っていきました。
藤袴も何事もなく戻り、今、富姫は部屋の真ん中で寛いでいます。
そんな中、薄がまた徐に顔を上げました。
「何やら下が騒がしい」
そう呟いた薄は、大天守の直ぐ下にある広場――備前丸を覗き見ました。
もう日は暮れて空は真っ暗ですが、備前丸には篝火が焚かれ、人が溢れかえっています。
その中には播磨守の姿もあるではありませんか。
太々しいくせに腰抜けな殿様が、妖の国である天守に近づくことはありません。
「姫様、仮初めの主がお見えですよ」
「ふんっ、今姿を見せるではない。ああ、憎らしい」
元から気に入らなかった上に、図書之助のこともあって、富姫は腹立ちを隠せません。
獅子頭の霊贄がもう少し欲しい富姫は、いっそ兄弟毎捧げるのも手だろうかと思い始めました。
窓の外を見ていると、階段の下から足音が聞こえます、
それはとても急いでいるようで、音はどんどん近付いてくるではありませんか。
「お前たち、構えよ」
何時もと違う城を警めた富姫は、娘たちに刀や薙刀を持つように言いました。
険しい傾きの階段をものともせず、熟れた動きの足音は直ぐ下まで迫っています。
そして遂に、足音の主が姿を現しました。
「二た度申し訳ありませぬ。姫、助けてくだされ!」
登ってきたのは、もう会えないと思っていた図書之助でした。




