第1章・第3話 姫のお帰り
主の姿を見止めた時、私の心蔵は掴まれ、目を釘付けにされた。
人影は手を腹のあたりで揃えて、目を瞑り俯くように降りてくる。
私が這いつくばった、険しい階段をものともしない。
ああそうか。
これは勝てぬ、とその時、私は悟った。
そして身体が赴くままに、膝を折って、頭を垂れる。
人の身で天守に足を踏み入れてしまったことを詫びて、許しを請うことしか出来なかった。
それを知ってか知らずか、5人の娘が降りてきた主とお供を囲み、私を隠す生け垣となってくれる。
階段を先に降りてくるのは十余り八つ位の娘。髪を後ろで束ね、端が広がっていた。
白い着物の袖から縹色――薄い藍色を覗かせていた。襲の色目は花薄。この娘が薄だろう。
「お迎えご苦労。ほら、龍神の甘露だ。零さぬようにな」
縹色の娘はきりっとした声で言うと、袖から何やら取り出し、娘たちに配っている。お土産を貰った娘は喜び、幼気な撫子と萩等はその場で飛び跳ねているではないか。
「龍神様というと、越前の夜叉が池ですか?」
桔梗が聞くと、奥の竹笠を召した女人が答える。
「そうよ。雪姫に頼みごとをね」
心持ち草臥れたように言うと、竹笠を外す。それを女郎花が受け取った。
私は息をするのも忘れてしまう。
天守の主は水色の衣を纏っており、長い黒髪は腰まで届く程。その美しい髪は、獅子頭の隣の薄い灯りに照らされ、さらさらと輝いている。
年は二十そこらか、おそらく女人、さしずめ妖の国の姫といったところ。
娘たちに遮られ、面立ちは垣間見ることしか叶わぬが、立ち昇る妖しき色香は私に眩暈を覚えさせた。
それも次の言葉で現世に引き戻される。
「雨を頼みに行ったの」
部屋の中まで青い光が閃く。
外の雨は愈々(いよいよ)強く降り頻り、遅れて雷の音が響き渡る。
私はここに登ってきた訳を思い出した。
「これから客人が来るのに、長屋の主が鷹狩りに出掛けるのですもの。大きな声で騒いで耳障りだからねぇ」
「それで雪姫様に。あの方にかかれば、村や町の一つ沈めるのも容易いでしょう」
冷汗が止まらぬ。
国を治める殿様を捕まえて『長屋の主』と呼ぶのも、恐ろしき力を持つ妖の仲間がいるのもはったりではあるまい。
私は今すぐにでも逃げ出したくなったが、桔梗が思い出したように切り出した。
「そういえば、姫様。もうお見えですよ」
「何、客人か!? 何故それを言わない!」
薄は声を荒上げ、見えない物を撫でるように腕を挙げた。するとたちまち旋毛風が吹いて、娘たちが持っている四つの甘露を宙に浮かせる。
「ああ、私の雫が!」
「いけず!」
既に口に含んでいた女郎花は、頬を膨らませながらそれを見上げていた。
「はて? 妹が来ていれば分かりそうなものだけど……。力が衰えたかえ?」
「どこにいらっしゃるのだ!?」
姫は首を傾げ、薄の問いに娘たちが道を開ける。
妖の姫は、初めて私の姿を認めたのだ。




