第4章・1話 顔を見せたがらない春琴
蜂の巣を突いた騒ぎの夜が明けて、事の運びも明らかになりました。
台所の竈には灰を被せたはずの薪が燃え、鉄瓶が一つ消えています。
消えた鉄瓶はお師匠様の寝床に転がり、雨戸が人一人通れるだけの隙間が開いていました。
これらから鑑みるに、賊は台所で鉄瓶に入れた水を沸かし、寝ていたお師匠様の顔に熱い湯を掛けたのでしょう。
そして私が床を抜け出す気配を察して、雨戸を開けて出て行ったのだろうと思われます。
金目の物は全て残っていたので、物盗りではなさそうな。
きっとお師匠様に恨みのある人物の仕業でしょう。
しかし方々から恨みの買っていたお師匠様ですから、賊を絞り込むことはできません。
そのお師匠様は顔の皮が焼け爛れ、乾き切るまで二た月の深手を負いました。
お師匠様は雲に隠れてぼんやりと輝く月を、布団に入ったまま見上げています。
今は皐月(5月)半ば、手足が千切れんばかりに寒かった夜風は鳴りを潜め、月を眺めるのに程よい季節となりました。
お師匠様の顔は鼻と口しか見えず、他は包帯に覆われています。
火傷を負った肌に日の光は毒ですから、雨戸を開けるのは人が寝静まった闇夜のみ。
夏が近づき夜が短くなるは寂しいですが、包帯が取れる日は迫っています。
ですがお師匠様の機嫌は冴えません。
「お師匠様……」
私が枕元に立っても、呼びかけるまで気づいてもらえませんでした。
「佐助どんかえ?」
呟いてこちらを振り返りはしますが、すぐに月に顔を戻します。
「妾は……、妾はもう外を歩けぬ」
お師匠様は俯いて、苦いものを絞り出すように言いました。
こんな弱気なお師匠様を、私は見たことがありません。
私は何も考えらえず、捻りのない返しをします。
「きっと治ります。きっと、元通りになりまする」
それを聞いたお師匠様は、包帯越し―いえ、閉じた瞼越しに私を睨みつけます。
「気休めを言うな!
こんな大火傷が何の痕もなく治るか!」
そう怒鳴ると、お師匠様は顔を手で覆って蹲りました。
治りかけの皮が切れかけたのでしょう。
「お師匠様!」
私は慌てて駆け寄りますが、お師匠様は顔を背けました。
そして腹に響く低い声で私に尋ねます。
「妾の顔は見たか?」
「い、いえ……、見ておりません」
お師匠様は時折この問いを、私に投げ掛けました。
あの夜お師匠様は私に「見るな!」と叫んだので、私の影に気付いていたでしょう。
しかし明くる朝、お目覚めになった時には覚えていらっしゃいませんでした。
恐らく余りの痛みと焦りから、頭の中に留めて置けなくなったのかと。
外面を慮るお師匠様のことです。正直に答えましたら、手を付けられません。
なのでこうして知らぬふりを装いました。
ですが、それももう直隠し切れません。
月半ばもすれば、包帯を取らねばなりませぬ。
「余人ならともかく、お前だけには見られとうない」
三日に一度、お医者様が火傷の治りを診に来られます。
その時、古い包帯を外し塗り薬と新しい包帯を施しもらうのですが、お師匠様は火傷を見られることを嫌がり、他の奉公人を追い出します。
それどころか、私が残ることも拒みました。
私と厠や風呂に入ることに躊躇わないのに、これだけは譲れないようで。
お師匠様は盲目であっても、目明きと同じように扱われることを好みました。
三味線の腕を磨き上げたのも、何もできないと見下されないためです。
それがあのような癒えぬ傷を負ったのなら、哀れみの眼差しは避けられないでしょう。
お師匠様は声を漏らして、啜り泣きました。
包帯の上から両眼を押さえますが、生温い雨が布団に落ちます。
私も肩を震わせて泣きました。
悲しみを唇で堰き止めますが、口の端から染み出ます。
私もお師匠様の醜い顔など見たくありません。
ですが、美しいお顔は永遠に失われました。
元より家を捨て、お師匠様に仕えると決めたこの身、あのお顔を見れぬなら全て見れぬとも同じです。
「分かりました」
私は膝の上に乗せた拳を握り締めました。
お師匠様は私の声色が変わったことに気付いたのか、啜り泣きをやめて私を見ます。
「必ずお顔を見ぬように致します。御安心なさりませ」
月は雲に隠れたままです。
この月は満ちているのでしょうか。欠けているのでしょうか。




