第3章・3話 春琴と佐助の心
お師匠様が取る弟子は二つに分かれます。
一つは芸人志望。
芸事、それも三味線で生計を立てるために、死に物狂いで稽古に挑みます。
家に金がないから技を身に着けようとしているわけで、月謝が滞ったり中元・歳暮が貧相になりがちです。
お師匠様は贅沢をするために弟子を取っているので、実入りの少ない弟子に興味は薄い。
その為、辛苦に喘いで逃げ出すならそれでいいし、耐えきったなら天下に轟く三味線弾きになると、稽古は苛烈を極めました。
そして片方は裕福な家の手遊びです。
趣味や道楽で通うので志は低いが、心付けに富んでいる。
そのためお師匠様は毒にも薬にもならないような稽古をつけ、なるべく逃がさないようにしていました。
利太郎は後者で、お師匠様の美貌が目当ての放蕩者でした。
土佐堀の雑穀商・美濃屋九兵衛の跡取りということもあり、親の七光りで何処へ行っても若旦那と煽てられます。
そのため威張る癖があり、お師匠様の弟子仲間を実家の奉公人並みに見下していました。
お師匠様もも心中面白くなかったでしょうが、例の心付けをたっぷり利かせるので断りもせずせいぜい如才なく扱っております。
「お師匠さんも己には一目置いている」などと云い触らし、私を軽蔑しているのが見て取れます。
殊に私の代稽古を嫌い、「お師匠さんを呼んでくれ」と駄々(だだ)をよく捏ねました。
お師匠様も私も扱い倦ねていた或る年の如月、利太郎の父・久兵衛から梅見に招かれました。
九兵衛が所有する庭園で梅の古木十数本が植わっており、終の住処に建てた藁葺の家があるそう。
そこで宴を催すから、息子が世話になっているお師匠様を持て成したいとのことでした。
お師匠様が外出なさるときは、私が手曳く決まりですから私もついていきました。
庭園に着くと、九兵衛の旦那・利太郎は勿論、宴を盛り上げる幇間や愛想のいい芸妓が大勢おり、大変賑わっていました。
私はお師匠様のお傍について、お師匠様が旦那様と挨拶するのを聞いていますと―。
「さあさあ、佐助どん。飲みなはれ」
幇間がお猪口を押し付けて、酒を注ごうとするのです。
私は出先だとお師匠様の許可なしでは一滴も飲むことを禁じられていましたし、酔っては肝心の手曳きが務まりません。
私は飲む真似をして誤魔化していましたが―。
「佐助どん? 杯がちっとも減ってらんで?」
利太郎が目敏く見つけ絡んできました。
私は曖昧な笑みを浮かべてあしらおうとしましたが、許してくれません。
「せっかくの晴れの日や、楽しまんと梅に失礼や」
「私、下戸なもんで」
「少しの酒で酔えんなら、得やないかい」
「手曳きの務めがありますから」
「こんだけ人がいるんや、なりたがっておる者2人や3人いまんねん」
「お師匠様が……」
「お師匠はん、お師匠はんのお許しが出な佐助どん飲みやはれしまへん。今日ぐらいゆっくりさしたげなはれ」
どんな怖い者知らずなのか、利太郎はお師匠様に意見します。
ですが内実を知らず、客としてお師匠様に会っているとこんなものでしょうか。
私が困ったようにお師匠様を見ると、猫を被ったお師匠様が莞爾りと微笑みます。
「まあまあ少しはようござります。余り酔わさんようにしてやって下され」
その一言で、許しが出たとばかりに周りから酒を注がれ、宴は更なる盛り上がりを見せました。
余りに多くの者が酒を注ぎに来るので目が回りますが、私に酒を飲ませるのが主たる目的ではなく、お師匠様を間近で見たい序でのようです
大阪一の三味線の腕のみならず、町を歩けば誰もが振り返ると噂の、美貌の師匠を近くで見た幇間芸者は、姥桜の艶姿と褒めそやしました。
雇い主の利太郎の歓心を買わんとするお世辞のようですが、37歳のお師匠様は実際よりも10は若く見えます。
透き通るような白い肌を備えた襟元などは、見ている者にぞくぞくと寒気を覚えさせる程で、幾分は本音も混じっていたでしょう。
姥桜とは盛りを過ぎても美しい女人を指しますが、お師匠様は満開の桜にも引けを取りません。
つやつやとした小さな手を慎ましく膝に置いて、俯向ている盲目の美女の姿は、その場にいる者の目を惹きつけて放しませんでした。
せっかくなら咲き誇る梅を間近に見ようと、お師匠様と私は庭に出ました。
お師匠様は目が見えませんから、私が手を掴んで梅の幹に引き寄せ、
「ほれ、此処にも梅がござります」とお伝えします。
周りには連れ立った幇間が囲っています。
滑らかな白い手で、梅の幹を頻り撫で回す姿を見た一人が、間抜けな声を出します。
「ああ梅の樹が羨ましい」
それ聞いたもう一人が何を思ったのか、お師匠様の前に立って腕を横に伸ばし首を傾げて言います。
「わたい梅の樹だっせ」
すると、一同どっと笑い崩れました。
場を和ます愛嬌なのでしょうけど、お師匠様は眉間に険を溜めます。
しかしはっと気付いて、口元に手を当てて笑った振りして取り繕いました。
外面を気にしてのことでしょうが、私はいつか爆ぜやしないかと気が気ではありません。
散歩が終わると辺りは暗くなっていました。
お師匠様を曳いて座敷に戻ろうとすると、利太郎が声を掛けてきます。
「佐助どんあんたも疲れはったやろ。
お師匠はんはわいが預かる、あっちに支度したあるさかい、一杯やって来とくなはれ」
そう云われるままにお師匠様と離れ、私は別室へ引き退ってタ飯をご馳走になります。
隣には芸妓がべったりと付き添ってもらったので、気が引けながらもお猪口を口に運びました。
注がれるままに酒を呑んでいると、時の流れがゆったりとしてきます。
どれくらい経ったのか判り兼ねますが、お師匠様の声が恋しくなった頃、廊下から張り詰めた声が聞こえました。
「佐助どん! 佐助どんはおるか!」
厠でしょうか、そう考えてしまいましたが一気に酔いが醒めて、廊下に飛び出します。
「お師匠様!」
見るとお師匠様が利太郎に手を掴まれていました。
お師匠様の顔色で察した私は、利太郎の手を叩き落とします。
「何さらすんじゃ!」
お師匠様ほどではありませんが、私も弦を弾く者ですから指に力があります。
利太郎の根性なしは直ぐに手を放しました。
お師匠様を取り返した私は、喚く利太郎を振り返らず、屋敷を後にします。
「すみません。私が目を離したばかりに……」
この後どれだけ怒られるかわかりませんが、とりあえず謝ると、お師匠様は頬を赤らめて言います。
「腕が痛い……。今夜は念入りによろしゅう」
私はその晩、念入りに腕を按摩をしました。
これに懲りて利太郎が寄り付かなくなるといいのですが……。




