戦勝の宴 ②
ジョルディのための牛舎でセオフィラスは干し草の上に寝そべっていた。
宴会はもう終わりかけのようだった。その宴会の賑々しい声を遠くに聞きながら帰ることのできなかった1人ずつの顔を思い浮かべて、ずっとジョルディのそばで寝そべっている。仲間を殺したのは敵ではなく、自分の弱さのせいだと考えて落ち込んでいた。
「ジョルディ、俺は、弱くはないよな……」
「モォォ」
「なのに、殺したんだ……。折角、俺のために集まってくれたのに。25人も死んだ。それにあのジュリアスって男、俺みたいのはたくさんいるってさ。師匠にもわざと負けられて、おじさんには勝ち負けがつかなかった……」
「モォォ」
「もっと強くならなきゃ、ダメだ」
体を起こし、セオフィラスはジョルディの近くで膝を抱えて座り込んだ。頭をごすんごすんとぶつけるような、こすりつけるようなことをしてからジョルディは動かない主を見て、やがて腹ばいに寝そべる。そのお腹へセオフィラスは背を預け、体を傾けて横になる。
「潰さないでよ、ジョルディ。……おやすみ」
「モォォ……」
「坊ちゃん、お眠りになるならちゃんとお部屋にしてください」
「うわっ? か、カタリナ……」
眠ろうと目を閉じたところへ氷のような声が聞こえてきたセオフィラスが飛び起きる。ジョルディはうっすらと目を開いたが、カタリナを見ると興味を失くしたようにまた目を閉じてしまう。カタリナはセオフィラスの前へ歩いてきて、そっと手を差し出す。それを見たまま、セオフィラスはまた膝を抱えてしまう。
「坊ちゃん?」
「……ここで寝る」
「どうしてですか?」
「どうしても」
「いけません」
「俺は、カタリナのご主人様だよ」
「それでもいけません。坊ちゃんはアドリオンの領主ですから、いくらジョルディが大好きでずっと一緒にいたくても、きちんと屋敷でお眠りにならないと示しがつきません」
「示し?」
「……坊ちゃんのために集まってくれた皆さんが、牛小屋じゃないと眠れない偏屈なお子様のために命を賭けたなんてみっともない話です」
「……」
「死んでしまった皆さんが、嘆きますよ」
「っ……!」
カタリナの言葉でセオフィラスは顔を上げる。心の中に生まれてしまった弱いところをいきなり抉られたような心地がし、強張った、今にも泣きそうな顔でカタリナを睨む。しゃがんだカタリナは小さい主と目線を合わせると、腕を広げてセオフィラスの肩をそっと抱きしめる。
「カタリナは、坊ちゃんが無事に帰ってきてくださっただけでいいんです」
「それじゃ、ダメだよ……。俺のせいで、たくさん死んだ……」
「それでも嬉しいんです」
「っ……っ、カタリナぁ……ぅぅ、ぅぅ……」
震える吐息とともに嗚咽を漏らしてセオフィラスはカタリナにしがみついて泣いた。昔からセオフィラスはそうそう泣かない子どもだった。それが数年ぶりに涙をこぼした。どれだけ辛かったのだろうとカタリナは泣きすがる主を抱きしめながら胸中を推し量ろうとしたが、彼女にはどんな想像を働かせても分からなかった。
親の死に目に際しても涙をこぼさず、弟と生き別れても気丈に耐えようとしていたのを見てきていた。だが今は年相応の子どものように泣いて、涙で頬を濡らしている。カタリナは自分の無力さを嘆く。ただ悲しみに寄り添ってあげるしかできないことが忠実なメイドには悔しかった。
月のない暗い夜になった。宴会は終わって、静かな夜が戻ってきた。鍵のかかる部屋へ近づく人影があった。彼は外から鍵を差し込んで回し、中に踏み入る。ベッドへ腰かけたまま、手枷と足枷をつけられたまま、ジュリアスはそこで寝ずに起きていた。
「失礼して、よろしいでしょうか?」
「……ここの人間か」
「居候の身分ですが」
アトスが部屋へ入り、ドアを後ろ手に閉める。暗がりでジュリアスは相手の顔を見られなかった。
「何の用だ」
「少しお話をしたいと思いまして。あなたも、わたしには少し興味を持つのではないか……と」
「何?」
「お久しぶり――が正しいでしょうか。ジュリアスさん。お忘れになりましたかね。アトスと申します」
「アトス……!?」
「声が大きいですよ。こっそり会いに来たのですから」
腰を上げたジュリアスがアトスに近づき、顔を確かめる。と、その表情が険しく、憎しみを向けたものになる。
「貴様が去ってから、俺は貴様もルプスであったと知ったぞ」
「ルプス――ですか。そう呼ばれるのは、あまり嬉しいものではありませんね。あなたは違うのですか?」
「今までどこで何をしていた」
「……あれから、森へ入りまして。さ迷い歩いて、飢えに飢え、死ぬかと思った時にセオくんに救われまして。以来、ここでずっと居候させていただきながら、あの子の剣の師となって教えています」
「……そうか、ハッ、腑に落ちた。あの小僧、ルプスの縁者だとは思っていたが、まさか貴様の弟子だったとはな。それで何を企んでる? ルプス」
顔を近づけ、アトスを睨みつけながらジュリアスは低く唸るように言う。涼やかな笑みは崩さず、アトスは相手の肩をそっと押すようにしてベッドへ誘導して彼を座らせ、自分はその前へ立った。
「弟子を取るなんてわたしの主義ではありませんでしたが、いざ取ってみるとかわいいものです。だから何かと気になってしまいまして、あなたに感想でもお尋ねしてみようかと。どうでしたか、わたしの愛弟子は」
「……あの程度、掃いて捨てるほどいた。てめえら、ルプスからすれば珍しいレベルじゃないだろう」
「一括りにされたくはないものですが、確かにわたしの故郷では珍しくはありません。あっさりと死合いに敗れて命を落とす、塵芥のごとく脆弱な存在でしょう」
「っ……」
「けれど、あの子はそれだけでもありません。あなた方がルプスと呼ぶ、わたしの故郷の人間は己が生き延びることこそが重大な使命であると、過酷な環境の中に学び取って、飢えを満たすように殺し合いをします。ですが彼は他者の生命を喪うことこそを恐れ、それゆえに戦う力を求めたのです。それが弱さとなるか、あるいは強さになるのか……。わたしはそれが、気になっています。あなたの所見をお尋ねしても?」
「俺の知ったことか。そんなものを確かめて、貴様は一体どうするつもりだ?」
「無論、わたし自身のため」
「……修羅は変わらずか」
吐き捨てるようにジュリアスが呟くと、アトスは諦めたように息を吐いて背を向けた。出て行こうとするその背を見てジュリアスが勢いよく立ち上がった。鎖の擦れる重い音が部屋に鳴る。それを聞いてアトスがゆっくり振り返れば、ジュリアスは今にも噛みついて食い殺すとばかりにギラついた瞳を向けている。
「どうか、されましたか?」
「……お前がルプスと知っていれば、早々に殺しておくべきだった」
「そうですか。――まあ、無意味だったでしょう。あれから、幼児が少年になるほどの時が流れましたが、あなたはまだ、その程度。わたしも大して変わりはありませんが、わたしがセオくんほどの年のころよりも弱い。吐いて捨てるほどいる、幼い子どもと変わらぬ力で一国の将を名乗れるほど長閑な、この大陸ではその程度が関の山かも知れませんね。夜分に失礼いたしました」
そっと部屋を出て、アトスは外から鍵をかける。残されたジュリアスはアトスの出ていったドアを睨みつけながらまたベッドへ腰かけた。




