戦勝の宴 ①
両手を縛られ、腰にも紐を巻かれてジュリアスは引っ張られながら歩く。足場の悪い道を連れられた彼が少しよろける。
「おら、さっさと歩け!」
「貴様っ――」
「ペトル。その人は大事な捕虜だから乱暴にしないで」
紐を引いていた戦士が尻を膝蹴りしたのを見てセオフィラスが静かな声で咎めた。誰も彼もが怪我を負って困憊としているが戦勝に胸を躍らせている者も少なくはなかった。しかしその中でセオフィラスだけは自分の手足が冷えた鉄のように感じられている。
戦いは終わり、アルブスは守られた。それは喜ばしいが、自ら志願してともに戦ってくれた仲間が何十人と死んだ。彼らの遺体も運ばせているがそれは森から切り出した丸太を運ぶかのような作業にも似た光景で、見つめることさえ辛かったがあえて目を逸らさなかった。この痛みは忘れてはいけないのだと胸に刻みつけている。
やがて山道を抜けてアルブスが見えると、少ない帰還兵が歓声を上げた。彼らのその様子を見守っていた自警団の面々が勝ち戦だと喜びの声を上げる。
「坊ちゃんっ! 坊ちゃん、ご無事で!?」
「ヤコブくん……」
「怪我がっ、すぐに手当てしましょう! それから、ええっと――」
「あとでいいよ。それより、ここにいる皆へ、今夜は宴会だって伝えてあげて。場所はうちの屋敷でいい。庭へたくさん料理とお酒を出してもてなす、って」
「祝勝会かあ――って、それよか坊ちゃんの!」
「準備ができたら呼んで。……森に行ってるから」
「あ、ちょっと?」
「ああそれと――捕虜に取った人は丁重に扱って。二階の、鍵がかかる部屋へ入ってもらおう。傷の手当をして、あったかい食事とか、体を拭く布とか、色々とお客様みたいにやってあげて。じゃあ」
指示を出すなりセオフィラスは適当に近くにいた馬へ跨って森へと走っていった。
1人になりたい一心で森までやって来て、そこで精教会の面々を避難させていたことを思いだして直面してしまった。
「――アドリオン卿、戦があったと聞きましたが」
「……終わりました」
タルモに問われてセオフィラスは馬を降りる。来るべきではなかったと今さらに後悔しつつ、顔を合わせた以上は何か話した方がいいかとも思ってしまう。しかし何の用意もしていなかった。
「これで我々に恩を着せたつもりか?」
「何のことだか……。もう安全でしょうから屋敷にお戻りになってください。ただ、今夜は宴で騒がしいかも知れません」
「……」
「あ。大人は綺麗な女の人がいるだけで喜ぶらしいから、タルモさんが宴へ参加してくれても皆が喜ぶかも」
「っ……」
「貴様っ、侮辱しているのか!?」
「そういうつもりじゃ……。とにかく、もう安全ですから。それじゃあ」
馬へまた跨ってセオフィラスは森の奥へと入っていった。この森を自由に闊歩できるのはセオフィラスとエクトルとソニアだけだ。奥へ奥へと進んでいけば、今度こそ1人になれる。そう思って剣を引き抜いた洞窟のある滝までやって来た。――が。
「セオ……どうかした?」
「ソニア、こんなところで何してるの?」
「森林沐浴」
「そう……。1人になりたくて」
ソニアは魔術でやってのけたのか、滝つぼの近くに地面から生えたままの木々で形成された小屋を作っていた。その前に出された椅子やテーブルもまた、不自然に歪められて生育した木そのものだ。
「どうして1人になりたいの?」
「……気持ちの整理っていうか」
「……そう」
静かにソニアは応じて森の奥へ歩いていってしまう。気を利かせてくれたんだろうとセオフィラスは彼女の態度に甘え、それまでソニアの座っていた椅子へと腰かけた。頭の中ではこれからすべきことと、死んでしまった1人ずつの顔や声が目まぐるしく思い浮かぶ。そして紙一重でもぎとった勝利が、もし自分の死という形で敗北に変わっていたらと想像すると胸が苦しくなった。
スタニフラスが死んだ時――頭の中で何かが弾けたのを感じた。それからの攻防はあまり記憶になく、無我夢中でジュリアスと戦った。もしもあの時、自分が死んでいれば今ごろアルブスは敵の軍勢を前になすすべなく蹂躙されていただろう。その想像が恐怖をもたらした。あたりはあまりにも静かであるはずなのに、体の中で熱気が膨れて嫌な汗が頬を伝う。
「……そろそろ、準備できたかな」
嫌な想像を振り払うようにセオフィラスは立ち上がって屋敷に戻ることにした。
アドリオンの庭ではすでに賑やかな空気が醸成されていた。誰もが浮かれて、勝利に酔いしれている。すでに酒を飲み始めているようだった。屋敷の使用人だけでは手が足りなかったようで、アルブスに住む婦人も手伝いへ駆り出されていて慌ただしく料理を作ったり運んだりしていた。
テーブルは並べられているというより、適当にでんでんでんと置かれただけといった具合で、誰彼構わずに肩を組むようにして陽気に宴を楽しんでいるようだった。そんな様子を遠巻きに見ながらセオフィラスは近づいていき、一台だけ――丸いテーブルを見渡すかのように屋敷の食堂から運び出された長机が用意されていた。その真ん中にだけ椅子が置かれ、空の盃も用意してある。そこが自分の席らしいとセオフィラスは椅子の後ろへ立った。
「坊ちゃん、準備中だったのにあいつら、勝手に始めちゃいまして――」
「いいよ、別に。ヤコブくん、これ、注いでくれる?」
盃を手にしたセオフィラスがヤコブへ差し出すと、少しだけ渋面してから彼は葡萄酒の入った壺を手にした。とくとくとくと酒が盃を満たす。セオフィラスの登場で盛り上がっていた面々も、騒ぎ合うのをやめていた。
「ご苦労様、皆。アルブスを、ひいてはこの土地に住む人を守ってくれたことを、アドリオン領主として礼を言います。ありがとう」
軽く頭を下げてから、セオフィラスは盃を一度置いた。
「それから……ともに戦って、命を落とした勇敢な戦士の霊にも感謝の祈りを捧げて黙祷したい」
右拳を胸へ当てて腰から頭を下げる。そのセオフィラスの黙祷に、場にいた全員が同じポーズで倣った。やがてゆっくりとセオフィラスは顔を上げる。
「今日の戦いは、明日を守る戦いだった。明日は明後日のために、そうして俺は未来をずっと守りたい。だからそのためにも英気を養って、今は楽しく騒いでもらいたい。勇敢な死者と、生きるという使命を持つ全ての人間に――乾杯」
盃を持ち上げてセオフィラスが告げると、今からが本番とばかりにまた宴は盛り上がり始めた。椅子へ座ったセオフィラスのところにカタリナが小走りでやって来て、兄を押しのける。
「坊ちゃん、お手当を」
「おい、俺を押すな」
「唾つけといたから平気だよ」
「いけません」
「ちぇ……。レクサはどうしてる?」
「宴に交じっておられるかと。お酒は絶対に飲まないようにとよく言い聞かせました」
「エクトルとサイモスは?」
「今はお部屋に」
「先生は?」
「執務室です」
「そっか……。痛っ、染みるよ、カタリナ」
「染みるものですから」
「だからってな、カタリナ、坊ちゃんなんだからもっとやさしく!」
「誰だろうが平等の痛みです」
「ぐぬっ」
「ヤコブくんも、ありがとう。明日も色々とお願いしたいことあるから、今日は食べて、それからよく休んでて」
「あ、ええ、はい」
誰かが歌を歌い始め、踊り始める者も出てきた。そのおかしな踊りは見ている者を笑わせて、暖かい空気が宴全体を包む。しかしその中でもセオフィラスは冷たいものがずっと胸にどしんと落ちているのを感じた。
「これで手当てはおしまいです。坊ちゃんは何をお飲みになりますか?」
「いらない……。カタリナ、料理を作るのは適当に終わりにして、屋敷の皆も宴を楽しむようにって伝えて」
「ですが――」
「いいから。今日くらい」
「……分かりました。ありがとうございます」
カタリナが屋敷に戻っていくのを見て、ヤコブも宴会に巻き込まれて裸踊りをさせられているのを見て、セオフィラスは静かに椅子を立った。浮かれた気分にはなれなかった。




