:【朗報】我が国の王女殿下、大王国の前で大論破をかます
翌朝。エドワードはルリネットの部屋の扉の前で、ノックをする手を止めたまま躊躇していた。
もうどれくらいの時間、ここに立ち尽くしているだろうか。廊下に控える周囲の護衛たちも、一体何事かと不思議そうに彼を眺めていた。
「……どうかされましたか?」
後ろから、我が国から連れてきた侍女のモニカに小さな声で声をかけられ、エドワードはハッと我に返った。静かに一つ頷き、意を決して扉をノックする。
部屋に入ると、ルリネットは昨日と全く同じ姿勢で、またしてもテーブルの地図に向かっていた。
一体あの無機質な紙切れの何がそんなに面白いのか。淑女ならば刺繍の一刺しでもするか、せめて優雅に読書でもしていてほしい──そんな心のツッコミを必死に抑え込み、エドワードは居住まいを正した。
「ルリネット王女殿下。……昨日は、私の浅はかな先入観から大変な非礼をいたしました。深くお詫び申し上げます」
エドワードが深く、直角に頭を下げる。王子としてのプライドを捨てた真摯な謝罪に対し、ルリネットは驚くほどあっけらかんと顔を上げた。そこに根に持つようなしこりは一切感じられない。
「あら、そんなこと? 良いのよ、私の退出が早くて驚かせたみたいだしね! ──あ、それより! 私のテスト、満点だったかしら?」
期待に目を輝かせるルリネットに、エドワードは真っ直ぐ視線を合わせ、事実を告げた。
「いえ……百九十点でした」
「ええ~っ!? なんでよ!? まさか最後の問題かしら? あれね、書いている途中で迷ったのよ。『王太子妃としての心構え』を問われているのか、それとも『一国の王女としての本質』を問われているのか。そっかぁ、やっぱり王太子妃として答えるべきだったのね……って、でもさ、本質は同じじゃない! 部分点くらいくれてもいいと思わない!?」
全力で悔しさを滲ませて身振り手振りを交えるルリネットに、エドワードは思わずフッと苦笑いを漏らした。
「いえ、解答自体は、その最後の記述も含めてすべて『満点』の正解でしたよ」
「……なら、どうして百九十点なのよ!?ねえ!」
「最後に、ご自身のサインをお忘れでした。我が国の採点基準により、署名漏れは一律十点の減点となります」
微笑むエドワードに、ルリネットは愕然として己の額を押さえた。
「そんな記入欄あったかしら……!? っていうか、じゃああのテストって、本当は二百十点満点だったんじゃないの?」
「いいえ、二百点満点です。ですが、署名がない答案に満点を付けるわけにはまいりません。本来なら、誰の答案か証明できない不備として『零点』にされても文句は言えないのですよ? もし大王国側に不服を申し立てれば、最悪の場合、本当に零点に覆る可能性すらありますが……いかがいたしますか?」
悪戯っぽく微笑む執事に、ルリネットは引き攣った笑みを浮かべて手を振った。
「じょ、冗談よ! もう、意地悪ねぇエドワードったら……!」
「ふふ、では参りましょうか。本日の午後、フリードリヒ殿下がこちらの客室へおいでになります。ご用意をお願いいたしますね」
「ご用意って?」
ルリネットが不思議そうに首を傾げる。
「着飾らず、普段通りの装いでお待ちください。ありのままの、素のお姿をお見せいただければ結構です」
エドワードはそう言ったものの、ここは王太子妃選定の場だ。他国の王女であれば、「素のままで」と言われたところで、全力で『計算され尽くした完璧な素』を飾り付けるのが当たり前なのだが──。
「うう、気が乗らないわね……はぁ」
ルリネットは今日一番の大きな溜息を吐きながら、午前中の『王太子妃教育』が催される大広間へと向かうのだった。
◇
「不正確実ですわ!!」
大広間に、アリア王国の王女による鋭い怒声が響き渡った。
その瞬間、広間にいた各国の王女や文官たちの冷ややかな視線が一斉にルリネットへと注がれる。
壁際に控えるエドワードは、アリア王国の王女をエスコートしてきた王子(自身の兄弟)と瞬時に目配せを交わし、冷徹に状況を把握した。
「……何が不正確実とおっしゃるのかしら?」
ルリネットは顔色一つ変えず、真っ直ぐにアリア王女を見据えた。
「ヴェルヴァス王女、貴女は昨日のテスト、制限時間を一時間以上も残して途中で投げ出されたはずですわ! それなのに、全参加者の中でトップの百九十点だなんて……事前の問題漏洩か、さもなくば何らかの不正があったとしか考えられませんわ!」
勝ち誇ったように胸を張るアリア王女。周囲の王女たちからも、再び不信感の混じった冷ややかな視線が集中する。
だが、ルリネットはやはり眉一つ動かさず、淡々と問い返した。
「不正、ですか。ではお訊きしますけれど、その不正とは具体的にどのような方法を指しますの?」
「ですから! あらかじめ、試験の問題をご存知だったのではないかしら?」
「何のためにそんなことを?」
「何のためにって、この選定儀で有利な得点を得るために決まっていますわ!」
「おかしなことをおっしゃるのね」
ルリネットはふっと唇の端を上げ、優雅に、けれど圧倒的な威圧感を伴って言葉を紡いだ。
「私どもヴェルヴァス王国がこのダリス大王国に入ったのは、最終日の夜会ギリギリでございます。事前に問題を仕込む時間などございませんでしたわ。……それに、あらかじめ問題を知っていたと、今そうおっしゃいましたね? マリアンヌ・アリア王女殿下。それはつまり、このダリス大王国の執行部が、他国に試験問題を流出させるという『前代未聞の失態』を犯したと、貴女はダリス王家を公然と非難されているのですか?」
「っ……!?な、なんですって……!?」
アリア王国の名を指名され、あろうことか自身の発言が大王国ダリスへの侮辱と弾劾に繋がってしまったことに気付き、マリアンヌ王女は一瞬で血の気を失った。
しかし、一国の王女としてのプライドがある。ここで引き下がるわけにはいかないと、震える声で食い下がった。
「そ、そのような大それたことは申しておりませんわ! 事前に問題を知らなくとも……そう、試験中に、周囲の他の王女方の答案を盗み見た可能性だってありますでしょう!?」
「あら」
ルリネットは、マリアンヌ王女の言葉を遮るようにくすくすと笑った。
「私の四方八方に座っていらした方々の答案をすべて盗み見たとして、果たしてこの『百九十点』という点数になりますかしら?」
ルリネットの隣の席に座っていた王女が、気まずそうに俯き、自分の答案用紙を隠した。確認するまでもない、彼女の点数は二十五点だ。周囲の誰の答案をカンニングしたところで、ダリスの難問を全問正解することなど不可能なのだ。
状況は一転した。
今度はマリアンヌ王女に向けて、周囲から冷ややかで、蔑むような視線が突き刺さる。
何一つの証拠もないまま、ただの嫉妬で同格の王女を疑い、大衆の前で罵倒したのだ。いくら大国アリアの王女であろうとも、他国の王族に対する明確な侮辱罪は免れない。後ろに控えるアリアのお付きの王子も、事の重大さに顔を真っ青にさせている。
緊迫した沈黙の中、ルリネットはふぅ、と小さく息を吐き、慈悲深い女神のような微笑みを浮かべた。
「まあ、よろしいわ。今回は、私の広い心に免じて水に流して差し上げます。私も生まれながらの王女。これまでの人生で、このような浅ましい疑いをかけられたことなど一度もございませんでしたけれど……。事実無根で疑われる者の痛みが、今回初めて分かりましたわ。……私にとっても、大変良い経験(お勉強)になりましたことよ」
一瞬にして大広間の重苦しい空気が霧散し、ルリネットはドレスの裾を軽やかに翻した。
「では皆様、ごきげんよう。私は本日、午後から王太子殿下とのお個別面談が控えておりますので、これにてお先に失礼いたしますわ」
完璧な勝ち名乗りを上げ、呆然と立ち尽くす人々を残して、ルリネットは風のように優雅に広間を去っていくのだった。




