お頭の具合は大丈夫ですか?
大広間を後にしたルリネットに素早く合流し、エスコートの腕を差し出したエドワードは、真っ直ぐ前を見据えたまま、声を潜めて語りかけた。
「王女殿下、実に見事な大論破でございました。……しかし、最後の一言だけは頂けませんね。あのような野心に溢れたアリア王女の前で、わざわざ『これから殿下との個別面談がある』などと口にするのは、ただの挑発に過ぎませんよ」
少し嗜めるように言ったものの、隣からの返答がない。不思議に思ったエドワードがふとルリネットに視線を向けると──。
彼女の白磁の頬を、一筋の透明な涙が静かに伝い落ちていた。
大王国のきらびやかな廊下に差し込む陽光を浴びて、その涙はまるで宝石のようにきらめいている。あまりの神々しさと美しさに、エドワードは次の言葉を完全に失ってしまった。
ルリネットは、どこか遠くを見るような目で静かにポツリと言葉を紡ぐ。
「……私、あのように誰かを激しく糾弾しながら、ふと思ってしまったの。私もこれまでの人生で、知らない間に誰かを傷つけてしまっていたのかもしれないわね、って。たとえ自分に悪気がなかったとしても……」
(いや、あのアリア王女に関しては確実に悪気しかなかったと思いますが……?)
エドワードがそんなツッコミを喉元で堪えていると、ルリネットはふっと涙を拭い、いたずらっぽく笑った。
「でもね、私もさすがにカチンときちゃったから、ちょっぴり意地悪をして差し上げたのよ。だって、私にとっては少しも待ち望んでいない殿下との時間を、さも『楽しみにしていますの』と言わんばかりに見せつけてやったんですもの!」
てへっ、と可愛らしく舌を出し、おどけてみせるルリネット。
先ほどの涙の神聖さは一体どこへ行ったのか。エドワードはただただ、この掴みどころのない王女に翻弄されるしかなかった。
◇
部屋に戻り、ドレスから「指示通り」の飾り気のない普段着に着替え終えて一息ついた頃。ソファに座ったルリネットは、何故か不満げに両頬をぷくーっと膨らませていた。
「ねえ、エドワード。やっぱり酷いと思わない?」
(……今更アリア王女への怒りが湧いてきたのか?)
エドワードは内心で呆れつつも、大人の対応で話を合わせる。
「まあ、言われなき疑いでしたからね。ですが、王女は見事にあの場を乗り切られましたよ」
「違うわよ、そこじゃないわ! カンニングだなんて疑われたことが心外なのよ。だって、あんなに効率の悪いこと、するわけがないじゃない。割に合わないわ!」
「……はぁ、まあ、そうですね(点数が低すぎて参考になりませんし)」
「はっ……! 分かったわ! 皆さん、それほどまでにあの王太子妃の椅子が欲しいのね!」
何かに閃いたルリネットは、ガタッと椅子を蹴立てる勢いで立ち上がると、昨日広げたあの作戦地図へと猛ダッシュした。
(……出たよ、またあの地図か)
エドワードは遠い目をしながら尋ねる。
「……一体、何がお分かりになったのですか?」
「だ・か・ら! エドワードって本当にちょっと頭が弱いわね。いい? 彼女たちはね、あえて最初のテストで悪い点数を取っているのよ! そうして、これから始まる『王太子妃教育』の後のテストで、一気に本気を出す作戦よ! ほら、『教育のおかげで、これだけ伸び代を活かして頑張りました!』っていう健気なアピールになるでしょう? その点、私は最初からほぼ満点を取ってしまったから、どれだけ教育を受けても点数が変わらないわ。つまり、教育の成果が出ない『おちこぼれ』に見えるってことよ!」
大真面目に独自の「伸び代理論」を熱弁すると、ルリネットはアリア王女のチェス駒を指先でつまみ、地図上の『王太子妃の椅子』のすぐ近くへとグンと前進させた。
エドワードは、心底哀れみのこもった冷徹な眼差しをルリネットに向け、至って真面目に問いかけた。
「……王女殿下。お頭の具合は大丈夫ですか?」
「何がよ!?」
どこまでもポジティブ(?)に、自分が教育の成果が出ない言い訳を構築するルリネットに、心の底から脱帽するエドワードであった。




