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再編の針と失われた縁  作者: 神田長十郎
第三章 変化の兆し
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第七十三話 視えし者の孤独

翌朝。

施設の廊下は、いつもより静かだった。

朝の光が差し込んでいるのに、どこか薄暗く感じられる。

空気がひんやりと重く、胸の奥にざわつきが残るような朝だった。


紡は、ネロと共に資料室で鈴木の書類整理を手伝っていた。


近日のいざこざや通常業務が重なり、

さらに昨日の騒ぎでほぼ一日外に出ていたこともあり、

捌かねばならない書類が山のように溜まっていた。

三人は淡々と作業をこなしていた。


ペラペラと紙をめくる音や、ペンを走らせる音が

妙に大きく響いた。

その静けさは、むしろ耳に痛いほどだった。


資料を整理していた鈴木がふと顔を上げ、

時計を確認すると、ネロに声をかけた。


「ネロ君。手伝わせてしまってごめんね?

結構時間たったけど、まだこっちに来ていて大丈夫なのかい?」


ネロは書類から目を離さずに答えた。


「あぁ……グウェン様からも手伝うよう言われているし、

今日は一日、レオンとフィーロがグウェン様のそばについているから何も心配はいらない」


「そうですか。紡君も手伝いありがとう。

二人に手伝ってもらって正直すごく助かるよ」


「いえ、気にしないでください。

そういえばネロ、あれからグウェンさんの様子はどうなんだ?」


ネロは資料から顔を離し、紡に目を向けた。

その目には、どこか探るような影があった。


「……グウェン様は、いつも通りだったよ。

顔色もだいぶ良くなっておられた」


「そうか……」


紡は昨日の出来事を思い出していた。

言葉にできない違和感が、まだ喉の奥に残っているようだった。


その時――

遠くから、慌ただしい足音が響いてきた。


「何かあったんでしょうか……」


鈴木のつぶやきに、ネロと紡も手を止め、

廊下に目をやった。


ネロの表情がみるみる険しくなり、

肩がわずかに強張った。

空気が一瞬で張り詰める。


「……少し様子を見てくる」


低く呟くと、ネロはすぐに席を立った。

その声には、先ほどまでの落ち着きがなかった。


ネロが扉を開け、廊下を覗き込むと――

衛兵が複数名、息を切らしながら駆け込んできていた。


「何事だ……?」

ネロは急いで廊下に出ると衛兵の元へ駆け寄った。


異変に気付いた紡と鈴木も、

胸騒ぎを覚えながら廊下に出る。


廊下の先には、すでに衛兵と話しているネロの姿があった。

衛兵達の表情は強張り、

肌がひりつくような緊張感が漂っていた。


紡がネロと衛兵の会話に耳を傾ける。

「グウェン・スクルディガー殿は……こちらにおられますでしょうか」

「……グウェン様にはどのようなご用件でしょうか」

「それが……」


衛兵が言い淀んでいると――

廊下の奥から、規則正しい足音が近づいてきた。

その足音に合わせて、空気が自然と張り詰めていく。


グウェンとレオン達が姿を現した。


グウェンはゆっくりと歩みを止め、

穏やかな笑顔を浮かべた。


「どうかしましたか?」


その声はいつも通り柔らかい。

だが衛兵たちは、その声に反応するようにビクリと肩を震わせた。


衛兵達がグウェンの姿に気づくと、

一斉に礼をし、リーダーと思われる一人が唾を飲み込み、

震える声で告げた。


「スクルディガー殿。昨日情報提供いただき、調査を進めていたところ。

昨夜、目撃付近でにあった商業区域付近の川で……

ウィリー・ペリドットという男が……遺体で発見されました」


廊下の空気が、一瞬で凍りついた。

温度が数度下がったように感じられるほどだった。


紡は息を呑み、

鈴木は思わず絶句した。


(ウィリーって……昨日、グウェンさんが話していた……)


ネロもそのことに気づいたのだろう。

そっと、グウェンの横顔を見た。


グウェンは驚きも悲しみも見せず、

ただ静かに目を伏せた。


その表情は、まるで“すでに知っていた”かのようだった。


「……そうですか」


その声は、あまりにも静かで、

あまりにも淡々としていた。


衛兵は続けた。


「遺体の状況から自殺の可能性が高く…

昨日の目撃情報を含め、もう一度、詳細をお聞きしたく。

……お時間をいただけないでしょうか」


衛兵は緊張しているのか、言葉を詰まらせながらも、

視線だけはグウェンに吸い寄せられていた。

恐怖と期待が入り混じった、複雑な目だった。


そんな衛兵達からの視線を遮るように、

レオンが一歩前に出て、衛兵の前に立った。


「この件は昨日も、散々説明したはずだが?

グウェン様にまだ、”協力”を要求するつもりか?」


その声は低く、鋭かった。

衛兵たちは圧に押されるように一歩下がった。


廊下の空気がさらに張り詰める。


「やめなさい。……すまないね」


グウェンがレオンの肩に軽く手を置き、

一歩前へ出た。


「レオン君の言う通り、ウィリー君の件については、

昨日の時点で“僕が視えた範囲”のことはすべて伝えているよ」


グウェンは衛兵たちを見つめた。

その瞳は穏やかなのに、どこか底知れない。


「今日来た目的は……もう1件の事件についても

僕が何か“視た”と思ったからかな?」


衛兵たちは見透かされたように顔を見合わせた。

その反応に、グウェンは小さく笑った。


「だとしたら……申し訳ないが、

残念ながら“今は”何も視えていないんだ。

君たちに伝えられる情報は持っていないよ」


その言葉と同時に、

グウェンはほんの一瞬だけ視線を逸らした。

そのわずかな揺れが、逆に不自然だった。


「ですが……スクルディガー家の方は過去や未来が視えるお力があるとか……

そのお力があれば犯人を捜すのも容易いのではないですか?」


その発言に、ネロがピクリと反応を示した。


「容易い……貴様ら……それほどまでの力を容易く使えると思っているのか?」


ネロの声は震え、怒りが滲んでいた。

だが、衛兵達は一歩も引く様子はなかった。


「……精霊術には代償が必要ということは重々承知だ。

だが、貴殿が協力いただければ、次の被害者が出る前に、

犯人を確保できる。

今回の被害者の状態は異常だ。市民の安全のためにも、

ぜひ協力いただきたい」


グウェンは静かに首を振った。


「君達の言いたいことはわかっている。

僕も早く犯人を捕まえるべきだとは思うよ。

だけど……僕に聞きに来るのは早計だとおもうな」


「それはどういうことだ?」

衛兵達はグウェンの言葉に眉をひそめた。


グウェンは優しく笑いかけながらも、

諭すように続けた。


「君たちは手がかりの捜索が難航し、僕の力を頼りに来たのだろう?

つまり……犯人につながる証拠がまったく見つけられていない。

違いますか?」


衛兵達はざわめき、

否定する者は一人もいなかった。


悔しさを押し殺しながら、

リーダー格の衛兵が顔を上げた。


「……悔しいがその通りだ。

しかし!だからこそ!

我々は貴殿に協力を求めに来たのだ。犯人を早急に確保するために」


その目には強い信念が込められていた。

グウェンはその目をじっと見つめ、ふっと笑った。


「では……証拠がなくても僕が”犯人だ”と言えばその人を確保するのかい?」


衛兵達は絶句した。

その場の空気が、さらに冷たく沈んだ。


スクルディガー家が“視た”のだとしたら、それは真実。


しかし――

“視た”というだけでは証拠にはならない。


なぜなら、

”視た”内容を知っているのはグウェンだけ。

そのグウェンが”視たまま”を証言しているかは

誰にもわからないからだ。


グウェンの言葉の意図に気づいたのか、

衛兵たちは眉間に深い皺を刻んだ。


「それは……貴殿が我々に嘘の証言をするかもしれない、

と言っているのか?」


グウェンは穏やかな笑顔のまま、

静かに語り掛けた。


「人である以上……どんな立場の人間であろうと、

嘘をつく可能性はある。それは理解しておいた方がいい。

そして君たちが本気で犯人を捕まえるつもりならば―」


「その者がどんな人間であっても、疑わなければならない」


グウェンの声は優しいのに、

その奥に“絶対的な線引き”があった。


「大丈夫……心配しなくても、

君たちの力だけで犯人を見つけられる」


その言葉は励ましのようでいて、

どこか“未来を知っている者”の響きがあった。


(グウェンさん……本当に知らないのか……?

それとも……)


紡が息を呑んだその時――

他の者の制止を振り切り、

若い衛兵が一歩前に出た。


「なぜ協力を惜しむのです!

スクルディガー殿は、本当は”全部わかっている”のだろう?!

犯人も!今後出るかもしれない被害者も!

すべてわかった上であなたは傍観者でいるつもりか!!

そんなの……あまりにも無責任だ!」


その瞬間――

ネロもフィーロもレオンも、

若い衛兵に向けて“殺意にも似た冷たい視線”を向けた


廊下の空気が一気に冷え込む。

職員たちが息を呑み、誰もが動きを止めた。


若い衛兵は青ざめ、喉を鳴らした。


一瞬、時が止まったようだった。


次の瞬間――


「フ……フフッ……アハハハハハハ」


突然の笑い声に、全員が息を呑んだ。


グウェンだった。


「いや…………すまない。

僕の伝え方が悪かったね……勘違いさせてしまったようだ」


グウェンは口元に手を当て、笑いを抑えながら続けた。


「僕は本当に”視えて”ないんだ」


静かに微笑むその顔は、

どこか影が差しているように見えた。


「僕は精霊ノルンの力を未だ使いこなせない欠陥品でね……

僕の意志で使えるのは“縁”を視る力だけ。

そして死人との縁は視えない。

だから……犯人を見つけることは僕にはできない。

協力できないと言っているのは、そういう理由もあるんだ」


その声は優しく、

しかしどこか“逃げているような”響きがあった。


グウェンの衝撃的な発言に

衛兵含め、偶然居合わせていた職員達もざわめきだす。


グウェンはその様子を気にすることなく続けた


「そういうことだから。僕はもうこれ以上、

君達のお役には立てない。

悪いがこちらも仕事が立て込んでいてね。

もうお引き取りいただけないだろうか?」


グウェンの見せる笑顔は、

一見優しげに見えるが、その奥には

明らかな苛立ちが滲んでいた。


我に返ったリーダー格の衛兵が慌てて前に出て深く頭を下げた。


「グウェン・スクルディガー殿、

この度はご協力いただきありがとうございました。

……この者にも、良く聞かせておきます。

今日は、これで失礼させていただく」


「いえいえ、協力できず心苦しい限りです。

これからもお互い適度な関係を続けましょうね?」


グウェンの微笑みは柔らかいのに、

衛兵たちは礼をすると、その場から逃げるように去っていった。


廊下には、再び静寂が落ちた。

だがその静けさは、朝の光とは裏腹に冷たく沈んでいた。


紡は震える声で言った。


「グウェンさん……いまの話……本当の事なんですか?」


声が廊下に吸い込まれるように消えていく。

グウェンはゆっくりと紡の方を向いた。


「さぁ……どうだろうね?」


細められたその瞳は空虚で、

紡の問いかけに対して、他人事のように冷たく返した。


その言葉に、ネロの表情が強張った。

肩がわずかに震え、握りしめた拳が白くなる。


「グウェン様……」


ネロは一歩、グウェンに近づいた。

その足取りは迷いと恐れで揺れている。


「昨日から……どうなされたのですか?

また顔色も優れないようですし……

おっしゃっていることも……全然グウェン様らしくありません……!」


声が震え、今にも涙がこぼれそうだった。

フィーロが驚いて兄の袖を掴むが、ネロは気づかない。


グウェンは微笑んだ。

だが、その笑顔はどこか空虚で――

“心ここにあらず”という印象を強く残した。


「ネロ。

ここでその話をするのはやめよう」


その声は優しいのに、どこか“拒絶”の気配があった。

まるで、これ以上踏み込ませまいとする見えない壁が張られたようだった。


「……ですが!」


ネロの声が廊下に響く。

その響きに、周囲の職員たちが不安げにこちらを振り返った。


グウェンは小さく首を振った。


「心配してくれてありがとう。

その気持ちが僕は嬉しいよ」


ネロの肩が震えた。

その言葉が優しいほど、胸が痛む。


「皆も、騒がしくして悪かったね。

仕事に戻ってくれ」


グウェンはゆっくりと踵を返し、

まるで“何事もなかった”かのように歩き出した。


だが――

レオンの手が、その腕を掴んだ。


「……グウェン」


低く、押し殺した声。

怒りと焦りが混じり、震えていた。


グウェンは振り返る。

その表情は、どこか遠くを見ているようで――

レオンの怒りを受け止めていないようだった。


「……ちゃんと説明してくれないか。

なぜ…衛兵たちにあんな”嘘”をついた。

最近のお前は、お前らしくない……!

言っていることとやっていることがめちゃくちゃだ」


「……そうかな?

少なくとも、今の僕はいつも通りのつもりだけど」


「……ッ、いい加減にしてくれ」


レオンは歯を食いしばり、

掴んだ手に力を込めた。

その手は震えていた。


「お前……昨日からおかしい。

いや……もっと前からだ。

お前が普段から何か“視ている”のは知ってる。

だが……今回のは明らかに様子が違う。

お前は……お前には何が“視えている”んだ!」


グウェンは答えない。

ただ静かに、レオンの手を見つめている。

その沈黙が、逆にレオンの不安を煽った。


レオンの声が震えた。


「俺は……俺達が、今のお前にしてやれることはないのか……?」


その言葉は、怒りよりも“悲しみ”に近かった。


紡は息を呑んだ。

鈴木も言葉を失っている。


ネロは――

グウェンの横顔を見つめたまま、

拳を握りしめていた。


グウェンはふっと笑った。


「ッフ……アハハ。

レオン君、心配してくれるのは嬉しいよ。

でも……今は君にしてもらいたいことなんてないよ」


レオンの手がわずかに緩む。


「……大丈夫。今の話だ。

いずれその時が来たら、君にやってほしいことがあるんだ。

それまで待っていてほしい……

おや?……フフッ、今のは”お願い”になるのかな?」


レオンは黙って手を放した。

その手はまだ震えていた。


グウェンは小さく息を吐き、

柔らかく微笑んだ。


「フフッ、さぁ……やらなければならないことは

沢山残っているよ?時間は限られているからね……

皆も……そろそろ振られた仕事を再開してくれ」


「は、はい……」


ネロの声はかすれていた。


「よろしい。

では僕は失礼するよ」


グウェンはそう言うと、

まるで“逃げるように”その場を離れていった。


グウェンが立ち去ると、

時が動き出したかのように、

いつもの、規律正しくもどこか慌ただしい空気に戻った


そんな中、

紡たちだけが、時間の外に置き去りにされたように立ち尽くしていた。

閲覧いただきありがとうございます。


今回長くなった分、投稿が遅れてしまいました……

次回も完成次第投稿させていただきます。


引き続き、お付き合いいただければ幸いです


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