第六十二話 噂の”男”の正体
“古樽の酒場”
年季の入った看板を見上げながら、紡は呟いた。
「酒場って聞きましたが……昼間からやってるんですね」
「日本の居酒屋とは違うからね、天野君」
鈴木が苦笑する。
その横で、レオンたちはすでに扉を押し開けていた。
中は昼間とは思えないほどの盛り上がりだった。
酒の匂い、笑い声、怒号――まるで夜のような熱気。
レオンたちは、飲んだくれた客たちを無視し、
店の奥にいる店主と思われる男へまっすぐ向かった。
レオンが声をかける。
「お前が店主か?」
店主は眉間に深い皺を寄せ、低い声で返した。
「そうだが……何の用だ?」
その視線は鋭く、明らかに警戒している。
レオンは臆せず言った。
「……聞いたぞ。“不審な男”を拾ったらしいな」
その瞬間、店主の目つきがさらに鋭くなった。
「……あんたら、何者だ?
アイツに何の用だ」
店内の空気が一変した。
ざわり、と周囲の視線が突き刺さる。
紡と鈴木はただならぬ空気に
ゴクリと息をのんだ。
ネロが小さくため息をつくと、
訂正するために身分を明かした。
「何か勘違いしているようだが、俺たちは“再編の針”の職員だ。
怪しい者じゃない」
その言葉を聞いた途端、店主の表情がふっと緩んだ。
同時に、店内の空気も元の賑わいに戻る。
「……なんだ、早く言えよ、まったく」
そして――
店主はニッと笑い、二階を指さした。
「兄ちゃんなら、今上にいるよ」
――
―
階段を上がると、
上の階から大声の笑いが聞こえてきた。
「ハハハハハ!
お前その顔で“運命の出会い”とか言って告白したのか?
馬鹿だなぁ! 今どきそんなこと言われたら誰でも引くわ!」
妙に聞き慣れた声が響いた。
紡が顔を向けると、
ガラの悪い男たちが集まって酒を飲んでいるテーブルがあった。
その中心で――
煙草を片手に、グラスを持ち、
楽しそうに笑っている男がいた。
明らかにその一団とはタイプが違うのに、
妙に馴染んでいる。
「そんな笑うことないだろ!ひでぇな!
こっちは真面目に相談してんのによぉ!」
「そうだぞ、確かにザックは人相は悪いが、
これでもロマンチストで繊細なんだから手加減してやってくれよ兄ちゃん」
「いやいや……だからこそ引くというか、もっと自分の素材を生かした―」
楽し気に話を続けているその男と一瞬目が合った。
紡は息を呑んだ。
(え?……あれって……グウェン…さん……?)
グウェンは一瞬だけ目を見開き、
次の瞬間、ガタイのいい男の背に隠れるように顔を伏せた。
その瞬間。
「何をなさっておられるのですかグウェン様!!!」
ネロの怒号が、店中を震わせた。
酒場の客たちが一斉に振り返る。
グウェンは肩をびくりと震わせ、
煙草を持つ手が止まった。
「…ッ!ネロ?!」
ネロは怒りで顔を真っ赤にしながら、
テーブルへと突進していった。
ダンッと音を立ててグウェンの前に立つと、
ネロは怒りを抑えきれないのか、肩を震わせながら
座っているグウェンを見下ろした。
やがてグウェンは、ゆっくりとネロへ顔を向け――
引きつった笑顔を無理やり作った。
「あはは……早かったな。ネロ?」
「早かったな、じゃないですよ。
こんなところで、本当に何をなさっておられるのですか…!!
そしてなんなんですかこいつらは?!」
ネロは詰め寄るように距離を縮める。
グウェンは慌てて手を前に出し、必死に言い訳を始めた。
「まてまて。俺はただここの奴らの相談にのってただけで……」
すると、同じテーブルの男が慌ててフォローに入った。
「そ、そうだぜ? 兄ちゃんは俺の恋愛相談に――」
「お前の恋愛事情何てクソどうでもいいんだよ黙ってろ!!」
ネロの声は地獄の底から響くようだった。
男は肩をすくめ、すぐに黙り込む。
「な、なぁ……そんな怒るなよ?
ちゃんと書き置きだってしただろ?」
「はぁ?! “ちゃんと”? あれが?!」
「グウェン様……あれは……私もどうかと思う」
いつの間にか後ろに来ていたフィーロが、
呆れた声でそう言った。
「フィーロまで?! え、そんなにダメだったあれ?」
グウェンは信じられないという顔をした。
ネロはさらに追及する。
「というか……なんですか、その手に持っている煙草!
あれだけ“煙草はお止めください”と申し上げたのに……
一体どこに隠し持ってたんですか?!」
「え?あぁこれ?これは……あれだ。貰ったんだよ」
「貰った?」
そう言うと、ネロは同じテーブルにいた男たちに
鋭い目つきで睨んだ。
男たちは”俺達じゃない”と必死に首を振った。
「…………誰に貰った煙草です?」
「あ~、いや?俺も知らない奴」
「そんな得体の知らないもの吸わないでください!!」
ネロは勢いよく煙草を奪い取った。
「なんだよ、大丈夫だって。封空いてない新品だったし」
「そういう問題じゃないんです!
……とにかく残りも早く出してください」
ネロが手を差し出すと、
グウェンはしぶしぶポケットから煙草を取り出し、渡した。
「まったく……って、グウェン様どれだけ吸われたんですか?!
ほとんど残ってないじゃないですか!!」
「あはは……覚えてないなぁ……」
「信じられません!! こんなもの二度と吸わないでください!」
「なんだよ、いいだろ別に、煙草くらい!
ケチケチすんなよ……」
「グウェン様??
煙草がどれだけお体に悪いか……
もう一度、ご説明差し上げた方がよろしいようですね?」
「あのなぁ? 子供じゃないんだから知ってるわそんなこと。
大体、煙草なんて……ん?」
グウェンが何かに気づいたように
ふと視線を上げた。
そこには、ポカンと口を開けて立っている
鈴木と紡がいた。
「あれ? なんだよ、やっぱりお前らも来たのか?」
グウェンは嬉しそうに言うと、勢いよく立ち上がり、
足早に近づいてきて――
バシバシと肩を叩いてきた。
「おいおい、なんだその顔!
ハハハッ変だぞ?」
「いや変なのは明らかにグウェンさんの方ですが?!
なんなんですか!??」
紡は慌てて距離を取る。
「え? あぁそっか、悪い悪い! ハハハッ!」
グウェンは全然悪いと思っていない様子で、
いまだ固まっている鈴木の肩を何度も叩いた。
グウェンを改めて近くで見た紡は
その服装の違いに気づいた。
いつもの上品な服ではなく、
粗い麻のシャツに濃いズボンを着ていた。
(まさか……あの噂って……)
紡はわなわなと震える指でグウェンの服を指さした。
「………グウェンさん、その恰好、どうしたんですか?」
そう言うと、グウェンは手を広げながら答えようとした。
「ん? あぁこれ? これはな――」
グウェンが口を開いた、その瞬間。
ネロの怒りがついに限界を迎えた。
「グウェン様!!!いい加減にしてください!!」
酒場中に響き渡る怒号。
客たちの笑い声が一瞬で止まり、
空気がビリッと震えた。
グウェンはビクッと肩を跳ねさせ、
ゆっくりとネロの方へ振り返る。
「……な、なんだよネロ。そんな怒るなって……
ほら、俺は何ともないって! ケガとかもないし? な?」
「無事とかそういう問題じゃないんですよ!!
なんで勝手に出歩いて、知らない男たちと酒飲んで、
挙げ句の果てに、なんで恋愛相談までのっているんですか!!」
「いやいや、違うんだって!
これは…そう!コミュニケーションのひとつだろ?」
「こんな昼間から酒飲んでるようなクズの恋愛相談になんか乗る必要なんてありません!!」
「おいおい、そんな事言ったらかわいそうだろ?
あいつも真剣だったんだってよ……な?」
グウェンが話題の男に優しく微笑む。
ネロは真逆で、殺意を込めた視線を送る。
「真剣……?ならこんなところで酒なんて飲んでないで
まじめに働けクズ」
可愛そうなその男はネロから容赦のなく切り捨てられ
顔を手で覆い、小さく縮こまった。
(うわぁ……容赦ねぇ……かわいそう……)
紡は、突然ど正論パンチを食らった男に
そっと憐れみを送った。
周囲の客たちは “巻き込まれたくない” とばかりに
そっと距離を取り始めた。
ざわざわとした空気が広がる中、
グウェンは必死に誤魔化そうとネロの肩に手を置いた。
「な? ネロ? ちょっと落ち着けって。
俺はただ、ちょっと気晴らしに――」
「気晴らし?? 気晴らしと言いました?
ほんと……俺たちが、どれだけ心配したと思って……」
ネロは震える小さな声で呟いた。
その様子に気づいたグウェンは、
そっとネロを抱き寄せ、頭を優しく撫でた。
「…………悪かったよ。
本当に、少しだけ…
一人になりたかっただけなんだ」
「お一人に……?」
ネロが顔を上げると、
グウェンは申し訳なさそうに視線を逸らした。
「いや…………その……
ほら…紅茶の件もあって……ちょっと気まずくて…」
「は?えっと……それだけ…ですか?」
「え?それだけ……だけど…?」
ネロは数秒固まり――
深いため息をつくと、グウェンから離れた。
そして感情のない目で見つめる。
「……もういいですから。
何があったか、ちゃんとご説明いただけますか?」
降参だ、と言わんばかりに両手を上げながら、
ため息まじりに言った。
「わかったわかった、ちゃんと説明するよ……その前に……」
グウェンはある一点を指さした。
「あそこでくたばってるレオンはどうしたんだ?」
そこには、青白い顔のレオンが
床に倒れ込んでいた。
「あぁぁ! やけに静かだと思ったら!
レオンさん大丈夫ですか!?」
鈴木が慌てて駆け寄る。
「…………グウェンの顔見て、安心したら、
急に、また胃が……」
そう言い残すと、レオンは魂が抜けたように動かなくなった。
そこへ騒ぎを聞きつけた店主がやってきて、
惨状に顔を覆いながら低い声で言った。
「どういう状況だ?これは……
おい、お前ら。
一旦この兄ちゃんたちを落ち着かせるから、
下に行って飲んでろ」
酔っ払い客たちは逃げるように階段を下りていき、
二階には店主と、グウェンたち六人だけが残った。
閲覧いただきありがとうございます。
今回きりのいいところまで載せたら長くなってしまいました……
グウェン様に振り回される社員と従者と店の人たちの話はもう少し続きます・・・
良ければまた覗きに来てください・・・




