第五十三話 帰還したのは誰か
再編の針 会議室
暴動の対応で疲れ切った職員達が、
次々と倒れこむように、椅子に座り込んでいた。
その中央では書類の山に囲まれたナディアがいた。
眉間にはしわが寄り、いつもきっちりと着ていた制服もしわがつき、
胸元のリボンもよれていた。
スヴェンが援助に来たものの、やはり再編の針トップのグウェンの不在が続き、
あらゆる仕事が溜まっていく一方だった。
ナディアは事件の後処理に加え、通常業務などの管理も行わねばならず、
限界が近づきつつあった。
そんな満身創痍なナディアを、
紡は会議室の入り口から様子を伺っていた。
というのも、紡も事件の後処理や報告書の作成などをここ連日行っており、
その書類の確認は、上司にあたるナディアにしてもらう必要があるからだ。
しかし……
ナディアのただならぬ様子に、
紡は完全に話しかけるタイミングを逃し続け、今に至っていた。
(ナディアさんの横にある書類……あれ全部見なきゃいけない書類なんだよな……
ただでさえあんなにあるのに、
さらにこの資料の束を、ナディアさんに渡しに行くのは気が引けるなぁ)
とはいえ、いつまでも書類を出さないわけにはいかない。
紡はごくりと息をのむと、意を決して、ナディアの元へ行こうと
右足を出した瞬間。
トントン。と右肩を叩かれ、驚き振り向くと、
そこにはスヴェンが立っていた。
「もしかして、貴方がアマノさん…ですか?」
スヴェンは恐る恐ると言った様子で声をかける。
「はい。そうですが……あなたはスヴェンさん……でしたよね?
確かグウェンさんのー」
「えぇ。私はスヴェン・スクルディガー。グウェンは私の兄です」
そういうと、右手を差し出し握手を求める。
紡は差し出されたその手を握りながら、
「初めまして、天野紡です。
……えっと。なんで俺の名前を?」
「突然すみません。実はアマノさんのことは、
兄から少し話を聞いていて」
「グウェンさんが?それは……どのような?」
グウェンがわざわざ弟に話をしたと聞いて、
一体、どんな話をしていたのか、純粋に気になっての質問だった。
しかし、スヴェンは何か気に入らないといったような、
少し敵意を感じるような目でじっと紡を見ていた。
まるで値踏みをするかのような視線に、少しぞっとした。
「いえ、貴方は兄さんと同じように”縁”を見る力があり、
なおかつ”縁”を引き寄せる質だとか……」
(あれ……?なんだろうこの既視感)
スヴェンを見ていると、だれかを思い出しそうになる。
なんか、ちょっと前にも視たような……
懐かしような感覚がした。
「兄さんは最近、会うたびにあなたの話するんです。
それで……その時聞いたんですが……
兄さんに借金をしている。というのは本当ですか?」
ひゅっと喉が鳴り、思わずせき込んでしまった。
「ゲホゲホっ……、え?!」
(グウェンさん、弟さんにそんなことまで話してるのか)
「その反応……兄さんの冗談ってわけじゃなかったんですね」
紡の反応から、察したようで、より一層、目の温度が下がり、
冷たいものになっていく。
「それで、兄さんからの借金。返すつもりはあるんでしょうか?」
「も、もちろんです!」
「それにしては、仕事って言っても、お手伝い程度じゃないですか。
正直、兄さんに甘えすぎではありませんか?」
紡の全身に、雷に打たれたような衝撃が走った。
「働いているって言っても、住む場所も、来ている服も、仕事ですら。
全部兄さんが与えた物ですよね?」
「……はい。おっしゃる通りです……」
ぐうの音も出ないほど正論に、たじたじになっていく。
「しばらくあなたのことを観察させていただいておりましたが、
正直申し上げまして。全然、まったく、これっぽっちも。
戦力になっている気がしないのですが」
(この人!人が気にしていることを……!)
「今だって、その手に持った書類。
それを上司へ渡すのに一体どれだけ時間をかけてるですか」
「はい、まったくもってその通りです……」
「兄さんもこの施設の方々は、何も言っていないようですが。
正直申し上げまして、貴方は点でダメな人間です。
正直言ってくずです。」
「そこまで言う?!」
スヴェンは眼鏡を指で上げると、キッと睨みつける。
「いいですか。あなたはこの国で、公爵の爵位を持つ貴族から、
借金をしたうえで、衣食住まで補償され、
挙句の果てに……兄さんにお手伝い程度の仕事で
お小遣いまでもらって……
せめてもっと効率よく働くとか!
というかもっと馬車馬のように働くべきではないでしょうか?!」
(あ、この人絶対ネロと同じタイプの人だ)
「皆さんがこんなに働いているというのに、
貴方ときたら……書類もまともに渡せないとか……意味が分かりません」
紡の業務内容に相当お怒りなのか、その後もくどくどと説教を続けた。
「全く、兄さんはなんであなたに肩入れしているのか……
理解できないです」
「こらこら、そんなこと言うもんじゃないですよスヴェン」
突然聞きなれた声が背後から聞こえ、スヴェンと紡が慌てて振り返ると、
そこにはいつもの笑顔を見せるグウェンが立っていた。
「グウェンさん?!」「兄さん?!」
同時に声を上げると、
その瞬間、会議室の空気がふっと張りつめた。
まるで部屋そのものが息を呑んだようだった。
「本当に……?」
「グウェン様が……!」
「よかった……!」
職員たちが一斉に入口へ駆け寄る。
「今回は本当に大変でしたね。
皆さん、無事なようで安心しました」
その一言で、
職員たちの目に涙が浮かんだ。
「グウェン様……!」
「本当に……本当に……!」
ナディアは胸に手を当て、
深く頭を下げた。
「……お帰りなさいませ。
グウェン様……!」
グウェンは微笑み、
ナディアの肩にそっと手を置いた。
「よく頑張ってくれたね。
ありがとう、ナディア君」
その言葉に、
ナディアは涙をこぼしそうになった。
「スヴェンも、スクルディガー家の当主代理として、
よくやってくれました。ありがとう」
そういうと、スヴェンの頭をやさしくなでる。
スヴェンはー
どこか複雑そうな顔をしていた。
「さて、ナディア君、あとは僕が確認するから、
君は少し休みなさい。ひどく疲れた顔をしているよ」
そういうと、ナディアの頬をやさしく撫でた。
「へ…あの……だ、だいじょうぶです
…あの、グウェン様に…報告しなければならないことも、
たくさんありますし…」
グウェンの行動にナディアは顔を真っ赤にしながらも
仕事をこなそうとしていたが、
グウェンはさらにナディアの顔を引き寄せ、
「かわいそうに、隈もできてしまっているよ。
報告は後でも大丈夫だから、休みなさい」
「は、はい……」
ナディアさんは何とか返事はしたものの、
グウェンの行動がとどめとなり、バタン。と倒れこんでしまった。
「ナディアさん?!」
「大丈夫ですか?!しっかりしてください」
近くにいた職員達が心配そうにナディアを囲むように集まって来る。
「おや…大丈夫かい?」
グウェンが心配そうにナディアに声をかける。
紡はそんなグウェンから目が離せなかった。
グウェンを見てからというもの、
紡の“縁”が激しく震えていた。
胸が締めつけられる。
逃げたい。
怖い。
違和感。
嘘。
危険。
逃げろ。
逃げろ。
逃げろ――
あらゆる“縁”が、
紡の中で悲鳴を上げた。
(……苦しい……!なんで……!?)
視界が歪む。
その異変に気づいたのか、
グウェンが慌てて駆け寄ってくる。
「アマノ君? 大丈夫――」
その瞬間。
紡の目に映ったのは――
化け物のように歪んだグウェンの姿だった。
赤く濁った瞳。
黒い糸のような影。
その姿は、人の形をしているのに――
“人ではない何か”が中に詰まっているようだった。
「――ッ!!」
紡は恐怖で反射的に、
グウェンの手を払いのけた。
グウェンが驚いたように目を見開く。
「アマノ君……もしかして…何が見えてるんだい?!」
(違う…あれは…グウェンさんじゃない…
あれは…………)
胸が締めつけられ、
呼吸ができない。
その時ー
チリン。と鈴のような音が聞こえ
『紡!それ以上グウェンを見ちゃだめだ』
という声がかすかに聞こえた。
(だれだ……この声は……)
その声を聞いた後、
視界が暗くなり――
紡の意識は、
そのまま闇に落ちていった。
――
―
紡が目を覚ましたのは、
医務室の柔らかな光が差し込む朝だった。
「……あれ……?」
胸の苦しさも、
昨日のような圧迫感もない。
フィーロとヨハンが駆け寄る。
「アマノさん……!」
「いきなり倒れたって聞いて、心配しました」
紡は笑って答えた。
「すみません……ちょっと疲れてただけかも……」
今は胸の奥に残っていたはずの恐怖が、
嘘のように消えていた。
その時、すっと扉が静かに開いた。
「アマノ君、起きていたんだね」
グウェンが入ってきた。
昨日、紡が“化け物”に見えたはずのその姿が――
今日は、ただの優しいグウェンにしか見えない。
赤い濁りも、
黒い影も、
何も感じない。
(……あれ……?
なんで……?)
紡は戸惑いながらも笑顔を返す。
「あ……グウェンさん……すみませんご心配をおかけしました」
「突然倒れて、驚いたよ。
どこか痛むところは?」
「いえ……大丈夫です」
本当に、何も感じない。
昨日の“逃げろ”という縁の叫びも、
胸を締めつけた恐怖も、
全部、夢だったかのように消えていた。
グウェンは紡の額に手を当て、
熱を確かめるように優しく触れた。
「よかった……」
その声は温かく、
紡の胸に安心が広がる。
(……なんだったんだろう……あれ……)
紡は自分でも気づかないまま、
“縁の震え”を完全に失っていた。
紡が笑顔を見せると、
グウェンは一瞬だけ目を細めた。
だが、紡には気づかれないように、
いつもの優しい笑みを浮かべる。
「無理はしないでね、アマノ君」
「はい」
紡は素直に頷いた。
その瞳の奥に潜む赤い濁りは、
紡にはもう見えなかった。
閲覧いただきありがとうございます。
不穏な雰囲気で終わってますが、
次回以降は日常パートを書いていく予定です。
よろしければまた覗いていってください
~~~追記~~~
色々あって、最新話が間に合いそうにない、というのと
ちょっとここらで整理をしたいので、
明日の投稿はお休みさせていただきます。




