Day.2 ろくでもない事の始まり1
―――それはいつも通りの夕暮れ時、些細な自制心の欠如から起こった。
忙しい時間も終えた俺は、息抜きも兼ねて店の前の路上を箒で掃いていた。
綺麗な茜色に染まる秋口の高い空には小さな雲が点々と浮いていて、それが快晴よりも晴れていると感じてしまうのは情緒だろうかと、珍しく穏やかな気持ちで自然を満喫してみる。
少しだけ肌寒い風が木野塚商店街を吹き抜けていって、道行く人達はそっと上着の前を閉め始めていた。
個人的には過ごしやすい季節になってくれたなとか、僅かばかりの安穏を感じてみる。
この心地よさも、忙しく働けているからこそだ。
お陰さまで常連客も増えてきて、収支の方も安定して少しだが黒字を刻んでいる。
個人の貯金とは別に店の貯金があるのでは、設備を充足させたり模様替えなんかも考えられるから、やはり目標が見えてやる気が違う。
忙しない日々に感謝をしつつ、エスプレッソマシンをそろそろ買い替えようかと考えていた時。
ドカンッ!ガシャバリバリバリバリーン!!……プチッ!
背後の店内で鳴り響いた聞きたくもないクソバカオーケストラの演奏に、俺のテンションは一気にレッドゾーンに突入した。
因みに最後の音は俺の額の血管がブチキレた音だとご理解いただきたい。
シンバルを床に叩きつける方がまだマシな音だろうと思える大音量に驚いた通行人が、何事かと視線を店に向けて固まった。
あぁ解ってる、その理由は俺にあることくらい。
だって自分でも判るくらいには、最高にマッドなスマイルを浮かべているだろうから、なんつーかこう気が狂う寸前みたいな。
とりあえず箒を入り口脇にそれっぽく立て掛けて、少しだけ深呼吸。
すぅ~、はぁ~………よしっ、ブチ殺そう♪
コンビニで飲み物を選ぶような気軽さでそう決めると、俺は意気揚々と店の扉を開く。
カラカラと扉に付いた来客を知らせるベルが鳴り、珈琲の香ばしい匂いが満ちる店内へ入ると、そこは夢にも見たくない惨状が広がっていた。
店内にお客が一人もいない。
……いや、それは判ってて掃除に出たんだから問題ないな、重ねて言うようだが黒字なんだ、この時間はアイドルタイムだからな。
見える範囲に従業員が一人もいない。
……まぁ暫らくは自由にしていいぞって号令かけたからな、めいめい休憩をしていても問題ない、こんな俺でもたまには菩薩になってみたいもんだ。
カウンター内側の食器棚が歪になって倒壊し、中に並んでいた食器類(最近オーダーメイドで作ってもらったFratresの名前入りマグカップ等)が根こそぎ床に落ちて粉々になっている。
………えへへ、人間狩り(マンハント)なんて久し振りだからワクワクするなぁ、上手く殺れなかったらどうしよう。
おっと俺としたことが何事もクールにこなさないとな、感情に流されるのはナンセンスだ。
そうさ、まずは一服して落ち着いて、それから獅子が子を崖から突き落とすようなスタンスで叱りに行こう、首を落とすくらいは指導の範囲だろうから。
煙草に火を点けながら一旦店の外に出ると、こんな時のために用意しておいた「緊急閉店 只今教育的指導中」の看板を扉に掛けて、間違っても誰かが入ってきてトラウマを抱えないように内側から鍵をかけた。
生のスプラッタシーンは心臓に悪いからな、小峰のジジイ以外が見たら大変だ、従業員の一人や二人失うのはわけないが、常連客は一人として失いたくない。
紫煙を吐き出しながら、無意識に握っていた八つ首大蛇の腹から出でし刀を見て、今日はどんな悲鳴を産み出せるかと夢想する。
さて、奴らも最初から諦めて開き直ってるみたいだし、人生最後の煙草を楽しみながら辞世の句を考えていることだろう。
砕け散ったマグカップを踏み砕きながら厨房に入っていき、裏口にある喫煙スペースを目指し歩いていく。
薄い扉の向こうからは雑談に花を咲かせる弟たちの笑い声が聞こえてきて、束の間の賑やかさに混ぜてもらおうとゆっくりと扉を開けた。
「やぁお兄さん、遅かったね、待ちくたびれたよ。」
「あぁすまないな、ちょっと現実を受け入れるのに手間取ってしまった。」
「ヘイヘイ兄さん、今のウチらより辛く悲しい現実なんてそうそうないよ?悲劇のヒーロー気取るのもいいけどさ、兄さんは悪魔で狩る側なんだから、そこを間違えちゃダメでしょ?」
「そうだな、悪かった。」
「兄さん、俺は例に漏れず無関係だからね。」
「うん、危ないと解ってても無視したんだよな。怪我したくなければフロアに戻ってろ。」
俺の言葉に頷いたヒロトは、マイペースに煙草を吸い殻入れに放り込むと、静かにその場を後にした。
残された容疑者二人は、そんなヒロトを冷や汗だらだら流しながら見送ると、俺の持つ刀に視線を向ける。
「お兄さん、廃刀令が出されて随分経つというのに堂々と帯刀するのは如何なものかと。」
「こんな刀で人は斬れぬでござるよ。」
「いやいや斬れっから!お兄さんならバッサリと融け始めたバターみたいに斬れっから!」
「俺は人は斬らないから、つまり貴様らは斬れるよな。」
「なるほど、化け物討伐にはもってこいの業物だね兄さん。よかったー、ウチは安全じゃないか。」
「流石にその冗談は度が過ぎるだろ、世界中の人間に地面に頭擦り付けて謝罪しろ。」
「何故そこまで!?」
「化け物が人様と同じ世界で呼吸してるだけでも大罪だってのに、あまつさえ僕は人間だよみてえな態度とかどんだけ罪深いんだよ。慈悲深い聖母マリアだって流石にキレるぞ?」
「そうだなホカゾノ、あまりのふてぶてしさに憎悪さえ抱いたよ。身体に十字架の斬り込み入れてお前の断末魔を奉納しないと、マリア様に頼まれたイエスがミカエルとか呼んで断罪されるよ?」
「あっはっは、それくらいで済むならまだ生き残れそうじゃないか。だって目の前にミカエルすら糞尿垂れ流しながらガタガタ震えて逃げ出しそうな悪魔がいるんだぜ?それと比べたらミカエルなんてまさに天使そのものじゃないか。」
「あははは、まったくだな。あははは!」
ホカゾノとキヨシが揃って大笑いして、すくっと立ち上がり敬礼する。
「そんじゃお兄さんはゆっくり休憩を楽しんでくれ、俺たちはしっかり店を回すからさ。」
「ウチらの集客力をとくとごろうじよ、って感じだからね。」
そう言って爽やかにサムズアップしてみせた二人は、扉の前に立つ俺の脇を抜けようとする。
「………なぁ、ちょっと訊いてもいいか?」
俺の声に、ドアノブにかけたホカゾノの手が止まる。
俺は満面の笑みを浮かべると、草薙の剣の腹で二人の首筋をペチペチと叩く。
「俺が外の掃除をしてる間によぉ、結構なオーケストラがフロアで演奏してたみたいなんだが、テメェら知らねぇか?」
「さ…さぁ、どうだったかな……。ホカゾノは知ってるか?」
「いやぁウチもわからないかな、あはは。…因みに兄さん、そのオーケストラの人見つけたらどうするの?」
「そりゃテメェ、是非ともお礼をしねぇといけねぇだろ。頼んでもいねぇのに素敵なフィナーレ奏でてくれたんだ、黙って帰られちゃマズイだろ?」
「そ、そうかなぁ。ほらオーケストラの人も忙しい中演奏してくれたわけだしさ、きっと次の会場に向かったんだよ!」
「そうだよ兄さん、忙しい人捕まえて無理言っちゃいけない。」
「そっか…まぁ仕方ねぇな。いやぁせっかくだからウチのロゴが入ったマグカップで、俺ができる最大級のおもてなしをしようと思ったんだが、そっかそっか……あはははは。」
俺が嗤うと、キヨシは引きつった笑みでホカゾノの肩を叩いた。
「やっぱお兄さんの優しさや思いやりは素晴らしいな!ホカゾノも見習わねぇとダメだぜ?」
「そうだなキヨシ、ウチもおもてなしの心で頑張るさ。まずは店内の掃除をして、お客を迎え入れる準備をしないと。それじゃ兄さん、お先に!」
しゅたっと手を挙げたホカゾノがドアノブを回すと、それは音を立てて地面に転がった。
俺は無言で振り下ろした刀を鞘に納めると、変わらぬ笑顔で問い掛ける。
「なぁホカゾノくん、その掃除のことなんだが。」
「………何かな兄さん?」
「さっきここに来る途中でな、何故だか判らないが食器棚が一つ大惨事を引き起こしてたんだが、理由、訊いてもいいか?」
「………あはは、何言ってるのさ兄さん。ウチが知るわけないじゃないか。」
「あぁそっか、知らなかったか。じゃあさ、弟くんは知らないかな?」
俺はホカゾノの影に隠れるようにしていたキヨシのそばに寄ると、その肩にそっと手を乗せる。
「あれ弟くん、どうしてそんなに震えているの?」
「ちょ…ちょっと寒くってさ、ははは。」
「まぁ秋の風は冷たいからね、風邪を引かないように注意しろよ?…それで、弟くんは何か知らない?」
「……知らないよ?」
「そうか知らないか、あはははは。………しらばっくれんなよクソ餓鬼ども。」
『ひぃっ!?』
「優しくしてる内に吐けば良いものを、だらだらと誤魔化しやがって。灰塵よりも細かく斬り刻まれる覚悟はできてんだろうなぁ、あぁ!?」
俺は迷いなどなく、流星の如く一閃する。
紙一重で難を逃れた二人は、即座に裏口の扉を蹴り破り、脱兎の如く逃げ出した。
その鮮やかさといったら、まるで初めから念入りに練られた作戦だったみたいで、まんまと取り逃がした自分に腹が立つ。
「今回ばかりは死ぬまで何度でも殺してやんぞごくつぶし共がー!!」
「畜生!そもそもテメェのせいだぞホカゾノ!フライパンお手玉とかふざけたことすっから!」
「キヨシが投げ損なったから上手く取れずに食器棚壊したんだろ!悪いのはウチじゃない!」
「ごたく抜かしてねぇで遺言でも叫ぶんだなカス共が!何一つ叶うことはないと絶望しながら挽肉になれ!およそ考えうる最高の激痛をくれてやる!」
あぁわかってる、既に俺の寛大な自制心は完全崩壊していることくらい。
二人が逃げて、俺が攻撃しながら追い掛ける。
それだけでもうマグカップや食器棚の損害以上に、調理器具はスライスされ、食器は粉々になっているのだから。
それすら目もくれずに暴れているのだから、もはや誰が悪いとかそんな規模ではない、しいて言うなら三人とも悪い。
でもそれも仕方がない、あのマグカップはカップの補充ついでに趣向を凝らしたものだが、俺は一人ワクワクし、完成したものが棚に並んだときはちょっと小踊りしそうになったんだ。
それを僅か一日ともたず完膚なきまでに破壊され、しかもただの一度として使われなかったなんて、そんなの嘘だろ。
だからあいつらの背中にFratresの文字を刻み付けて、マグカップと同じ末路を辿らせてやる、血の雨降らせてマグカップの弔い合戦だ。
「斬り裂き、嬲り、引きちぎり、挽き潰し、殺してやる!マグカップを返せー!」
「死ぬ!それはどれをされても死ぬ!」
「マグカップはそこまで凄惨な末路は辿ってないよ兄さん!?」
「なーにテメェらはマグカップと同じで済むと思っていやがんだよ、それじゃあマグカップに対する罪だけで終わっちまうだろうが!俺に対する償いが足りねぇんだよボケがぁ!」
「ふっ、終わったな。」
「キヨシ!?冷静にカッコつけながら諦めんな!?」
「望みどおりにしてやらぁ!魂ごと消し飛ばしてやる!氷塊よ、我が魔力を食い散らかしてでも、逃げ回るバカ共を絶対零度の牢獄へ叩き込め!」
フロアの床から立ち上がった分厚い魔力を帯びた氷が、二人を包むように一瞬で空間を埋め尽くす。
必死の奴らには足止め程度にしかならぬとも、僅かにでも動きを止められたなら十分だ。
俺は出来上がった氷の牢獄の上に飛び乗ると、眼下で慌てふためく二人を見下ろした。
「よぉカス共が、ちったぁ頭も冷えたかよ。」
「クソッ、お兄さんがお姉さんでスカート履いてたら抜群の位置取りだってのに!クソッ!」
「全力で悔しがるとこ違くない!?………いやしかし、もし兄さんがお姉さんだったら、こんなやり取りで新たな世界に踏み出すきっかけになりそうな…。」
「お兄さんが女だったらかなりスタイル抜群の巨乳になりそうだ、もしそうなら家族であれ我が迸るパトスを抑えきれん。」
「呼び方も姉さんになるわけか………ふむ…ほほぅ。」
「テメェら、随分と余裕だな。何か抜け出す秘策でもあんのかよ?」
そう言うと二人は顔を見合わせて笑いだす。
「あーっはっはっは。そんなものはないさお兄さん!」
「ウチらは度重なる死線を越え続け悟りを得たのさ。諦めの境地ってやつをね!」
「諦めとは凄いよお兄さん。この世のあらゆる理不尽や不条理さえも、あぁうんって気持ちにしてくれる!」
「ふふふ、さぁ兄さん!僕らの屍を越えてゆけ!」
「上等だクソガキども、あの世で閻魔のカスによろしく言っとけやぁ!」
それからのことは、正直覚えていない。
二人の態度に反省の色は欠片もなかったし、光の速さでブチ殺してやろうとしか考えてなかったから。
適当な武装を三十ほど喚びだして、完膚なきまでに破壊するためにそれらを叩き込んだのだ。
記憶が飛ぶ最後の瞬間、俺の目の前が真っ白になって呆然と立ち尽くすとき見た光景だけは、きっとこれからの人生の中で忘れることのない言葉を俺の心に刻みこむことになる。
曰く、ゴミを処理するなら店ではない広い土地でだ。
まぁ端的に事実を述べるとすれば、原稿用紙一行で足りるだろう。
―――俺の職場兼自宅は、粉々に吹き飛んだ。




