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この世界に来てから、未だに試していないことがある。それは、「スキル」というものだ。
ゲームではありがちな、魔法や超常的な技能、必殺技など。
ゲーム内で使っていたそれらは、きちんとこの世界にも存在している。といっても、自分の頭のなかに、だが。
例えるなら、頭のなかにスキルの一覧が載った本がある。そんな感じだろうか。
それを読むことでスキルを発動できる、ということも、なぜだかはわからないがなんとなく理解していた。
だが、考えてみてほしい。そのスキルを発動するだけで、使ったこともない妙な技が使えるというこの状況。それは、軽い恐怖とも言えるのではないだろうか。通常ならば、そういった技能を使うためには、たくさんの時間と鍛錬が必要になるだろう。汗を流し、血を流し、時に涙すら流しながらだ。
だが、スキルというものが存在する以上、その過程は全て省略される。
発動すると、どうなるのか。その存在に気づいた時、その時にすぐ試してみればよかったのだが、ちょっとした臆病風に吹かれて後回しにしていたのだ。
「くそ、数が多い!」
そのことを、今になって後悔していた。
町の外に闊歩するコブリンとは一風違った小さな赤いゴブリンたちが、我先にと町の外壁を上り、水路を通り、時には壁に穴を開け、次々と町の中へと入ってくる。
ハンマーを大きく振りかぶる。全身の筋肉がミシリと軋みを上げる。
「ふっ!」
気合一閃、足元から肩、腕に至るまでの道のりを意識し、豪風のように目の前をなぎ払う。
ぎゃあ、と断末魔を上げながら、三匹のゴブリンが血煙と化した。
敵のレベル的には、大したことはない。だが、その数だけはどうしようもなかった。町の警備たちが対処にあたっているが、それもいつまで続くかどうか。既に外壁には風穴を穿たれ、閉じた門すら今にもこじ開けられそうになっている。
たったの三匹倒したくらいでは、焼け石に水もいいところだ。
本来ならば、このイベントは多くのプレイヤーたちが集まり協力して成し遂げるものであって、警備たちと自分、たったの十人程度では全くといっていいほど数が足りていない。
「おい豚野郎! そっち行ったぞ!」
カルムといったか、革製の鎧に身を包んだ正義感の強そうな青年が叫ぶ。
ギーギーと耳障りな鳴き声を出して走るゴブリンたちに向けて、もう一度大きくハンマーを振るう。
「ち、一匹逃した……!」
「は!」
足元を走り抜けたゴブリンを、キリエが両手に構えた二本の剣で切り裂いていく。
「町の者達の避難は終わったぞ!」
近くの森まで街の人間を避難させていたキリエの声に、魔物との戦いで憔悴気味だった面々の表情に生気が戻る。
「全員、撤退準備! 殿は私が担当する!」
だが、次のキリエの言葉に、一度は活気のついた表情に苦いものが混じる。
この状況からの撤退。それは、町を放棄することを意味していた。生まれ、育ち、慣れ親しんだ町を捨てること。それは、長くここにいた人間にこそ難しいものだろう。警備の人間の中にも、そういった人はいるはずだ。
それでも、警備たちの反応は素早かった。キリエの言葉が響いた瞬間、戦っていた者達は魔物との距離を離し、牽制に二度三度剣を振るっては踵を返す。
とても辛いはずのその決断を、頭に、体に染み込ませた動きが後押しする。
考えるよりも、命令に従うことを優先させる。そんな、組織に属する者の壮絶な決意がそこに現れていた。
「ショーマ、君も早く――」
「いや、俺も残るよ」
ショーマも、考えるより早く、そう答えていた。
「……いいのかい?」
「何、俺はもともと足も遅いからな。先に行ってもみんなの邪魔になるだけだ」
それに、ショーマのレベルはここに残った人間の中でも、もっとも高いのではないだろうかと予想がついていた。なればこそ、ショーマは自分がここに残るべきだと思う。
「分かった」
キリエの凛とした瞳が、ショーマを貫く。それは内に秘めたものすら全てを見通すように、ショーマの心に突き刺さった。
――犠牲になるつもりじゃないだろうね。
瞳がそう言っていた。
大丈夫だ、そういう意味を込めてショーマは一度微笑むと、迫る魔物たちに視線を移す。
警備たちが撤退を始めたことで、邪魔者がいなくなったとばかりに魔物たちが町の門を一気に破壊し始めていた。ガンガンと大きな音を立て、木製の門に亀裂が入っていく。
大型の魔物が町に入ってくるのも、時間の問題だろう。
数匹の魔物が、ショーマへと襲い来る。
先ほどの赤いゴブリンに、巨大な甲虫、宙をひらひらと舞う巨大な蛾。
迫り来るそれらに、ショーマは片手に担いだハンマーで応戦していく。
なぎ払い、叩き潰し、時には素手でもって宙に浮いた魔物を引きずり下ろす。
命を奪うことへの抵抗がなくなったわけではない。だが、それ以上に大切だと思えるものが、ショーマの体を動かしていた。
そうか。ショーマは思う。
この気持が、魔物と戦うことの意味なのだ。
何かを守るため、何かを手に入れるため。ただ無為に命を奪うわけではない。意味のある何かのために。
「ショーマ! 撤退だ!」
キリエが叫ぶ。同時に、ショーマは後ろに跳んでいた。相手が急に引いたことに驚き、ゴブリンが足をもつれさせて倒れこんだ。
「足の早い魔物だけを相手にしつつ、全力で森まで走るんだ!」
「了解!」
応え、走りだす。
相変わらず、ドスンドスンと体中の肉が波打って音を立てる。キリエが後ろを振り返りながら走る横で、ショーマは息を切らし何とか足を進める。
「――ん?」
そのとき、ショーマの鼻が何かを嗅いだ。
「おい、どうした!」
急に足の鈍ったショーマに向けて、キリエが怪訝そうに尋ねる。
「いや、何か……臭いが……」
それは、どこかで嗅いだことのある匂いだった。
どこか懐かしいような、優しい匂いだった。
最近、どこかで嗅いだことのある匂いだった。
ショーマの全身に、ぶわりと嫌な汗が浮かぶ。
これは、この匂いは――
「サナエちゃん……っ?」
ショーマは足を止め、振り返る。既に中型の魔物までもが町に侵入し、そこかしこで破壊活動を広げているのだろう、町のあちこちから黒い煙が上がっていた。
「ショーマ、どうしたっ?」
「サナエちゃんだ」
「サナエ? サナエがどうかしたのか」
もう一度、今度は意識して鼻を動かしてみる。
ふんふんふんと、周囲に充満した様々な匂いを嗅ぎ分け、その奥にあるものを見極めていく。
――いる。
「サナエちゃんが、まだ町の中にいる」
「なんだとっ? いや、避難した中にちゃんといたはずだ。この目でしっかりと確認したのだからな!」
「なら、戻ってきたんだ」
「そんな馬鹿な!」
ショーマは自分でも、何を言っているのか分からなかった。常識で考えて、こんな魔物の蔓延る町の中に戻ってくる人間がいるとは思えない。
だが、彼の鼻は。オークという種族の本能は。その常識こそが間違いなのだと告げていた。
「先に行っててくれ」
ショーマはキリエにそう言い残すと、制止をかけるキリエを振りきって、町の中心へと駆け出した。




