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まず、やるべきことはなんだろう。
最終的な目標は、元の世界に戻ること。元の姿に戻ること。
だがそこには、目に見えない大きな壁があるように思える。なにせ、どうしたら良いのか全く検討がつかないのだ。何が原因なのか、むしろ、はっりきと原因と呼べるものがあるのかどうか。それすら分からないのでは、動きようがない。
となれば、まず目の前の目標として何をするべきか。
ショーマは、宿屋の自分の部屋で、姿見を見下ろした。
「……ぶよんぶよんだな」
大きく出っ張った腹。それは、もともと体育会系の道に身を置いていたショーマにとって、とても醜いものに思えていた。
そもそもにして、あまりに溜まった脂肪のせいで装備が着られないというのはどういうことだろうか。
ゲームの中ならば、どんな生活をしようが装備ができないなんてことはなかった。あったのはレベル制限くらいのものだ。
だが、ここは曲がりなりにも現実。認めたくはないが、そんなこともあるのだろう。
なればこそ、まずするべきことは何なのか。
「――ダイエットだ」
少なくとも、倉庫の中にしまってあるユニーク装備の胸当てが着けられるくらいには、体重を落としたいところだ。
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ドスンドスンと、一歩ごとに全身の肉が飛び跳ねる。ダイエットの第一段階として街の外周を走っていたショーマを待っていたのは、予想以上の脂肪の厚さだった。
ヒイヒイと息を切らし、街の外壁に身を預けて休憩しているのが、およそ街の外周を四分の一走ったところだった。距離にして一キロといったところだろうか。
元の体であったなら、この十倍は走ることができたというのに。
「体力がないのは、致命的だな」
亜人なだけあって、腕力や脚力などの基本的な筋力は元の体を大きく超えている。なにせ、元の体では引きずることさえできたかどうかという巨大なハンマーを、片手で振り回すことができるのだ。その辺りは、さすがといったところか。
だが、とにかくスタミナがない。何度か街の外でハンマーを振ってみたのだが、五分も動けば全身からありえないほどの汗が噴き出してくる。これでは、元の世界に戻るために世界を回る、なんてことも夢のまた夢だ。
だからこその、ランニング。基礎体力の向上が第一目標だといえるだろう。
その副産物としての、ダイエット。
そして、体を動かすことによって、元の体とは全く違ったこの体を動かす感覚を手に入れるという目的もある。
先日の事件では、剣を避けるだけで精一杯だった。だが、これから魔物と戦っていくとして、そんな事じゃあ先が思いやられてしまう。
「なんにしても、まず胸当てを着れるくらいじゃないとな」
大きく息をつき、立ち上がる。
今日だけで少なくとも、街の半周は走らなければ。
∇
「あ、あの……!」
そうして一時間はかけて街の半周を走りきったところで、ショーマに声をかける小さな影があった。
「君は……サナエちゃんだったっけ?」
「は、はい」
それは、先日の事件で知り合った、小さな、十歳前後の女の子だった。その子が、少しだけ怯えたような表情で立っている。
「どうかしたの?」
怖がられないように、自分から少し距離を離して、ショーマは出来る限り穏やかにサナエに話しかけた。
「あ、あの、ですね」
サナエはもじもじと、両手を後ろに回して、おずおずとショーマに近づいてくる。
「こ、これを」
そうしてショーマの目の前まで来ると、サナエは後ろ手に持っていた包みを、ショーマに差し出した。
「うん? 俺に?」
「は、はい。その、迷惑、かけましたから」
どうぞ、そう言ってサナエは精一杯に手を伸ばしてショーマに包みを渡そうとする。
ショーマは少し戸惑ったが、サナエの頑張りに答えるように、そっと包みを手にとった。
「ありがとう。あ、俺はもう、この間のことは気にしてないから。サナエちゃんも、あんまり気にしなくていいからね」
はい、と消え入りそうな声でサナエは答えると、とてとてと走り去っていった。
ショーマはその姿に、自分に妹がいれば、あんな感じなのかなと微笑ましい気持ちになった。
「さて、なんだろうな」
そうして手に持った包みを開いてみると、そこにはおにぎりのような物が三つ包まれていた。実際におにぎり、という名前のものがこの世界にあるかは分からないが、どうやら穀物を丸く握ったものだということは分かる。
サナエが自分で作ったものなのだろうか。少し形が歪な気がする。
ショーマは小さく微笑むと、その一つを口に入れた。とても小さく、今のショーマならば一口で食べきれるものではあったが、それは、ショーマの心に空いた大きな穴を、少しだけ埋めてくれたような気がした。




