16
抜けるような青い空に、地平線まで広がる緑の大地。日本にいては見ることも叶わなかったろう圧倒的な大草原を、ショーマとキリエは歩いていた。
「君、やっぱり少し痩せたほうがいいね」
ショーマの数歩先で立ち止まったキリエが振り返り、呆れた声を上げる。
「ちょ、ちょっと休憩を……」
「はあ、さっきから何度目だと思ってるんだい。全く、そんなことでよく冒険者なんてやってたね」
いい返す言葉もない。額から滝のような汗を流し、息を切らしながらショーマは膝に手をついた。映画で見るような、鉄球付きの足枷が足首に括られているんじゃないかと本気で疑ったが、足がとんでもなく重いのは、ただの疲労のせいだった。
まだ、あの街から出て半日と経っていない。さすがにもう後ろを向いても街の姿を拝む事はできない距離まで来たが、それでもこのペースで行って、一体いつになったら目的地につけるのか。考えるだけで、気が遠くなる。
「よ、よし、もう大丈夫。行こう」
「……そんな死にそうな顔をして、よくそんな言葉が吐けるね」
情けなさすぎて、涙が出そうだ。これでは、ショーマにキリエがついていっているのか、キリエにショーマがついていっているのか分かったものではない。
「まあ、もうお昼だ。次の木陰で、腹ごしらえでもしよう」
ショーマは、キリエに後光を見た。
∇
ショーマは、バリバリと大根やカブに似た薄い黄色の根菜をかじる。味は淡白。大根のように辛味はなく、むしろ少し甘みのある、なんだか懐かしい気分になれる味だ。
ショーマの食の好みは、この世界に来てから大きく変わっていた。肉好きから、野菜、果物好きへと、180度の方向転換だ。大好きだった肉が、今はもう、少ししか食べられない。あまり食べ過ぎると、酷い胸焼けに陥ってしまう。豚は、自分から獲物を狩って肉を貪る動物ではない。きっと、そういうことだろう。
「このペースだと、三日ってところかな」
干し肉をかじりながら、キリエは呆れながら笑った。キリエのショーマを見る目は、まるで出来の悪い子どもを相手にする母親のようだ。ショーマは、いたたまれずキリエから視線をそらす。
「ところで、なんでオルミルに行きたいんだい?」
そんなショーマを見かねたのか、キリエが率先して話題を作る。
オルミルとは、ショーマ達の目指すここから一番近くにある大都市と呼べる街らしい。その規模は、人口が一万人を越えるほどだとか。
気を遣われている。そんな彼女の優しさが、今のショーマには刺のように刺さった。
とはいえ無視するわけにも行かず、ショーマは重い口を開く。
「この間、卵を拾っただろう? それを、ペット屋に持って行こうと思ってね」
「ペット屋……そんなものあったかな」
「え」
ないの? とショーマはきょとんとした顔で聞き返した。寝耳に水である。大都市ならばあるだろうと高をくくって決めた目的地だ。もしペット屋がないとしたら、初っ端から計画が狂ってしまう。
「いや、私がオルミルにいたのは五年前だからね。それからできたのかもしれない。もしなかったとしても、誰かに聞けばいいんじゃないかい? 大都市なんだ、知っている人もいるだろう」
キリエのフォローも虚しく響く。
「まあ……ペット屋だけが目的ってわけじゃないからね」
「そうなのかい?」
ショーマの言葉に、キリエが興味深そうに聞き返す。が、ショーマは誤魔化すように苦笑いを浮かべるだけだ。答えられない。
それもそのはず。ショーマが別の世界からここへ来た、なんて話を、ショーマは誰かに話すつもりはなかった。話してしまえば、楽になるかもしれない。だが、そんな荒唐無稽な話をして、頭のおかしいやつだなんて思われたくなかった。
キリエが、そんな簡単に人の頭を疑うような人間だと思っているわけではない。ただ、どうしても悲観的考えてしまう。
実際、ペット屋というのは主目的ではない。
本来の目的は、元の世界への帰り道の模索。自分の他にこの世界へ来た人間の探索。前者も後者も、本当に存在するのか分からないが、ある可能性を信じて歩くしかなかった。
「その、大都市なら、この体に合う防具もあるかもしれないしね」
ショーマは笑いながら、大きく出っ張った腹の肉を叩いた。ぽん、ととてもいい音が鳴る。
ショーマの上半身は、未だに裸だった。ダイエットの成果が出ていない、というわけではない。ただ、追いつかなかった。なんとか、もうワンサイズ減らすことが出来ればと、ショーマも何度歯痒い思いをしたものか。
まあ、慣れてしまえば、裸も問題はなくなる。そもそも、オークという種族は、基本的に上半身に布をまとう習慣がないらしい、以前キリエからそういう意味に取れる言葉を聞いていた。そういったところも、オークを野蛮だという意見に繋がっているらしいのだが。
「ところで、その大荷物の中には何が入っているんだい? 防具がないって言う割には、色んな物が入っているようだけど」
「ん、まあ、コレクションみたいなものかな」
見る? とショーマが聞けば、キリエは即座にうん、と頷いた。キリエも戦士なのだ。武具に興味があるのかもしれない。
ショーマが、三つの袋のうち、一番大きな袋をキリエに渡す。キリエはそれを受け取って持ち上げようとするが、彼女が力んでも袋は全く持ち上がらなかった。袋には軽量化の魔法がかかっているとはいえ、ショーマの力ですらかなり重く感じるのだから、人間の女性には、少し荷が重すぎるだろう。
キリエは持ちあげるのを諦め、袋の口から中を覗きこんだ。
「本当に色々入ってるね。君には、装備できないものばかりみたいだけど」
「珍しそうなものは、だいたい取ってあるからね」
「……確かに、これだけあれば、一生遊んで暮らせそうだ。以前の戦いから、君の実力が相当なものだとは思っていたけど、私の想像以上なのかもしれないな」
その言葉に、ショーマは乾いた笑いと曖昧な返事を返した。
ショーマにしてみれば、キリエの言葉は的を外したものだ。
この世界で優秀な冒険者だったのは、過去の話。ゲームとして、この世界を楽しんでいた頃の話だ。今のショーマではない。だから、ゲームの世界で手に入れた物品を評価され、褒められたとしても全くピンとこないし、曖昧に頷くしかない。
「――そうだ」
そこで、ショーマは思いついた。全く価値の無いこの装備たちを、どうすれば活かすことが出来るのか。どうすれば、誰かの役に立てることが出来るのか。
簡単な話だった。
「何か欲しいものがあれば、なんでもあげるよ」
もう既に、サナエに対して行ったことだった。
こうして、誰かに貰ってもらうことで喜んでもらえれば。その装備を活かして、窮地を脱する手助けになれば。
ショーマの言葉を聞いたキリエは、ポカンとしてショーマを見つめた。
「いやいやいや、こんないいものもらえるわけないじゃないか!」
珍しく虚を突かれた様子で、キリエが手を胸の前で振った。
その姿は普段の彼女の大人びた雰囲気からすると考えられない様子で。ショーマは、その姿こそが、普段隠した彼女の本来の姿なのかなと微笑ましく思った。
「まあまあ、俺が持ってても仕方ないし。仕舞いこんで使わないのも、もったいないでしょ」
とはいえ、ショーマの持っている武具の中で、彼女が使えるものは何があったか。ショーマはキリエから袋を受け取り、中を覗いてみる。
精緻な紋様の彫られた大剣、輝く金属製のメイス、ドラゴンの炎すら防ぐ分厚い金属の鎧、魔法スキル全般を習熟させるツバの広い帽子、着用者を地面から数ミリ浮かせる革靴、その他アクセサリー類などなど。思ったよりも、彼女に合う装備は少ない。アクセサリーならばいくつかあるが……
「よし、ここは――」
ショーマの瞳が、ニヤリと邪に輝く。
「こんなのどう?」
ショーマは袋の中から、一つの布を取り出す。鮮やかな赤と白のコントラストが陽光に眩しい。
「それは、服……なのかな?」
「そう、その……俺の故郷の民族衣装みたいなもので、神に仕える女性の着る装束なんだよ」
それこそは、巫女服。正月に実装されたイベントで手に入る、女性キャラに人気の一品だ。その防御効果は、布製であるにもかかわらず下手な金属の鎧よりも凄まじく、後衛職からスピード重視の軽戦士まで、様々な層に引っ張りだこの優秀な装備である。
ショーマが手渡した巫女服を、キリエがおっかなびっくり受け取る。キリエが服に触れた途端、一瞬だけ、布がじんわりと温かい光を発した。
「これは、かなり強い魔法がかかっているんだね」
「分かるの?」
「ああ、なんとなくだけど。この服が、かなり強い魔法装備だってことは分かるよ。神に仕える女性のが着るものってのも、納得だね」
キリエがゆっくりと、神妙な様子で布の表面を撫でる。
「じゃあ、それはもうキリエさんのものってことで」
「本当にいいのかい?」
「いいのいいの。キリエさんの手にあったほうが、そいつも嬉しいでしょ」
ビキニアーマーが見られなくなるのは少し残念だが、見えるよりも素晴らしい見えないというものもある。
ありがとう、とキリエは言うと、ビキニアーマーの上から、巫女服を着込んでいった。
ああ、その鎧は下着代わりにもなるのかと、ショーマは納得した。
「似合うかな」
最後に腰の紐を強く結ぶと、キリエは両腕を広げた。正直、褐色の肌に巫女服が似合うのかどうかという一抹の不安はあったが、それは、ショーマの思い過ごしだった。
純白の白衣に褐色の肌が際立ち、思った以上の相乗効果だ。似合う。似合いすぎている。ショーマは、キリエに巫女服を渡したことが正解だったと、心のなかでガッツポーズを決めた。
「うん、似合う似合う」
「そうか、良かった。こんな服は着たことがないからね、着方はあってるかい?」
「いや、ごめん。俺もそんな詳しい訳じゃないんだ。まあ、見た感じおかしくはないから、大丈夫じゃないかな」
ショーマが言えば、キリエは少し照れたように笑った。
「よし、それじゃあ出発しようか!」
「え、もう?」
「もう十分休んだだろう。これ以上日程を遅らせてもいいのかい?」
キリエの楽しそうな表情に、ショーマは、多少遅れてもいいとは言えず、重い腰を持ち上げるしかなかった。
そうして、二人は大都市オルミルへの道を歩いて行く。
ショーマは最後まで、巫女服の下には下着を着ないのが正式なんだよ、とキリエに教えることはできなかった。




