7.妹が世界を救ってから(7)
「俺や、母さんよりもか!」
「そうよ」芽衣子は即答した。
「外の物置の奥底だ! ソレを持って、どこにでもいっちまえ!」
「いわれなくても」
芽衣子は火球を消して、何かつぶやいた。直後、目の前に段ボールが現れた。
「なっ!?」陽介は驚きの声をあげる。
「空間系の魔法よ」
芽衣子がいうと、段ボールは足元に落ち、ドスンと響いた。その重量感と薄汚れた様から、一円玉が入っていた段ボールだと、すぐにわかった。
芽衣子は段ボールの中を確認し、「うん、充分」と満足そうに頷く。
これも、魔法なのだろう。芽衣子は触れもせずに段ボールを胸元に浮かせて、それと共にリビングを出た。
陽介は追いかけることなく、その場にあぐらをかいて座り、タバコに火をつける。がさごそと、芽衣子が靴を履いている気配があり、やがて玄関扉が開く音。
「お兄ちゃん」
芽衣子の声がしたが、陽介は応じることなくタバコをふかした。
さようなら、そう芽衣子が残して、玄関扉が閉まった。
半分も吸っていないが、灰皿にタバコを押し込んで、陽介は煙まじりに息を吐く。
芽衣子はいなくなった。これでよかったのか? いや、よくはないのだろうが、どうすることもできない。結局、芽衣子を止めるすべなどなかったのだ。
行くな、と腕をつかんで抵抗しても、母のように眠らされるだけだ。一円玉のありかを白状しなかったとしても、時間稼ぎにしかならない。そもそも、隠しているわけでもないのだから、本気で探せばみつかる。もっといえば、探す必要すらなく、銀行で両替すればいいだけなのだ。
それでも、こんな別れは本意ではなかった……。
陽介はダイニングキッチンにいき、サイドボードから封の空いていないブランデーを取りだした。深い緑の瓶に黄金のラベルが貼り付けてある。陽介が未成年の頃からある父の酒だ。そこそこ値がはるはずだが、父は酒を呑まないので、飾りとしてずっと置かれていたブランデーだ。
封を開け、ラッパ飲みで、三口ごくりと呑み込んだ。喉を焼く痛みがあって、胃の中に鉛でも落とされたかのように、ずしんと響く。普段呑むビールとは違い、すぐに身体が熱くなった。
さらに一口やってから、つぶやく。
「どうして、最後まで行くなといってやれなかったんだろう……」
陽介は早くも後悔していた。喧嘩別れではなく、たとえ眠らされる結果になろうとも、「行くな!」と最後まで抵抗してやるべきだった。
芽衣子はこれからも、別世界で重い使命を背負い、生きていくことになるのだろう。辛いときや、苦しいときもあるだろう。そんなとき、元の世界には、誰よりも芽衣子を愛している母と兄がいることを思いだせば、少しは心がやすらぐはずだ。だが今は、安らぎを与える思い出の中から、兄の姿は削り落ちてしまったであろう。
アルキアスのほうが大事だといわれて、多少は意地になったが、どうしてあんな突き放すようにしてしまったのか? 陽介は自身に問うたが、答えはわかっていた。陽介にとっての芽衣子は、異世界で過酷な戦争を生き抜き、ついには世界を救った二〇歳の芽衣子などではなく、幼く甘ったれの芽衣子だけなのだ。
「それでも、芽衣子は芽衣子じゃないか……」
あんな別れを最後にする覚悟などなかった。陽介は歯を喰い縛り、涙がでるのをこらえた。
ババアになってたっていい。もう一度、芽衣子に……芽衣子に会いたい……。
陽介はたまらなくなって、ブランデーを呑み込み、熱い息を吐いたが、後悔に蝕まれた心を癒すには、まだまだ酔いが足りていない。今夜は限界まで飲んでやろう。そう、決意した直後に、玄関扉が開く音がした。
陽介は慌ててリビングから走り出る。玄関には、ウエディングドレスのままの芽衣子がいた。
「さすがに、この格好でアルキアスに帰るのはね」と芽衣子は頭をかいてから、はにかむ。
イコウルの軍服に着替えるわ、と芽衣子は続けたが、陽介は素足のまま三和土に降りて芽衣子を抱きしめた。
「行くな! 芽衣子!」
「はなして、暑苦しい!」
芽衣子は押し返してきたが、陽介は抱きよせる力を、さらに強くした。続けて芽衣子からは、酒臭い、タバコ臭い、オヤジ臭いと、さんざんののしられたが、陽介は力を緩めることなく、怒鳴るようにいった。
「行くな! いや、どこにも行かせない!」
「もうっ、ウザイ!」
芽衣子がいうと、陽介は衝撃で後ろに飛ばされ、廊下を転がった。なにかの魔法なのだろう。身体のほうもその衝撃で痺れ、うつ伏せのまま立ちあがることができない。
それでも、陽介はなんとか肘をついて顔をあげた。這いつくばって妹を見上げるという、情けない格好ではあったが、陽介は全力でいう。
「行くな! 芽衣子!」
芽衣子は目を細め、しばらく陽介を見下ろしていたが、不意に両手で顔を隠して、肩を震わせる。どうやら、泣いているようだ。すかさず陽介は繰り返す。
「行くな! 芽衣子!」
芽衣子の震えが、さらに大きくなった。
そろそろ泣きだすか! そう陽介は期待したが、芽衣子が放ったのはアハハッという笑い声だった。顔を覆う手をはなして見せた表情も、実に愉快そうだ。
「なんだ……なにが可笑しい!?」状況を理解できず、唖然とした。
「あれ? まだ気付かないの?」
「なにがだ!」
「この格好で戻ったら、ひょっとしてと思ったけど、みごとにだませた! お兄ちゃん的には一瞬だったかもしれないけど、アルキアスに行って七年過ごしたわ。だから、今は二七歳の芽衣子だよ」
「なっ!?」
「うふふ」といいながら芽衣子は唇の前で指を立てた。「年齢よりずっと若くみられる私だけど、お兄ちゃんより年上になったから、これからは、ヨースケって呼び捨てにするね」
陽介はなにかいいかけたが、止めた。もう、なにも考える気になれない。
這いずってリビングに戻り、可能な限りブランデーを胃の中に流し込んだ。




