4.妹が世界を救ってから(4)
寝不足で迎えた次の日の朝、欠伸をくり返しながらも、陽介は出勤のしたくを進めた。
「なにやってんのよ!」母がイラだった声をあげる。
「なにって……見ての通りハミガキだが」ワイシャツとスラックス姿の陽介は、洗面台の前でうがいをしてからいった。
「なんで仕事に行くのかって訊いてるのよ。今日は土曜日でしょ!」
「しかたないだろ。納期が近いんだ」
「芽衣子があんなことになったのよ。仕事どころじゃないでしょ!」
「芽衣子が異世界を救っても、納期は伸びないからなぁ」
「あんたね……」母は呆れ顔で、深く長い息を吐いた。
「芽衣子は? まだ寝てるのか」
「そうみたいね」
「さすが世界の救世主。優雅な御身分だ」
「救世主じゃなくても夏休みの学生なんてそんなもんよ。あんたもそうだったじゃない」
「まあ、そうだな」
「それより二学期になったら、中学はどうしようかしら……」母がため息を落とす。
異世界にいたのがニ、三年ならまだなんとかなったのかもしれないが、芽衣子はもう二〇歳だ。いくら芽衣子が童顔だといっても、さすがに中学生というのは無理がある。特に身体は中学生のソレではない。今の芽衣子がセーラー服を着たら、仮装とかコスプレとかになってしまう。
義務教育とはいえど、やはり中学は辞めるしかなさそうだ。陽介はそう結論づけたが、別のことをいった。
「それは後々考えよう。まだ時間はある。俺がなんとかするよ」
「なんとかする? あんたが?」母は鼻で笑うと、陽介を押しのけて洗面所に入り、洗濯をはじめた。
ムッとした陽介だが、いい返すことはせず、さっさと支度を終わらせ外に出た。駅まで早足で向かうと、すぐに汗が噴きだしてきた。うんざりする暑さだ。立ち止まり、ギラギラと燃える太陽を見上げる。続けて陽介は、父の代わりに書いた遺書の内容をつぶやくも、セミの声にかき消された。
休日にもかかわらず、普段と同じように終電での帰宅だ。おかげで家に着いたのは深夜一時を過ぎていた。リビングに入ると、横になってテレビを見ている芽衣子がいた。
「まだ起きていたのか。子供は寝る時間だぞ」ネクタイを取りながら、叱る口調でいった。
「もう、子供じゃない」芽衣子はイラついた様子で返すと、深夜のバラエティ番組相手に声をあげて笑う。
「まあ、それもそうか」スーツをハンガーにかけ、冷蔵庫からビールを取りだした。「母さんは?」
「さっき、二階にあがったよ。お兄ちゃんが帰るの遅いって、愚痴ってた」
「そういわれてもなぁ」陽介は缶ビールを開けながら、芽衣子の隣に腰を降ろした。
一気に半分ほど呑み、となりでごろ寝している芽衣子に目をやる。標準よりもやや高いであろう身長に、太すぎず細すぎずで、健康的な体をしている。つい先日までの、中学生の芽衣子とはまるで違う。立派な成人女性だ。気軽に隣に座ってしまったが、手を伸ばせばの距離に二〇歳の芽衣子がいるのは、なんだか妙に緊張して居心地が悪かった。
「ねえ。明日は休み?」視線はテレビのままで、芽衣子はいった。
「明日も仕事だ」
「あのさ。明日、お父さんのお墓参り行かない?」
「だから明日は仕事だ」
「あっそう」芽衣子は番組の途中にもかかわらずテレビを消し、さっさと二階へあがっていった。
陽介は残りのビールを呑み干し、額を叩いてからタバコに火をつけた。
翌日の日曜も、陽介は宣言どおり会社に行き、終電で帰ってきた。芽衣子と母はすでに寝ていた。ビールを一缶開けてから眠りについた。
平日の月曜、普段どおり朝七時半に家をでた。芽衣子は起きてこなかった。そして、帰宅はやはり終電で、芽衣子はすでに寝ていた。それの繰り返しが続き、陽介と芽衣子は顔を合わせることなく日々が過ぎていった。
初めの数日は芽衣子のことを気にしていた陽介だが、それ以降は仕事のことしか考えていなかった。毎日終電だったし、徹夜の日もあった。
そんな状態のまま、金曜の夜をむかえた。芽衣子がいきなり大人へと変わってしまってから、一週間たったことになる。だが、陽介の頭の中は別のことであふれていた。
普段より少し早く帰宅した陽介は缶ビールを片手に、「やっと終わった」と長い息を吐く。一年近く陽介を苦しめてきたプロジェクトも最終局面となっていた。充分なテストはできなかったものの、だいたいは動くはずのシステムを、明日には客先のサーバにインストールするのだ。
インストール作業は、午後ニ時に現地集合となっているので、朝はゆっくりできる。陽介が二本目の缶ビールをやりはじめたところで、階段を下りる音がした。母が小言でもいいにきたのだろうと思ったが、「おかえり」と明るい声でリビングに入ってきたのは芽衣子だった。
「ああ、ただいま……ってなんだ! その恰好は⁉」陽介はあやうく缶ビールを落としそうになった。
肩から腕にかけては繊細で鮮やかなレース、そして白く輝くシルクの生地が身体を包み、優雅に床まで伸びてもさらに余る。これはいわゆる、ウエディングドレスというやつだ。




