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35.ふたりの逃避行(4)

陽介は思いだし、数瞬のあいだ言葉を失った。たしかに無茶苦茶ないいようだ。それでも陽介としては、自身の矜持にしたがった結果だった。


鬼塚専務を筆頭にする体制側への不満を鬼塚美姫にぶつけるのは卑怯だ。会社の体制に不満があるなら会社のトップにちゃんというべきだ。美姫個人を攻撃することなど、あってはならないと。


あまり後先考えずにいってしまったが、鬼塚からすれば、反乱分子を統率するような言葉に聞こえるだろう。


「えーと、それには深い訳が……」


「そうね」鬼塚は頷いた。「会社に対する別の不満すら、私の飛び級が吸収して膨らんでいたの。でも佐藤君の言葉で、多くの人が眼を醒ましてくれたわ。私への火種が全て消えたわけではないけど、少なくとも便乗されることはなくなった。感謝しているのよ」


「いや、感謝なんてそんな」


「ねえ、佐藤君」鬼塚はいいながら陽介の隣に座り直し、下を向いた。


「なんでしょう?」


少しの間があってから、鬼塚は顔をあげる。「私と一緒に逃げない?」


「え!? どういう意味ですか?」


「佐藤君も命を狙われ、追われているのでしょ。だったら一緒に逃げましょう。外国なんかにいっちゃって連絡を断てば、きっと見つからない」


「それは……」陽介は鬼塚からの視線を外した。


それは……家族を捨てるということになるのだろうか? だとしても、俺は鬼塚主任に命を救われている。ほどこしを受けたのではなく、鬼塚主任の捨て身の行為で、救われたのだ。


わかりましたと、陽介は答えかけたが、遺書の存在がそれを踏みとどまらせた。何もいわずにこの世を去った父の代わりに、陽介が残した遺書だ。


『陽介 芽衣子を 頼む』


でも、父さん。芽衣子は、もう、幼い芽衣子じゃない。世界を救っちゃうような英雄だし、仲間もいる。けど、鬼塚主任は一人ぼっちなんだ。それに、命懸けで、俺の命を救ってくれた……。


陽介は決心して、鬼塚を見た。それと同時に勢いよく扉が開いた。芽衣子だった。


「芽衣子! いつから!?」


芽衣子は質問には答えず、手を腰にあてた尊大な態度で、鬼塚を見据えた。


「勝手なこと、いわないでくれる」


陽介はゴクリと喉を鳴らす。鬼塚は静かに立ちあがり、深く頭を垂れる。


「命を救っていただきました。ありがとうございます」


芽衣子は意外そうに眉をあげた後、ポリポリと頭をかいた。


「おあいこ、だったわね。ヨースケの命を救ってくれた」


鬼塚は首をふる。


「元凶はこちらにあるのですから、当然のことですし、私だけでは救えなかった」


沈黙の空気が流れたので、すかさず陽介はいった。


「芽衣子。俺は鬼塚主任と、旅に出る」


芽衣子も鬼塚も、目を見開いてこちらを見る。


若干の間があってから、「ヨースケ、メーコ、ヲ、タノム」と外国人のようにカタコトで芽衣子は遺書を口にする。


ぎくりとしたが、想いは変わらなかった。


「たしかに、俺は父さんに誓った。芽衣子を守ると。でも……それでも、俺は鬼塚主任とここを出る」


「どうして?」


「鬼塚主任に命を救われた」


「私も救ったわ。ヨースケも、主任さんも、ね」


「そうだな。それに関しては感謝しかない。それでも、俺は行く。主任の力になりたいんだ。魔法を使える芽衣子は俺なんかよりはるかに強いし、頼もしい仲間もいる。それに、守る対象は少ない方がいい。俺のためなんかに、芽衣子が肉体を削るなんて、もうあってはならないんだ」


「ふーん」芽衣子は不機嫌そうに眉根をよせた。「でも、今すぐというわけじゃないでしょ。お母さんに一言もなしってわけにはいかないし」


「そうだな」


「あと、鬼塚さんも今日は泊まっていってね。明日の朝にでも、ミオリたちにもお礼いってあげてちょうだい」


「わかったわ。そうさせていただきます。あと、佐藤君を誘ったのは冗談です。気にしないで下さいね」鬼塚は芽衣子に向けて微笑んでから、陽介を見た。「そういうわけで、佐藤君。炎上中のプロジェクトを放りだすことになってごめんなさい。後はよろしくお願いします、といいたいところだけど、あなたも会社にはいかずに、先にそちらの世界の問題を解決させることを、強く勧めるわ」


「もろもろ含めて明日にしましょう」


芽衣子はそう残していなくなった。



ふうと、一息入れて陽介はベッドに腰を下ろした。鬼塚も隣に座る。


しばらくの沈黙があってから、「ねえ、佐藤君」と、上目遣いで鬼塚がいった。


「な、なんでしょう」鼓動が早くなるのを、陽介は自覚した。


「この部屋がタバコ臭いのは何とか我慢できても、同じ部屋で寝るのはさすがにないわ」


「ですよねー! リビングで寝まーす!」やたらと陽気に返し、部屋を出た。


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