21.妹の襲来(3)
はっと目が覚め、陽介は身体を起こした。陽の光で明るくなっているリビングの隅だった。蝉の鳴き声が耳をつく。早朝という時間ではなさそうだ。
「だから、ネクタイは取ってくれよ……」
いいながら立ち、時計を見た。始業時刻の九時をすでに過ぎている。
せめて、起こしてほしかった……。
今さら焦っても、大遅刻には変わりない。陽介はネクタイを力いっぱい投げ捨ててから、風呂場に向かった。
会社に着いたのは昼前だった。隣の席には芽衣子が座っていたが、かまわず陽介は自席に座った。これから毎日、芽衣子が退社するまでずっと、喫煙所に籠るわけにもいかないのだ。
「遅かったね」
芽衣子がニヤケながらいったが、陽介はいい返すことはせず、無視を決め込んだ。
芽衣子の言動は全て、見えない聞こえない、というていで淡々と仕事をこなす。会社ではそうすると、陽介は結論づけていた。
すぐに昼休みとなり、芽衣子が「ランチに行こう」と甘えたような声をだしたが、当然無視して仕事に打ち込んだ。
午後からの業務でも、何度か芽衣子は話しかけてきたが、陽介はディスプレイに向けて首を固定し、見向きもしなかった。
終業のチャイムが鳴った。芽衣子が、「帰ろうよー」といいながら、陽介に顔を近づけた。もちろん、陽介は無視してキーボードを叩き続けたが、周りの人が思わずふり返るような音がするビンタをくらった。
しばらく唖然としてから、「なにを……」と、芽衣子を見やる。芽衣子はウインクで返し、「じゃあ、また明日」と残して去っていった。
完璧には無視できなかったことに敗北感を抱くも、何度かの深呼吸で心を整えてから、プログラムに集中した。
気がつくと、二三時半を越えていた。
多いときでは一〇〇人を超えるこのフロアも、今では一〇人に満たない。二〇人座れるように机を並べたこの島でいうと、鬼塚しか残っていなかった。鬼塚は家が近いので、終電まではまだ三〇分ほどあったはずだ。
陽介の場合、すでに終電を過ぎている。ネットで検索し、一番近いビジネスホテルを予約した。もちろん、経費では落ちない。
それを会社に相談したところで、「残業はしないように調整しなさい」だとか、「効率よく仕事をしなさい」だとかの返信を、総務がよこしてくるだけなのだ。
普段なら憤りながら実費でホテルに泊まっていたが、今回は自身の家庭の問題で仕事が遅れているのだから、会社に対しての怒りはない。
「佐藤君って、サイトウさんと、仲がいいよね」不意に鬼塚がいった。
「そんなことは、ありません」と即答した陽介は、そういえば、と首を捻った。今日、鬼塚と会話するのは初めてなのだ。ずいぶん遅れて出社したのに、叱責どころか嫌みのメールひとつなかった。
「仲いいわよ。知り合いなの?」
「いえ。昨日初めて会いました」
「……そう」鬼塚は不審そうに眼を細めた。
「そうです。俺にちょっかいかけてくるのは、サイトウさんが変な人だからです。業務に支障がでてるので、サイトウさんはクビにしてください!」
「私にそんな権限、ないわよ」鬼塚は席を立ち、カバンを肩に掛ける。
「そこをなんとか! 常務の姪っ子パワーで、サイトウさんをクビにできませんか」
「そんなふうに、私のことを見ていたの」
鬼塚は、呆れたとも、悲しげとも見える表情でため息をついてから、席をあとにした。
陽介は額を叩いて気持ちを切り替え、プログラムに集中した。
深夜二時に仕事を切りあげ、歩いて五分のビジネスホテルに向かった。下着はコンビニで調達したが、カッターシャツはさすがに昨日と同じままで、陽介は九時直前に出社した。
先日まで芽衣子が座っていた席に内澤がいて、陽介は目を見開く。
「よう」内澤は手をあげる。
「なにしてんだ?」
陽介が訊くと内澤は何か答えかけたが、鬼塚が先んじた。
「この島はシステム課Bグループではあるけど、今回はたくさんの別グループ、別の課からも支援してもらっているわ。急遽ではあるけど、今のプロジェクトが落ち着くまで、作業の効率化をはかって、プロジェクトメンバーを一ヶ所に集めるよう、席替えをしました」
「まじっすか! じゃあ、サイトウさんは!?」
「サイトウさんは同じ課で同じグループなのですが、このプロジェクトに巻き込むのは申し訳ないから、安定している保守課Cグループのお手伝いをしていただきます。不定期だったサイトウさんの席も、そちらに確保しました」
陽介は抑揚のない声で、「そうですか」といったが、内心では小躍りしたいくらい嬉しかった。
芽衣子が飛ばされた保守課Cグループは内澤がいた場所で、ここからはフロアの対角となり、ずいぶんと遠くなるのだ。
「じゃあ、よろしくな」陽介は内澤にいいながら席に座った。
「その席はだめよ。Aグループから支援頂いている山岸さんに割りふりました。佐藤君も席替えです」
「えっ……どこにですか!?」
ぞっとした。まさかとは思うが、芽衣子とセットで保守課に飛ばされる、なんて意地悪をされるのじゃないだろうな……。
「私の隣よ。なにか不服かしら?」鬼塚はどこか挑発的な表情でいう。
「身に余る光栄であります」
陽介は即答した。




