19.妹の襲来(1)
気がつくと一二時半、プログラムに集中しているうちに昼休みの半分が終わってしまった。
キーボードを片手で叩きながら、陽介は出勤時にコンビニで買ったパンを取りだす。それを食べながらもディスプレイを見つめ、プログラムのロジックを考え続けた。
あと五分で昼休みが終わるというところで、陽介は慌てて喫煙所に駆け込む。
「あのとき辞めるのも……アリだったかな」などの弱気とともに煙を吐いた。
奇妙な共同生活が始まって、一〇日ばかり過ぎていた。予想どおりというか予定どおりというか、大量のバグで陽介の作業は山のように積みあがり、以前と同じ過酷な生活を余儀なくされていた。毎日終電で休日もなく、徹夜も数回の状況だ。
芽衣子や居候たちとは、あれから顔を合わせることなく過ごしている。朝の早い母は毎日見かけるので、「芽衣子はどうしている」と聞いたこともあるが、「さあ?」で終わった。
陽介は次のタバコに火をつけ、ヤニが染みついた壁に背中をあずけた。「疲れたなぁ」とボヤキながら、癒しを求めて幼いころの芽衣子エピソードを回想する。
何が原因かはもう覚えていないが、まだ小学生だった芽衣子が怒鳴りながら陽介を殴ったり蹴ったりと、いたく興奮することがあった。その場は母の一喝で収まったのだが、実に愉快だったのはその後日談だ。
「芽衣子が毎日、勉強しているんだけど……」と母がぼやいた。
いいことじゃないか、そう陽介は思ったのだが、母がやたらと心配するのでそれとなく芽衣子に尋ねてみた。
「いっぱい勉強して、お兄ちゃんの会社に入って、お兄ちゃんより出世して、お兄ちゃんをイジメてやるんだ」芽衣子は目をぎらつかせた。
なんて可愛いやつなんだと陽介は感激し、芽衣子をファミレスへ連れだした。
「ぜひとも俺より出世してくれよ。今日はその前祝いだ!」と、芽衣子になんでも好きなものを注文させた。
イチゴパフェとケーキ二つを平らげた芽衣子は満足したのだろう。母に叱られないと宿題すらしない普段の芽衣子に戻ってしまった。
「最高に可愛かったよな……」
陽介は遠い目で、他の記憶もさぐっていたが、午後の就業のチャイムで我に返る。タバコを消して慌てて喫煙所を出た。
自席に戻りメールを確認すると、午後の就業開始時刻の一三時、その一秒後に鬼塚からメールがきていた。内容は、『時間厳守!』との一言だ。陽介はそのメールを削除して、椅子の背もたれを可能な限り倒して伸びをする。
部長がこちらのほうへ歩く姿が目に入った。都内の綺麗なオフィスビルから、わざわざここに顔を見せるのは珍しいことだ。
今の状況を激励しにきたのか、はたまた叱責か? 陽介は姿勢を戻し、あらためて部長を見る。横にも縦にも大きな部長の後ろに芽衣子がいることに気づき、椅子からずり落ちた。
「皆、ちょっと注目してくれ。こちらはサイトウユキコさんだ。少々急なことだが、本日付で中途採用となった。システム課のBグループに主任として配属される」
「サイトウユキコです。よろしくお願いします」芽衣子はハリのある声でいって頭を下げる。
「よろしくお願いします」と周りから次々と声があがる中、陽介は荒い呼吸で椅子にしがみつき、登るようにして、なんとか座りなおした。
「サイトウさん。まだ席はないから、今日は空いている席に座ってください」鬼塚がいった。
出張や有休で、Bグループの島は三席空いていた。陽介の右隣も空席だった。陽介は顔を伏せて目を閉じ、祈るように手を合わせたが、効果はなかった。
芽衣子は隣に座り、「よろしくね!」といった後に、クックックと気味の悪い笑いを付け加える。
陽介は目を合わせずに、喫煙所に向かった。あとで鬼塚にどんな嫌味をいわれようが関係ない。三〇分も喫煙所で過ごしてから、席に戻った。芽衣子は離席中で、ほっと胸をなでおろす。
「あのねぇ、佐藤君」斜め前の席の鬼塚が、腰をあげていう。
「サイトウさんはどこに行きました!?」陽介は鬼塚の言葉を遮っていった。
「今は入館手続きだったかしら。他にもいろいろあったはずだから、今日はほとんど席にいないわよ」
「そう……ですか……」深く息を吐いた。
「サイトウさんと、なにかあったの?」鬼塚は目を細めた。
「いえ、なにも。さあ、仕事仕事」
陽介はぐるぐる腕を回してからキーボードを叩く。あまりにも白々しい態度だったと、なんだか恥ずかしくなった。
しばらくすると芽衣子が戻ってきて、すぐに陽介は喫煙所に避難した。喫煙所には長時間滞在しながら芽衣子のようすをたびたび確認し、いなくなれば席に戻る。
それを繰り返していると、業務時間の半分は喫煙所にいるハメになった。内澤には、ここに住んでるのか、と笑われた。
あの鬼塚主任からも、「どうしたの? いくら何でも、今日は変よ」と、罵倒どころか心配される始末だ。
一七時半、定時のチャイムも喫煙所でむかえた。ほどなくして、カバンを持った芽衣子が席を立ち、出入口のほうに去っていく。
「やっと帰ったか」陽介はぼやきながら自席に戻ると、腕まくりして、「さあ、仕事だ!」と声を張る。
鬼塚へのアピールでもあったが、気合いの一つでもいれたくなるくらい、今日すべき仕事がほとんど進んでいないのも事実だ。
陽介はディスプレイを睨みながら、すぐさまプログラムを打ち込んだ。本来なら仕様やアルゴリズムを検討する時間が必要なのだが、それは喫煙所で充分にやっている。
よどみなくキーボードを叩きだしたところ、肩に手を置かれ、「集中してんだから邪魔しないでくれ」と心中でぼやきながらふり向く。
てっきり鬼塚か内澤だと思っていたのに、うしろでニヤついていたのは芽衣子だった。




